【怪異01】亜
亜。
人の姿をした物の怪。
一文字だけの名前、それ以外なんの特徴もない、みすぼらしい中年男性の風貌。
街角へ朧げに現れ、人の目に触れると「あ」とだけ発声し、雲散霧消。
妖怪というより幽霊といった風体。
亜はこの日の深夜、とある地方都市の、民間の私設図書館内に現れた。
『ふっふっふっ……あーっはっはっはっ!』
色褪せ、破れが目立つ寄贈本が並んだ、児童書の書架。
その前に現れた亜は、人間の耳には聞こえない、怪異の声で笑う。
『いいぞいいぞ……。俺を取り上げる妖怪本が増えてきた……』
ぼーっと現れては「あ」とだけつぶやき、すーっと消える物の怪。
男の目論見通り、人々は彼を「亜」と命名した。
『亜……それが俺の名だ。ゆえにいかなる怪異本でも、俺を一番最初に紹介する。無論、巻頭はメジャーな妖怪が陣取るが、とにもかくにも目次では俺が先頭に立つ! 俺が一番だ! 妖怪の世界では俺が一番!』
──亜。
それは人間として生きている間に、何事でも一番に立てなかった男の末路。
努力に努力を重ねても、天賦の才、または豪運に恵まれし者の背中を拝む人生。
捻くれ、絶望した男の強い無念は、その魂を無芸の怪異へと変えた。
無芸ゆえに得た一芸。
それが「亜」という名前。
『悔しかったら「亜」より前に来る名を名乗ってみろ! 人間……少なくとも日本人には、そんなことは不可能だっ!』
「……思慮不足ね。そんなんだから、人間だったころも一番を取れなかったのよ」
『だれだっ!?』
いつの間にか亜の左方に現れていた、一人の小柄な女性。
ベージュのパーカー、黒いデニムパンツ、栗毛、アンダーリム眼鏡。
垂らした前髪は、眉毛を隠す長さで真横に揃えてある。
後ろ髪は腰まで伸びたツインテール。
遠目では中学生の印象だが、顔つきはしっかり成熟した女性の彫り。
「わたしは遊神来夏。そしてこっちは……」
来夏の視線が、己の足元へと落ちる。
そこには人の姿の妖怪が一体。
床にぺたりと尻もちをついた、骨と皮だけの四肢を持つ、不敵な笑みの小男。
その風船のように膨らんだ腹部から、亜はとある怪異を連想しながら、指さし。
『そいつ……餓鬼か?』
「不正解。これは前餓鬼っていう妖怪よ。二番手さん」