敬愛する祖父へ
敬愛するお祖父ちゃんへ
日曜日にお祖父ちゃんが他界したと聞き、突然の別れになんと言葉を出して良いかが分からず、ただその時の私は「分かった」と答えることしか出来ませんでした。
そんな私は戸惑いが止まらないまま、月曜日に祖母と会い、昼ご飯を済ました後、礼服を買いに行きました。
今まではの葬儀は児童や生徒としての参加だったので制服でしたが、今回は学生なので初めての礼服を着ることになります。
礼服の値段に少し驚きながらも、買うことになりました。
あの時、ここには書けないことをしようとしてしまったことは、本当に不謹慎でした。
あの時は、お祖父ちゃんが亡くなったことが全く実感が無かったとは言え、本当にごめんなさい。
そしてその後、お祖父ちゃん達の家に上がって、お祖父ちゃんの部屋に入りました。
お祖父ちゃんの部屋に入ったのは、中学生以降と大変久しぶりに足を入れましたが、相変わらずギッシリと物が詰められたこじんまりとしたお部屋でしたね。
そんな中でお父さんが、ここらへんの物はもう全て捨てることになるから、着れそうな服とかあれば持って帰れと言われて、サイズが合う上着を数着持って帰ることになりました。
少しの形見として貰っていいのですよね?
そんな持って帰れそうな服を探している最中に見つけたのが、右側の棚に見やすいに置いてある青と緑で編んだ手編みのマフラー。
「これ、まだ持っていたんだ……」と零すと、お父さんが「これは――があげたものか?」と不思議そうに聞き返してきました。
そう、それは私が編み物を作るのにハマっていた小学中学年の頃に渡したマフラーですよ。
まあ正直に言って、そのマフラーを見るまで、マフラーの存在も、渡したことも忘れていたものですが……。
勿論そんなマフラーを使うことはなかったでしょう。
ただ、お祖父ちゃんが未だに持ってくれていたことが何よりも嬉しくて、私は胸が一気に熱くなりました。
そして、お祖父ちゃんが居たらこのマフラーを覚えているか聞けるのに、そんな会話をすることが出来ないのだと分かり、この時ようやく少しですが、お祖父ちゃんの死を実感しました。
そして、それと同時にもうこの部屋の家主が戻ってくることがないのだと実感もしました。
祖父の死を実感してその気持ちが大きくなると、私はいつの間にか涙をボロボロと流しておりました。
また、少しして声をあげて泣いてしまい、その声はあっという間に大きくなります。
私は、今まで人が亡くなって泣いたことなんて1度もなかったというのにです。
私が小学生の時に亡くなった母方のお祖父ちゃんも、中学生の時に亡くなったひいお祖母ちゃんも、高校生の時に亡くなった伯父さんも泣くことがなかったのに、大学生である今の私はお祖父ちゃんの死に対して涙を流しました。
勿論年齢的なものも大きいでしょう。
ただ、やはりよく関わっていたお祖父ちゃんだから、いつもお世話になったお祖父ちゃんだからこそ、私は涙を流したのだと思います。
本当に大好きなお祖父ちゃんだからこそです。
家に帰っていつものような実家に帰った感覚で家に戻り、夜は私もお祖父ちゃんも大好きな寿司と刺身を食べて、またドラマの最終回を見て、ゲームをしてその日は眠りました。
そして次の朝、本当に最後のお別れをすることになりましたね。
私はお祖父ちゃんの顔を見た時に、本当に驚きましたよ。
だって、あまりにも幸せそうな顔で眠っておりましたから、もう泣くに泣けないじゃないですか。
本当に亡くなったことは悲しいし、もう動いているお祖父ちゃんに会えないことはもっと悲しいのに、泣きたいのに、泣かせてくれませんでした。
出棺する前に少し話しかけましたが、やはり動かなくて、でも笑顔で何だかもうどう反応したら良いのか分からなかったです。
そして、本当の最後のお別れで、エベレストに登るほど大好きだった登山の時に必ず被っていた帽子、死ぬまでずっとこよなく愛し続けたお酒、またお菓子、勿論お花を入れました。
また、直前に折った7羽の折り鶴を入れました。
残念ながら、2人のいとこは来ることが出来なかったので、孫代表として3羽の鶴を私が入れました。
本当はそれぞれの孫から入れて欲しかったと思うけど、その分私が彼らの思いを乗せて入れたので許してください。
そしてもう1つ入れたのが、あのマフラー。
お父さんとお母さんがきっとお祖父ちゃんが喜ぶと思うから入れてあげてと言われて入れることになってしまいました。
そのマフラーは本当に小さいし、網目も粗くて、決して上手ではないし、正直恥ずかしささえ感じてしまうのだけど、少しは喜んでくれるのでしょうか?
喜んでまでとは言いませんが、せめて 「なんだこのボロ布は!?」だなんて、呆れられないでくださいね。
遂にご出棺の時間になってしまって、祖母が霊柩車に乗り、私達は後に続く形で火葬場まで行きました。
今の霊柩車は黒だけではなく、白もあるのですね。
そんなことを思いながら、お祖父ちゃんの後を追いかけておりました。
火葬場に到着すると、 多くの方が火葬されておりました。
お祖父ちゃんも火葬する時間になってしまって、本当にもう2度と会えないだと悟りました。
もうその頃は2時ととっくにお昼ご飯の時間は過ぎておりましたので、母と共に近くのうどん屋で鍋焼きうどんを食べて、また葬儀に戻りました。
冬の鍋焼きは本当に良いものですね。
お祖父ちゃんもうどんは大好きですから、一緒に食べていたら美味しいと言っていたと思いますよ。
お祖父ちゃんは登山が趣味でしたから、体が筋肉質で、葬儀場の方もかなり時間が掛かると思いますと言われましたが、やはりその通りで火葬に約90分ほどかかりましたね。
火葬後は骨の状態で対面することになり、箸渡しも行いましたが、落としそうで本当に怖かったです。
よくよく考えたら、今まで箸渡しを行ったのは、母方のお祖父ちゃんのみだったので、ほぼ初めてみたいな体験です。
勿論火葬した後なので、周りは熱いのですが、それが気にならないほど箸渡しの時は緊張してしまいました。
そして、最後は帰るだけですが、何も持っていない私がお祖父ちゃんの遺骨と遺影を持って車に乗ることになりました。
てっきり、緊張するのは箸渡しで最後だと思っていたので、ここでも落とさないかと緊張することになるだなんて思いませんでしたよ。
勿論、ちゃんと抱えて無事に辿り着きましたのでご安心くださいね。
最後はお祖母ちゃんの家にお祖父ちゃんの遺骨と遺影を置いて、葬儀は終了しました。
そして、私は講義があるので、すぐにバスをとってはそのまま帰りました。
本当にお祖父ちゃんの葬儀で疲れてしまって、バスの中では着くまでずっと寝ておりましたよ。
あの時は気を張っていたのに、終わった途端一気に疲れが出てしまいました。
その後はご飯を食べて、そのまま寝ようと思いましたが、お風呂だけは入らなければと思って、お風呂だけは入ってすぐに寝ました。
その次の日はいつも通りの大学に向かいましたよ。
本当に悲しかったけれど、祖父が幸せそうに亡くなっていたからこそ、無事に戻ることが出来ました。
ここまで書いておきながら、まだもう少しだけ書きたいことがあります。
本当に最後だから付き合ってくださいね。
何故私がこの手紙を書こうと思ったかというと、この出来事を忘れたくなかったからです。
正直、もう母方のお祖父ちゃんやひいお祖母ちゃん、伯父さんの葬儀のことをもう殆ど覚えていなくて……。
お祖父ちゃんの葬儀も今は鮮明に覚えていても、すぐに忘れていくのだと思うと物凄く寂しくなりました。
だから、この出来事を忘れないように、忘れても思い出せるように書かせていただきました。
勿論、手書きで書こうかも迷ったのだけど、流石にこの量をありのまま書くのは出来ないから、ここで許してくださいね。
2週間前にお父さんにお祖父ちゃんと電話を代わるかと聞かれた時に、本当に代わって良かったと思いました。
あの時は全然元気そうで、会う約束もしたからやはり驚きは隠せないけど、最後にしっかりと会話が出来て良かったです。
どうやら亡くなる前日にも、私が帰ってきたらお小遣いあげたいと言っていたと聞きました。
そんな直前にも私のことを思ってくれて本当に嬉しかったです。
本当にいつもありがとう。
私はお祖父ちゃんのことが大好きでした。
そして、これからもお祖父ちゃんのことが大好きです。
もうこの先程長い間お祖父ちゃんに会えないし、まだまだやりたいことがあるから会いに行くつもりはないけど、墓参りでは間接的に会ってくださいね。
向こうの世界で、幸せであることを祈ります。
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