空を塞ぐ赤
最近、インターネット上に、ある画像が静かに広まっていた。
香港の公営住宅の建物全体が、巨大な中国の国旗に覆われている写真だった。
その建物は、觀塘の順利邨。今月初めの中国の国慶節に撮影されたもので、何の装飾もなかったはずのコンクリートの壁が、赤と黄色の布にすっぽりと包まれていた。
私はこれまで、香港の公営住宅での生活についていくつか書いてきたけれど、この順利邨についても、書かずにはいられない気持ちになった。
順利邨の構造は、1970年代に設計された雙塔式大廈というプロトタイプに基づいている。空から見ると、二つの四角い塔が角でL字型に繋がり、それぞれの塔の中心には、地上から天井まで貫かれた大きな中空空間がある。その空洞をぐるりと囲むように住戸が配置され、直線的な廊下でつながっていた。
その構造の一番の利点は、風の通り道が確保されていることだ。特に湿度の高い夏場、住人たちは廊下側のドアを開け放ち、階をまたいで吹き抜ける風を生活の一部として取り込んでいた。向かい合う部屋のドアはお互いに視線が届く距離にあり、防犯上も優れていた。泥棒が入れば、誰かがすぐに気づくだろうという安心感が、そこにはあった。
この設計には、もうひとつの明確な意図があった。
隣人は助け合う存在であるべきだという思想だ。
1960年代から70年代にかけて、香港の人口は急速に増加し、ほとんどの親は、日々の暮らしを支えるために長時間働きに出ていた。家の中に大人がいない時間帯、子どもたちは自然と同じ階の隣人に見守られることが多かった。廊下は遊び場になり、調理中の台所から母親が顔を出して、何となく視線を送る。夕食時になると、「ご飯だよ!」という声が廊下に響き、子どもたちは遊びをやめて、それぞれの家に一斉に戻っていった。
だが、この空間には、もう一つの顔がある。
塔の上層階から下を覗き込むと、四角く積み重なった空洞が、まるで目に見えない穴のように視界を引き寄せてくる。地面に向かって吸い込まれていくような感覚に襲われるのは、きっと私だけではなかったはずだ。廊下の手すりは驚くほど低く、身を乗り出すと、重力が静かに引っぱってくるのを感じた。
この場所で命を絶った人の話を、私は何度も耳にした。
この構造の円形バージョンも、香港には一つだけ存在する。大坑にある勵德邨がそれだ。すでに三十年以上の歴史があり、そこでは円柱の内部に沿って廊下が回り、中央には巨大な空洞が開いている。上から見下ろすと、青く塗られた円が階ごとに積み重なっていて、まるでビル全体がひとつの深いトンネルのように見えた。
私はこの設計を、どこか香港人の気質と願いが形になったものだと思っている。限られた空間の中で、風を通し、隣人と声をかけ合い、暮らしの工夫で互いを支え合う――そんな小さな美徳が、コンクリートの壁と廊下に埋め込まれていた。
けれど今、その同じ建物が、無数の巨大な赤い布に覆われている。
そこに描かれた金色の星々が、空を塗り潰し、視界を閉ざしていた。
風の通り道だった廊下が、今では監視の通路になり、開け放たれていたドアの奥には、誰も話しかけてこない気配が漂っていた。その空間は、もはや住まいではなかった。
私はそれを、もう一度「家」と呼ぶことができなかった。