【怪異09】ハングドマン
フランスへの国境に近い、ルクセンブルクの郊外。
遊神来夏は、とある怪異の存在を求めて、圃場わきの森を一人行く。
「ハングドマン……吊るされた男。タロットの大アルカナの一つで、ユダと解釈する説あり。そこから命名された怪異……か」
背の高い針葉樹と、ほどほどの高さの広葉樹が織り交ざる、木々の間が広い森。
寒さと乾燥が強い地方で、足元はカサカサに乾いた枯れ枝が折り重なり、歩くたびにパキパキと軽快な音が立つ。
来夏は厚底のスニーカーでそれらを踏みつけながら、木々の間をのんびりと散策。
「その姿は、朽ちかけた縄で天地逆に吊るされた、細身の中年男性。薄汚れた服にボサボサの髪で、白目を剥いている。高木さえあれば都会でも現れるが、目的は不明。生者を驚かせるのが趣味とも、見た者の不幸を予兆するとも言われる……と」
薄い木漏れ日が揺らぐ、わずかに開けた一帯。
来夏はその中心で足を止め、両手をパーカーのポケットへ突っ込んだまま、周囲をぐるりと見上げる。
「そう言えば日本の山中の鉄塔は、首吊り自殺にしばしば使われるそうね。邪魔が入りにくく、電力会社の定期巡回でそのうち遺体が確認されるから……だとか。ハングドマンの出自も、そんな感じなのかも」
森の中の冷たく澄んだ空気を大きく吸ってから、圃場へ踵を返す来夏。
その視線の先で、一人の男が倒れている。
森から山道へ上半身を出した状態でうつぶせになる、薄汚れた細身の男性。
その両足首は、黒ずんだ縄で縛られていた。
「……あなた、もしかしてハングドマン?」
『ああ……』
「どうして地面に? 落ちたの?」
『いや……。下りた……』
「自分で縄を切ったの? なぜ?」
『だれも……見向き……しないから……』
顔を地面につけたまま、蚊の鳴くような掠れた声で返事をするハングドマン。
来夏はすぐに、彼の姿勢の意図を察する。
「……ああ、歩きスマホか。人間に視認されなきゃ存在消えちゃう怪異、なにかと大変よね。ま、ライフスタイルの変更は正解だと思うわ」
這う男。
そう呼ばれる怪異がネット上で広まるのは、それから数年後の話──。