第7話『理不尽な世界を生き抜くための光』
「落ち着いて。冷静になって」
シフォンさんは一瞬で酔いが醒めたような顔になり、声のトーンを低くした。
「私なんてどこからどう見てもヨゴレステータスでしょう? 底辺の娼館だって雇ってくれないレベルよ」
「僕はステータスなんてどうでもいいんです!」
「え、どういうこと……? ステータスに興味がないって……もしかして不能なわけ?」
「いいえ。どちらかといえばその対極――ケダモノの類だと自認しています」
自分自身が社会規範から逸脱した性欲モンスターという自覚はある。自覚した上で周囲に迷惑をかけないよう、常に高潔な理性で己をセーブするよう心がけている。
「分からないわね……。ステータスに興味がないのにケダモノ? ケダモノが女性のステータスを見ないなら、いったいどこを見るわけ?」
「顔と身体です」
「顔? 顔なんて誰だって大差ないでしょ。目は二つで鼻と口と耳があって、同じようなものじゃない?」
「ありますよ! 小顔とか目のパッチリ感とか鼻の高さとか唇の瑞々しさとか!」
「えぇ……そんな細かいパーツのどうでもいいところに拘ってるの……?」
シフォンさんは困惑の表情になって首を傾げた。
「あと、身体っていうのも意味が分からないんだけど。胴体があって手足があって……基本的に同じでしょう? そりゃ身長や体形は少し違うかもしれないけど」
「その少しの違いが大事なんです! 頭身のバランスとかふくよか系とかスレンダー系とか! 胸の膨らみの大きさとか!」
「胸の大きさ? それは大きい方がいいの? 小さい方がいいの?」
「大きいのも小さいのも等しく素敵です! もちろん中間のサイズでも!」
「ごめんなさい。ちょっと何を言ってるか理解できないというか……。正直言っておかしいわよ、あなたの感性」
ざっくりと一刀両断。
ステータスのみが性的嗜好の対象となるこの世界において、僕は完全に異常性癖者として扱われてしまうらしい。
「今まで誰にもおかしいって言われなかったわけ?」
「故郷ではひた隠しにしていました。自身が異常者であることは自覚していましたので」
嘘は言っていない。現代日本で生活していたころはごく平凡な青年として日々を過ごしていた。前科もない。近所のドラッグストアの店員には「こいつずいぶんとティッシュの購入量が多いな……」とか勘付かれていた可能性が僅かにあるが。
「街でも隠した方がいいわよ。あんたみたいなステータスの奴が趣味まで意味不明だったら化物じみててもう普通に怖いから」
シフォンさんもどこか顔が青い。かなりの実力者であるはずの彼女が怯えるとは。
「……普通の感性だと、こういう装備を見たら気持ち悪いと思うのよ」
それから彼女は溜息をついて、右腕を気だるげに持ち上げて手の甲をこちらに向けた。
そこに装着されているのは、黒い金属製のナックル・グローブである。関節部分は鋭角的なデザインになっていて、もし殴られたらかなり痛いと思う。優しく殴ってみて欲しい。
「僕としてはとても格好良くて興奮するんですが、なぜ気持ち悪いんですか?」
「あのね。私の装備の全体的な意匠はドレス型……ローブの高レベル発展形だから本来は<魔法力>の高い後衛職を示すものなの。だけど上腕部の手甲系攻撃武装は戦士職の特徴。殺意の高いデザインだから<攻撃力>数値の高さもごまかせない。それから――」
続いてシフォンさんは切り株に座ったままの姿勢で右脚をひょいと伸ばす。
「脚部装備は装甲なしのヒール靴のみ。これは<敏捷性>も『遅くはない』と示してるわ。ドレスの布地のレース模様は<技巧>の数値の反映で……どう? 少しは気分が悪くなってきたんじゃない?」
「いいえ。すらりと伸びた白い足にトキメキを禁じ得ない状態です」
あくまで僕が賞賛すると、シフォンさんは葡萄酒の酒瓶を掴み、自分の頭の上でひっくり返した。
「わっ! 何を……」
祝い事のシャンパンかけでもあるまいに。赤の葡萄酒なんかを頭から被っては服にシミが――と思ったが。
まるで薄膜に弾かれでもしたかのように、葡萄酒はシフォンさんの肌や服を一切汚すことなく流れ落ちていった。
「汚れにくさ。対汚損性は<生命力>の反映。つまり――私のこの装備は『全ステータスが満遍なく高い』と示しているの。最悪でしょう?」
「そんなことありません! ステータスなんて所詮はただの数字じゃないですか!」
「生き様が反映された数字、よ。顔のパーツの形なんかよりもよっぽど人間の本質を表してると思うけど?」
そう言われてしまうと、僕は咄嗟に何も言い返せなかった。確かに容姿というのは『顔のパーツのバランス』という無意味なものに過ぎない。それに魅力を覚えるのは、元の世界において『それが常識』だったからだ。
「でも……それなら! 頑張って努力してステータスを高めてきたシフォンさんのような人の数値は尊敬されるべきです! 少なくとも蔑まれる謂れなんてないはずです!」
「冒険者みたいな『金を稼ぐため日常的に命を懸ける』ような仕事は、今も昔もろくでなしとかならず者の流れ着く場所なのよ。実用性一点張りのステータスっていうのは『私はそういう類の人種です』って主張してるようなものなの」
なんて酷い。命懸けで戦っている人がいるからこそ、人里の平和が保たれているのだろうに。
だが――よくよく考えたら地球の歴史上にも似たような話はある。
そもそも肌の白さが美貌として持て囃されるようになったのは『屋外での肉体労働をしなくてよい身分』を示したからだという。平安時代に太った体形が魅力的とされたのは『食うに困らない身分』を示したからだという。
当時の社会を支えていたであろう『日焼けした農夫』や『粗食に耐える庶民』は、決して美の象徴とはされなかった。
ならば異世界において『命を懸けるような危険に身を晒さずともよい身分』――非実用的なステータスがかえって持て囃されるようになっても、そう不思議とは言えないだろう。
いや待て、それにしたって僕や魔王に対する風当たりは明らかに行き過ぎだと思う。そこは純粋にこの世界の民度の問題かもしれない。
「……ん? さすがに派手にかけすぎたかしら。少しだけベタつくような気がするわね」
と、そこで。シフォンさんはドレスの布地を指先で撫でた。葡萄酒は綺麗に流れていったように見えたが、さすがに少しは染みついてしまったらしい。
「むっ! それは大変です! よろしければ弟子の務めとして僕が誠心誠意の手揉み洗いをさせていただきますが!」
「別にいいわよ。今この場で洗っちゃうから」
この場? と僕が思った瞬間、シフォンさんは何の躊躇いもなく――脱いだ。
一瞬の脱衣だった。シフォンさんがドレスの裾を大きく捲り上げると同時、魔力繊維で編まれた服が白い閃光を発して元の『寝巻のような服』に戻ったのだ。
閃光で眩んだ目を再び開くと――純白の下着だけを纏った姿で『寝巻のような服』を膝に畳んでいるシフォンさんがいた。
「ウォル・オグ・フェンレス・ロンガ」
何やら不思議な声色でシフォンさんが詠唱すると、彼女の掌の上に水の球が発生する。
『寝巻のような服』がそこに放り込まれると、洗濯機に放られた衣服のように激しく回転し始めた。
僕は動けない。
前屈みになったまま動けない。
ただ、一瞬たりとてこの光景を見逃すまいと瞬きすら惜しんで前を向き続ける。
「何。じろじろと。水魔法での洗濯なんて別に珍しくもないでしょ」
そんな僕の熱烈な視線を浴びてなお、シフォンさんはただ怪訝そうに眉を顰めるだけだった。
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