第40話 意地っ張りの終わり
執務室の沈黙は、ずいぶん長いこと続いた。
やがてアウレリウスが、諦めたように息を吐く。続いてユリウスも軽く首を横に振った。
「客観的に見れば、私たちの問題は、意固地になりすぎている点が大きいか」
アウレリウスが言えば、ユリウスも同意した。
「お互いに父とおじを殺されて、頭に血が上っていたんだろうね。……アウレリウス、すまなかった。僕は軍団を率いる器ではないと、最初によく説明してから出ていくべきだった」
「いや……。私こそ、個々の適性に目を向けず、嫡男だからとお前に多くを押し付けすぎていた。我々は、もっと話し合うべきだった……」
ぎこちなく言葉を交わし合う従兄弟たちに、ユーリはそっと笑う。彼らは理性的で頭の良い人だ。しがらみを取り払えば、前向きな話し合いができるだろう。
ユリウスが照れ笑いを浮かべながら言う。
「ユーリといっしょに来て正解だったよ。僕一人でアウレリウスの前に出たら、売り言葉に買い言葉で喧嘩別れしそうだった。ユーリに借りができてしまったね」
「それは否定できんが、そういえば、どうしてユーリがユリウスと?」
アウレリウスが首をかしげたので、ユーリはようやく本来の話題を引っ張り出した。
「アウレリウス様。一つ、新しい事業の提案があるのです」
「ほう。言ってみろ」
「はい。核となるのは、魔物肉を食用として利用すること」
ユーリの言葉にアウレリウスは眉をしかめた。ユーリはうなずく。
「おっしゃりたいことは、分かります。私も最初に魔物肉を食べたとき、とてもじゃないけど食べられないと思いました。――でも、ひらめいたのです。私の故郷の料理を使えば、臭みも硬いのもなんとかなりそうだ、と」
ユリウスはニコニコとうなずき、アウレリウスは疑わしそうな目をしている。
「試食分を持ってきました。ホーンラビットの肉カレーです」
ユーリは小さな陶器のポットを取り出して、ふたを開けた。ふわりとスパイスの香りが漂う。
「さあ、どうぞ」
「ホーンラビットか……」
アウレリウスは眉を寄せながらもポットとスプーンを受け取った。
陶器のポットに入れてきたが、カレーはいくらか冷めてしまっている。
彼は今ひとつ決心がつかないようで、ポットのカレーをかき混ぜた。
「アウレリウス、迷うなよ。本当においしいから、ぱくっと食べてみて」
ユリウスが囃し立てると、アウレリウスは嫌な顔をした。それから思い切ってスプーンに肉を乗せ、口に入れる。
「……む。これは」
もぐもぐと咀嚼して飲み込んだ後、彼は目を見開いた。
「美味い。冷めているのが少々惜しいが、臭みも多少気になる程度。もちもちとした噛みごたえに、ハーブが混じった肉汁が出ている。複雑なスパイスの味も、飲み込めば存外に爽やかだ。――これを、ユーリが作ったのか?」
「はい。私の国の郷土料理、いえ、ソウルフードです」
ユーリは少し照れながら胸を張った。
「そうか……。いつぞやの白いシチューといい、きみの国は食文化が豊かなのだな」
「確かにそうですね。色んな国の色んな食材を、自分の国に取り入れてしまうのが得意ですよ」
「懐が深い国だ。素晴らしいよ」
アウレリウスは言いながら、ポットのカレーを完食した。
空になったポットを受け取り、ユーリが言う。
「これで、魔物肉の可能性は分かっていただけたと思います」
「うむ。今まで捨てていた魔物肉を食糧として転用できれば、飢える民も減るだろう」
「はい。それに魔物肉を調理する仕事が増えますから、その分だけ働き手を必要とします。ただ解体するだけではなく、食用に適した肉の部位を取り出して加工する必要もあるので、解体師の仕事も増えますね」
「仕事が増えればそれだけ給金をもらう者が増えて、社会で金が回る。景気が良くなるな」
「ええ」
流れるように交わされる会話の横で、ユリウスが苦笑している。
「ほらね。僕じゃこういう話は難しいんだ。組織のトップはアウレリウスじゃないと」
そんな彼にじろりと視線を向けて、アウレリウスは続けた。
「しかし、きみが来たのはそれだけではあるまい。本題は何だ?」
「本題は仕事と町の景気の改善事業についてですけど。それ以前に、このカレーは未完成なんです」
「なんだって? これだけ美味い料理が未完成?」
「はい。完成するには、もう一つスパイスが必要です。それが……」
「黄色マンドラゴラ!」
ユーリの言葉をユリウスが受けた。アウレリウスがにらんでいるが、どこ吹く風である。
「黄色マンドラゴラは植物の魔物だが、どうしてそんなものが?」
「調べてみたら、黄色マンドラゴラの根は私の知っているスパイスによく似ているんです。まだ直接確かめたわけじゃないから、確証はないのだけど。でも、これがあればカレーはもう一段階美味しくなるんですよ」
「そうか。それで、黄色マンドラゴラの採集許可を取りに来たと?」
「いいえ」
ユーリがきっぱり言うと、アウレリウスはまたもや首をかしげた。
彼女は続ける。
「私はユピテル帝国についても、魔物についてもまだまだ無知です。せめて自分が扱う食材は、きちんと知っておきたい。クミンやコリアンダーなどの他のスパイスは、私の故郷にもあったので知っています。でも、黄色マンドラゴラは初めて聞きました。だからぜひとも、植生――森で生えている状態から確認したいのです」
「……それで?」
悪い予感を察したアウレリウスが、目を細めて言う。
ユリウスがニヤリと笑って答える。
「それで僕が、黄色マンドラゴラが生えている場所まで、お嬢さんを護衛するというわけさ。カムロドゥヌムの町に必要な事業だから、護衛代はもちろんロハでね。ついでに仲間にも話を通しておいたよ。みな、魔物肉を美味しく食べられる料理に興味津々だった」
「お前がユーリの護衛を!?」
アウレリウスが言った。いつも物静かな彼としては大きな声だったので、ユーリもユリウスも驚いた。
「安全は確保できるのか。彼女は戦いの素人だが」
「もちろん。銀刃のユリウスの二つ名に賭けて、彼女の安全は保証する。仲間も腕利きばかりだ。問題ないよ」
「パーティメンバーは?」
「僕と弓使い、魔法使いの三人。バランスが取れているだろう?」
「…………」
アウレリウスは少し黙った後、こう言った。
「護衛の魔法使いを私と交代させろ。それが採集許可の条件だ」