第55話 小犬の処遇
時間は少し前後する。
魔の森の採集から帰ってきたユーリたちは、白いポメラニアンを連れてアウレリウスの執務室へ向かった。
「魔の森で妙な奴を見つけた」
開口一番、ユリウスが切り出す。剣の鞘で遺物の首輪を引っ掛けて、執務机の上にずいと乗せる。小犬はきまり悪そうな顔で机に尻を乗せた。
アウレリウスは眉をしかめたが、尋常ではないユリウスの態度を察して、話の先を促した。
「鑑定してみてくれ。こいつは何に見えるか」
「……? ただの小犬だろうが、まあいい」
小犬を見る彼の紫の目が、微かに青みを帯び――途端、ぐらりと体がかしぐ。
「アウレリウス様!」
ユーリが駆け寄って支えようとするが、アウレリウスはどうにか持ち直した。
「なんだ、それは……?」
明らかな警戒の眼差しで、小犬をにらんでいる。
ユリウスが尋ねた。
「どう見えた?」
「鑑定の結果は『犬』で間違いなかった。お前の言葉がなければ、それで終わる程度のありふれたものだった。だが、細かく見ようとした瞬間に強烈な違和感に襲われた。表現し難いが……あえて言うならば、濃すぎる魔力の渦に無防備に手を突っ込んだような感覚」
「やはり、そうか。こいつは魔物だよ。それも恐らく規格外に強力だと思われる個体」
「なに!? ユリウスよ、お前、そんな危険なものを町に持ち込んだのか!」
アウレリウスが立ち上がった。視線だけを小犬にやると、その周囲に魔力の防壁が張り巡らされる。防壁は小犬を閉じ込めた。
ユリウスは肩をすくめた。
「僕も迷ったんだけどね。殺そうとしても一筋縄ではいかないし、なによりもユーリに懐いている。無理に追い払ったり殺してしまったりしたら、彼女が悲しむと思って」
「冗談でしょ……」
くすくす笑っているユリウスに、ユーリはげんなりして言った。彼が遠慮のない殺気を放っているのは、何度も見ている。今更という感じだった。
「まあ、それは冗談半分本気半分で。僕が思ったのは、こいつは魔王竜の手がかりになるかもしれないということさ」
アウレリウスは無言で目をそばめた。端正な顔から完全に表情が消えて、まるで彫像のように佇んでいる。
ユリウスは続けた。
「幸いにして、こいつは今は害意がないらしい。ユーリが言うには、ユーリの故郷に何かの関係があるかもしれないと」
ユリウスの視線を受けて、ユーリはうなずく。彼女がヤヌスの選定で異世界から転移して来たことは、ユリウスと仲間たちには話してあった。
「私の故郷で、この小さい白い犬のマスコットが人気だったんです。何匹かいて、赤い首輪の子もいました。偶然とは思えない」
「……異世界の?」
アウレリウスの感情のない声に、ユーリは気圧されないよう必死で答えた。
「私の世界には、魔物なんていませんでした。もしかしたらこの子は、私以外のヤヌスの英雄に由来するかもしれません。もしそうであれば、この子は人間の味方です。たとえ魔物の姿であっても」
「なるほど。一応は筋が通っている。――ヤヌスの英雄は過去に五人。剣聖マーティン、巫女ヨハンナ、軍師シンロン、鍛冶師オサフネ、そして大魔道アイリ。最も古い英雄は巫女ヨハンナ、およそ八百年前の建国期の存在だ」
アウレリウスの言葉に、ユーリは反応した。
「オサフネという人は、私と同じ日本人かもしれません。刀鍛冶の一派で有名な名前です。あと、地球とユピテルは必ずしも同じ時間ではないのかも」
白犬は日本でそれなりに歴史のあるマスコットだが、それでも数十年程度だ。何百年も前のヤヌスの英雄たちが持っていたとしたら、異世界の間では時間のズレがあると考えるのが妥当である。
「なるほど、きみの考えは興味深い。……オサフネは特殊な剣の打ち方をユピテルに伝えたと言われている。ただ材料の調達が困難だったこともあり、作られたものはごくわずか。現存しているものは一本もない」
「オサフネの剣が見つかったら大変だよ。剣士の間で奪い合いになるだろう」
と、ユリウス。
「ついでに言うと、大魔道アイリは僕らグラシアス家の祖先でね。五百年前に魔の森を一度は平定してみせたすごい人物さ。活躍の途中でブリタニカの地の青年と結ばれて、グラシアス家を作った。アウレリウスもそうだが、うちの家系に魔力持ちが多いのは彼女の血筋だろうね」
(アイリ。アイリーンかしら? それなら英語圏の女性だったのね)
ユリウスの言葉を聞きながら、ユーリはそんなことを思った。
ユリウスは続ける。
「ユーリの意見もあって、この犬の危険度はとりあえずは低いと見ている。それよりも特異な魔物だ。調べられるだけ調べて、魔王竜につながる何かを引き出せないかと思ったんだ」
「……ユリウスよ。ユーリの心情を抜きにして、この犬を殺せるか?」
アウレリウスが平坦な声で言ったので、ユーリは驚いた。
ユリウスは軽く首を振る。
「分からない……。実は一度、とどめを刺すつもりで剣を抜いた。だがあっさり逃げられたよ」
「お前に殺せぬのであれば、誰の手にも余るだろう。……承知した。町に置くのを許可しよう」
小犬の周囲の魔力障壁が解かれた。ポメラニアンは嬉しそうに立ち上がって机を飛び降り、ユーリの足元までやって来る。
「ユーリよ、よく見張っておいてくれ。今となってはきみの意見と善意を信じるしかないようだ」
「はい。根拠がなくて申し訳ないけれど、私は大丈夫だと思っています。この子がどうしても、悪いものには思えなくて」
ユーリは小犬を抱き上げる。小犬は小さい舌を伸ばして、彼女の鼻の頭を舐めた。
「ふふっ。……あ、そうだ。お前の名前を決めてやらないとね」
小犬は期待に満ちた目でユーリを見上げている。
「元のマスコットの名前は、まずいか。うーん。それじゃあ、真っ白でふわふわだから『シロ』!」
ユピテル語ではなく日本語で『白』。久々に口に出した故郷の言葉に、ユーリは胸が切なくなる。
「シロ? 変わった響きだね」
ユリウスが不思議そうにしている。
「私の故郷の言葉なの。意味はそのまま、白。よろしくね、シロ」
「ワン!」
シロは名前が気に入ったようで、小さい尻尾を千切れるばかりに振っていた。