表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/10

東京街、記憶のはじまり

私は、1990年代の香港、深水埗で育った。九龍の片隅にあるこの街は、どこか影のような場所だった。家族が暮らしていたのは、公営住宅の中でも最も古く、最も安価な建物だった。


 私の家があった通りには「東京街」という名前がついていた。東京と呼ばれてはいたが、そこに日本らしさは微塵もなく、名前の由来も誰も知らなかった。ただ、今になってみれば、あの通りに導かれたこと自体が、遠い未来とつながっていたのかもしれない、と思うことがある。


 建物は24階建てだった。私たちは2階に住んでいたが、その階はおそらく最も過酷だった。上の階の住人たちが投げ捨てた物が、次々と私たちの前に落ちてきた。果物の皮、食べ残し、空き缶、時には使用済みのタンポンまで。共用バルコニーには、そういった物が1年近くも放置され、年に一度の清掃の時まで片づけられることはなかった。


 母は、掃き出し窓のカーテンをほとんど開けなかった。開けると、ただでさえ狭い室内にまで、外の気配が染み込んできてしまうからだ。外の共用スペースでは、老人たちが朝から晩まで、賭け事をしたり、おしゃべりをしたりしていた。彼らの声は、壁を通り抜けてくる。家族の不満、仕事への愚痴、人生のやるせなさ。誰かが語るその言葉が、まるで私自身の内側に、ひとつひとつ沈んでくるようだった。


 東京街の通りには、幅10メートル、深さも同じくらいある開放された下水溝があった。日本の小川のような清らかさは、そこにはなかった。濁った水が流れ、プラスチックの袋や腐った野菜が引っかかっていた。けれど、そのすぐ脇で、屋台の人たちは器用に鉄鍋を振り、香ばしい焼きそばや点心を売っていた。汚水の匂いとごま油の匂いが入り混じって、鼻の奥に残る。それでも、誰も顔をしかめたりはしなかった。街の匂いは、あまりに当たり前すぎて、誰にとっても空気の一部になっていたのだと思う。


 子供時代の記憶を探るとき、まず浮かんでくるのは音と匂いだ。老人たちの笑い混じりの怒鳴り声、濡れたダンボールのような匂い、そして窓の外に積み上がる無数の色とりどりのゴミ。それらは決して美しいものではない。けれど、誰にも書き換えることのできない、私の生の輪郭を形づくっている。


 もうあの場所に戻りたいとは思わないし、同じ生活を再び送りたいとも思わない。けれど、時折、自分の中の何かが、あの風景に呼び戻されるのを感じることがある。まるで、長い間沈黙していた声が、記憶の底から微かにさえずるように。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ