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第88話 政略結婚


 その日、アウレリウスは久方ぶりに実家を訪ねていた。

 彼の生家グラシアス家は、カムロドゥヌムの町に屋敷を構えている。

 けれど八年前に父と伯父が同時に死んでしまった。伯母はその前に亡くなっていて、今ではアウレリウスの母だけがひっそりと暮らしている。

 アウレリウス自身はドリファ軍団の宿舎で寝泊まりしており、屋敷に帰るのは稀だった。

 今日の帰宅は、その母に呼び出されてのことだった。


「母上。今日の用事とは、どのような内容ですか」


 夕食後、アウレリウスは単刀直入に切り出した。

 母ルチアは答える。


「ブリタニカ属州総督より、あなたに縁談が来ました。彼の娘との婚約申し込みです」


 その言葉に、彼は眉を寄せる。

 カレーと石けん、それに地炎獣討伐に伴うドリファ軍団の勢力拡大の問題は、未だに属州総督との水面下のにらみ合いが続いていた。


 ユピテル帝国は皇帝をトップに置いた官僚主義の国だ。

 元老院は皇帝の諮問機関として、また高級官僚を輩出する人材プールの場として置かれている。

 属州総督は各地方で大きな権限を持つ、地方長官である。元老院の中でも最高職の執政官を経験した者が派遣されてくる。


 一方で対魔物の最前線を担うドリファ軍団長のアウレリウスは、名目上の立場としては一個軍団の長に過ぎない。

 けれども有事の際に軍事面で強権を振るうだけの力がある。軍団は魔物に対しての備えだが、もしもアウレリウスが心変わりをしてクーデターを起こした場合、属州総督の手持ち兵力ではひとたまりもないだろう。

 もちろんそんなことをした場合、ユピテル本国から大軍が派遣されて粛清される。グラシアス家の名声も地に落ちる。

 ユピテル帝国は魔物の脅威にさらされているとはいえ、一地方では考えられないほどの大国なのだ。

 だから反乱はあるはずはないのだが、『実行可能である』というだけで人はプレッシャーを感じる。


 そのため属州総督はドリファ軍団の力を削ぐ機会をいつも狙っていた。

 若い頃のアウレリウスも、軍団再建の途中で何度も横槍を入れられて苦労した。


 アウレリウスの立場が安定して以降は、付け入る隙を与えずに過ごしてきたのだが、今年になって事情が変わった。

 ユーリの件だ。

 彼女を守るために、功績は全てアウレリウスのものとした。おかげで彼とドリファ軍団の名声は大いに高まって、カムロドゥヌムに移住を希望する者や軍団に志願する者がずいぶん増えた。

 商人たちもこれらの新しい商機に興味を示している。

 今やカムロドゥヌムの町は、人と金が集まる熱気にあふれた町になりつつあった。


 属州総督は牽制を諦めて、アウレリウスを抱き込む方針に変えたようだ。婚約の申込みは、それをよく表していた。

 彼を抱き込んで自分も甘い汁を吸うつもりだろう。


 アウレリウスが黙ったままでいると、ルチアが重ねて言った。


「悪くないお話でしょう。今の町を取り巻く問題は、私も承知しています。属州総督は所詮官僚、あと何年かで任期が過ぎて首都に戻るとはいえ、今の総督は有力貴族の出身。縁を結んでおけば、利益はかなり大きい」


「……そうですね」


 彼は思う。母の言うとおりだ、と。

 たとえ今の属州総督が任期切れで本国に帰っても、後任に息がかかった者を送り込むなど、やりようはいくらでもある。むしろ元老院と直通のパイプができれば、物資や情報の調達がかなり有利になるだろう。


 ルチアが言う。


「それに今後、どうしても利益が噛み合わなくなれば離縁すればいいのです。その点はあちらも織り込み済みでしょう」


 ユピテル帝国貴族の結婚は、ほとんどが政略結婚だ。それゆえに双方の利益が合わなくなれば、あっさりと離婚をする。

 ユピテルは一夫一妻制だが、離婚のハードルは決して高くない。再婚になれば男女ともに年齢が上がっていても許容される上、特に女性は子供がいれば『子を産んだ実績あり』として再婚がプラスに働くからだ。


「ユリウスが戻ったとはいえ、我が家に跡継ぎはまだいません。ねえ、アウレリウスや。そろそろ身を固めて、母を安心させてくれませんか?」


「…………」


 母の言葉にアウレリウスは何も返せないでいた。


(いや……、そもそも何を悩んでいる? 母上の言うことは妥当だ。ここで属州総督と組んでおけば、懸念がかなり減る。それどころか利益になるだろう。何も問題はない、はず、なのに――)


 ユーリの面影が胸に浮かんでは消える。

 けれど彼は内心で首を横に振った。


(彼女を縛り付けてはいけない。私の立場は面倒が多く、自由に生きるユーリと不似合いだ。いつか彼女が町を去るとき、快く送り出せるようにしなければ――)


 その考えは彼の心を締め付けた。


「……少し考えさせてください」


 結局、アウレリウスはそう答えるのが精一杯だった。







 その数日後のこと。

 ユーリは今日も石けんを作りながら、カレー食堂で働いていた。

 最近のカムロドゥヌムの町は人の往来が活発で、食堂にやってくる人の顔ぶれも様々である。

 行商人などはしょっちゅう新しい人がやって来るようになった。


「なあ、知ってるか?」


 そのうちの一人が得意そうに仲間に話している。


「俺の聞いた話じゃ、ドリファ軍団長のアウレリウス様が婚約するんだってよ! お相手は属州総督の娘」


「えーっ、マジか。そういや軍団長は独り身だったっけ」


「跡継ぎ問題もあるし、結婚はしなきゃだろ?」


「貴族同士だからな。政略結婚てやつだ」


 食堂はこの話題で大いに盛り上がっている。子供たちまで興味深そうに耳をそばだてていた。

 だから誰も気づかなかった。

 厨房の片隅で、ユーリが真っ青な顔で手を握りしめているのを。


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