第3話『冒険者ギルドがいかがわしいお店にしか見えない』
「魔王討伐の緊急クエストに参加してくださった冒険者のみなさま。大変お疲れ様でした。討伐とはなりませんでしたが魔王の撤退が確認されましたので、契約に基づいた追加報酬が支給されることとなります」
地鳴りのような歓声が湧き上がった。
ここは冒険者ギルドのロビーである。誰に説明されずとも一目瞭然で分かる。
掲示板に張られたクエストの貼り紙。カウンターに座る美人の受付嬢。併設の酒場で屯する荒くれ者たち。
目に入るすべての要素が『ここは異世界の冒険者ギルドだ』と訴えていた。
「それでは参加した冒険者の皆様は1~5番の報酬カウンターにお並びください」
ギルド嬢がカウンターの方を腕で示すと、討伐隊の面々は我先にと争いながらカウンターに雪崩れ込んでいった。
「おいっ! 早くよこせっ!」
「こっちが先だ!」
「あたし! あたしにちょうだい!」
「下がってろてめえら! 歳の順だ!」
さっきまで気絶していたというのに、誰もが完全に戦闘モードになっている。なんなら魔王と対峙していたときより気迫が漲っているかもしれない。
「いいよなぁ。あいつら、あれで引退できるくらいの金が貰えるみたいだぜ」
「俺らも参加しときゃよかったな……」
「でも魔王相手のクエストなんて死亡率九割オーバーだろ? なんで今回だけあんなに生還してんだ……?」
「あー。やってらんね」
不参加だったらしい酒場の冒険者たちは嫉妬に満ちた視線を彼らに向けている。
魔王に挑んだ英雄たちに対してずいぶんな態度だが、魔王のいた荒野からこの街までは例の高速馬車をもってしても数時間かかるほど距離が離れていた。案外、他人事気分で静観していた者も多いのかもしれない。
――と、まあ。こんな風に状況を説明したら比較的ありがちな『冒険者ギルド』の光景だと思えるかもしれない。
しかし、ここまで述べたのはすべて些事も些事である。
今、僕の心を射止めて止まない事象は他にある。
「そこの冒険者さん。あなたは報酬の列に並ばないのですか?」
僕の目の前に立っているギルド嬢の服が、どこからどう見ても下着にしか見えないということである。
白いブラ的な胸当てに、下半身を隠すのはあまりに短すぎる腰布のみ。
黒髪ロングに銀縁メガネ。ザ・委員長といった感じの真面目な風体をした若い女性が、そんな恰好で恥じらうこともなく僕の凝視を平然と受け容れているのだ。
ずらりとカウンターに並ぶ他の受付嬢たちも、装いはそれぞれ異なれど全員がほとんど下着か水着に近い露出度なのは変わらなかった。
これはもう冒険者ギルドではなく、いかがわしいお店にしか見えなかった。なんという楽園なのだろう。ここに永住したい。呼吸するだけで全身が癒される。
「……大丈夫ですか?」
幸せを噛みしめて恍惚としている僕を、ギルド嬢が心配そうに覗き込んでくる。
はっと僕は首を振って理性を呼び戻す。
「いえ。僕は討伐クエストに参加したわけではないんです。たまたま現場に居合わせて魔王に吹っ飛ばされてしまいまして。気が付いたらここまで運ばれていました」
馬車にはタダ乗りさせてもらったが、報酬まで掠め取ろうとは思っていない。たぶん参加メンバーではないとすぐにバレるだろうし。
ギルド嬢は納得したように浅く頷いた。
「なるほど、そういった事情でしたか。討伐隊のレベル基準に届いているようには見えないので、少し違和感はあったのですが……早合点をお許しください」
「そんな。助けていただいてむしろ感謝しています」
「ところで、これはギルド職員としての助言なのですが――」
キリッという擬音が似合う仕草でギルド嬢がメガネを上げる。とても凛々しいがちょっと視線を落とすと胸の谷間が丸見えなので脳がバグりそうになる。僕の処理能力が試されている。
「あの荒野は強力な魔物が出没する危険地帯です。初級冒険者の方がいきなり探索に挑むにはリスクが高すぎます。もっと適切な手順を踏まれてのレベリングを図るべきかと」
「それなんですが」
渡りに船の話題となったので、僕はギルド嬢に恭しくお辞儀する。
「僕は冒険者として右も左も分からないほどの素人でして。よろしければその『適切な手順』にいてご指導いただきたく思うのですが」
「かしこまりました。初級者指導のご要望ですね。こちらの番号札を持って少々お待ちください」
ギルド嬢は腰の革ポーチから木製の番号札を手渡してきた。異世界の文字で17番と書かれている。銀行の窓口対応を思わせる粛々とした対応である。
僕はロビーの長椅子に腰掛け、桃源郷とでもいうべき世界の空気をしばし満喫する。
「っしゃあ! これで俺も一抜けだ! あばよてめぇら!」
「長かったぁ~。やっと卒業できるよぉ~」
「ようやく人生スタート地点って感じ」
しかし、気になるのは魔王撃退の報酬を受け取った冒険者たちの様子である。その場で引退宣言をする者が一人や二人ではない。互いに涙目でぴょんぴょんと喜び合っている女性冒険者コンビもいれば、酒場の連中に「餞別にくれてやらぁ!」と剣を投げ渡して去っていく荒くれ者もいる。
なんだか全員「ようやく年季が明けた」とでも言わんばかりの態度である。
僕のような現代日本のフィクションに慣れ切った身としては「異世界の冒険者稼業」というのは華々しく思えるが、まあ冷静に考えてみれば裸一貫で命の危険が伴う仕事である。紛争地帯の傭兵みたいなものと考えれば、引退したがる人間が多いのも頷ける。
「17番の方。8番窓口にどうぞ」
そんな風に観察していると、すぐに順番が回って来た。
指定された窓口に向かうとさっきの委員長タイプなお姉さんが待っていた。
「最初にお尋ねますが、ギルドへの冒険者登録はお済みですか?」
「いえ。今日が初めてです」
「それではお名前と年齢、おおよそのレベル帯、戦闘スタイルなどをご記入ください」
手渡されたのは質の低そうな茶色の巻紙である。
この世界の文字が書けるかは心配だったが、頭の中で文章を思い浮かべると自然と手が動いた。
名前:ハギ・ケイイチロウ(萩・恵一郎)
年齢:18歳
レベル帯:1~5
戦闘スタイル:戦闘経験なし
手早く記入してギルド嬢に返すと、彼女は目を凝らすようにメガネをいじった。
「ハギ……珍しいお名前ですね?」
「かなり田舎の出身でして」
「それから『戦闘経験なし』とのことですが……18歳になるまで一度も? 基礎的な戦闘教練も受けた経験がないと?」
「恥ずかしながら」
正直に『女神が遣わせた転移者』と名乗ることはしない。
なぜなら僕は魔王に対して『呪われたスキルで迫害されようと、この世界を楽しんでみせる』と豪語してみせたのだ。女神の使者などと名乗っては人々から好意的に受け容れられてしまう。それでは魔王の心は溶かせまい。
ギルド嬢は僕の雑魚っぷりにしばらく閉口していたが、やがて浅く頷いた。
「……分かりました。冒険者としての能力を身に着けるのはかなり険しい道になるかと思いますが、それを支援するのが我々ギルドの役目です。つきましてはギルド公認の指導者を紹介いたしましょう」
「指導者?」
「はい。冒険者の技術はやはり先達の冒険者に学ぶのが一番ですから。ギルドが『実力・実績ともに優れている』と認めた方を、指導者として登録する制度があるんです」
意外としっかりした制度だ。冒険者なんてナイフ一本のソロプレイから始めるのが王道と思っていたが、ちゃんと安全面に配慮してくれるのか。
「ただ、当然ではありますが無料ではありません。指導者の方も貴重な時間を割いて訓練に充てるわけですから。相応の報酬は支払う必要があります」
「これだけあれば足りますか?」
僕は女神様から授かった革袋を逆さにし、有り金をカウンター上にじゃらりと出してみせた。ピカピカの銀貨が十五枚。これが僕の全財産である。
「1万シェル銀貨ですか……品質もよいですね。初級者担当の指導者であれば、これ一枚で一日の報酬に相当するかと」
銀貨を鑑定したギルド嬢は少し唸ると、カウンターの下から大量の書類を綴じたファイルを引っ張り出した。
「では、こちらが当ギルドに登録している指導者の一覧です。ここから最適な人物を探していきましょう――ハギさんはどのような戦闘スタイルを目指していらっしゃいますか?」
「そうですね」
一拍だけ考える。
僕は<ステータス超成長>という因果なスキルを所有している。この先、僕が人知を超えたペースで成長していけば、かつての魔王と同じく苛烈な迫害を受けるだろう。
それならば、選ぶ職種は自ずと限られてくる。
「単独で冒険をしやすい職って何になりますか?」
「それでしたらやはり戦士職ですね。魔法職だと単独ではMP管理がネックとなりますが、戦士職なら体力の続く限り継戦可能ですので」
「なるほど。では少しファイルを見せてもらっていいですか?」
方針は決まった。なら、あとは戦士職の中でもっとも僕の好みに合う女性を選ぶだけだ。異世界で最初にお近づきになる相手なのだからムサいおっさんなど論外。美少女師匠にあれこれ教わる楽しみを捨てるわけが――
そうしてファイルの表紙を開いた途端、僕の手が止まった。
一ページ目。
指導者リストの筆頭に、とんでもない美少女がいた。
ウェーブのかかった桜色の髪。新雪のように真っ白な肌。
深層のご令嬢を思わせる容姿を備えながら、肩には無骨な棍棒を担いでいる。
衣服はといえば黒いゴスロリドレスのようで一見すると露出が少なく見えるが、よく写真を凝視してみると、衣装のほとんどがレース地で肌まで透けている。色気と気品の両立。僕の心は一瞬でグッと鷲掴みにされてしまった。
「お姉さん! 決めました! 僕この人がいいです! この人にします! この人を師匠って呼びたいです! 修行と称して虐めて欲しいです!」
「ちょっ……待ってください。その人は当ギルド支部の序列一位で……報酬水準がですね」
ギルド嬢は控えめに書類の下部を示した。
『指導料:1日あたり最低100万シェルより』
僕の持っていた銀貨が1万シェルの価値だとさっき言っていた。ということは、手持ちの銀貨をすべて費やしても足りないということか。
「この方は腕利きではありますが、金銭的にとてもシビアな事情を抱えていまして。他の方と比べても報酬水準が高すぎるためお勧めできないといいますか……」
「いいえ、決めました。この人にします」
しかし、僕は意を決して答えた。
ここで「はいそうですか」と引き下がるようでは異世界に来た意味がない。最初の1ページ目に僕の心を射抜く美少女がいたというのは女神様のお導きに違いない。
「決めましたと言われましても……後払いなんてできませんよ?」
「分かっています。後日、お金を用意してまた来ます。必ず。なんとしてでも」
僕は立ち上がり、ギルド嬢に一礼してから踵を返した。
胸の奥底で熱い炎が燃えるのを感じながら。
―――――――――――――……
「あの人、なんだったんですかねぇ」
メガネのギルド嬢は同僚と昼食を囲みながら雑談に耽っていた。
話題となっているのは一週間ほど前にギルドを訪れた、素性不明のハギという男性冒険者のことである。
自己申告および装備の形状からして間違いなくレベルは5以下。レベル5なんて普通は7~8歳で到達できる程度のものだ。
それが18歳でレベル5以下なんて。どれだけ浮世離れした生活をしていればあそこまで貧弱なステータスでいられるのか想像もできない。
そのくせ、妙に裕福な雰囲気ではあった。質の良い銀貨を大量に持っていた上、数日中に100万シェルを調達するとまで豪語していた。
「読めた! どこかのお貴族様の隠し子っていうのは!? いい家柄だからお金はあるけど、揉め事の種にならないようにわざとステータスは底辺を維持させてるとか」
「でも、いくら隠し子でもお貴族様の子弟が冒険者なんかになる?」
「それはお金に困って……ああ違うかぁ。お金は持ってそうだったもんねぇ」
ギルド嬢たちもそこまで本気で気になっているわけではない。だが、賑やかしの話題があれば何でもいいのだ。労働者の昼なんてそんなものである。
――そのとき。
かつん、と。
硬質な靴音を立てて正面入口から入って来た冒険者がいた。それ自体は珍しくもない。ギルドに冒険者が出入りするなんて当然のことだ。
だが、昼時で騒がしかったギルドのホールが一瞬で静まり返った。
返り血じみた赤銅色の甲冑に身を包んだその男の放つオーラが、あまりに異様な威圧感を帯びていたためである。
「誰だ……?」
「見たことねえ。よそ者……だよな?」
「まさか三桁レベルじゃ……」
甲冑の男が歩を進めるたび、蜘蛛の子を散らすように周囲の冒険者が逃げていく。
ガラ空きになった窓口のカウンターに、甲冑の男が無言で立つ。
ギルド嬢たちは「誰が行く」と視線で会話し、その視線は次第にメガネのギルド嬢に集まっていく。何を隠そう彼女は新人なのだ。拒否権はない。恨めしい。
「ええと……冒険者様? 当ギルドへのお越しは初めてですか?」
「いいえ。一週間ほど前にお世話になりました」
そう言うと甲冑の男は兜を脱いだ。服の形状変化で編まれていた兜は外されると同時に霧散し、その下の素顔を露わにする。
「ハギです。その節はどうも。手当たり次第に魔物を狩って戦利品を集めてきましたので、買い取り査定をお願いできますか?」




