第11話 深淵をのぞくとき
倉庫の中は混沌に満ちていた。
ついでに悪臭にも満たされていた。
荷運びの男たちは慣れたもので、荷車の荷を解いてさっさと倉庫へと運び込んでいく。ゴブリンの生首とやらは布で包まれていて、直接見えないのが唯一の救いだった。
ユーリは恐る恐るカオスの向こう側を覗き込んでみた。
倉庫は入り口近くからして既に迷宮のようで、雑多に並べられた背の高い棚に何の規則性もなくモノが置かれている。
何やら枯れ木の枝のようなものの隣は、獣の牙。さらにその横に丸い石。全部むき出しの状態で、細かいものはかろうじて箱に入れられている。
少し奥に見える細長いアレはなんだろうか。指が六本ある手に見えるのだが、気のせいだろうか。
――深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ――
ユーリの脳裏に、いつだったか聞いた言葉が蘇る。
コッタたち荷運び人は少し奥まで入っていって、棚の下段に袋を置いた。乱雑に置くものだから時々棚からコロンと転がり落ちる。
それを足先でひょいと押しのけて、次の荷物を置くのだ。押しのけた拍子にその奥の何かがガシャンと音を立てても、彼らはちっとも気にしていない。
漂う悪臭と相まって、ユーリはめまいを覚えた。
一歩下がって倉庫の扉にもたれかかる。
するとコッタが心配そうに言った。
「ユーリ、大丈夫かよ? 顔色が悪いぞ」
「ごめん、ちょっとめまいがして」
「そりゃいかん。事務所で休んでいけよ。何なら今日は早引けでもいいだろ」
そう言われて、ユーリは甘えようかと思った。でもこのめまいは別に病気なんかではなく、目の前の惨状にショックを受けたためだ。
そしてこの惨劇の現場は今日からユーリの職場なのである。初日から引き下がってなどいられない。
「大丈夫! 外の風に当たればすぐ治るから」
「そうかい?」
「それで、私は何をすればいいのかしら。倉庫整理!?」
ユーリが全身に気合を入れ直していると、コッタは苦笑した。
「いやいや、あんたみたいな細腕じゃ力仕事は無理だろ。あっちの事務所にナナっていう事務員がいる。彼女から詳しい話を聞いてくれ」
ユーリはちょっと肩透かしを食らった気分になったが、気を取り直して事務所に行った。
事務所はレンガ造りの小ぶりな平屋である。中に入ると机がいくつかあり、若い女性が一人椅子に座っていた。
「こんにちは、今日からここで働く山岡悠理です。あなたがナナさん?」
「…………」
女性はちらりとユーリを見て、小さくうなずいた。
「なにをすればいいか、ナナさんに聞くように言われたのですけど、どうしたらいいですか?」
「…………」
ナナはやはり無言である。
ユーリは少し不安になって彼女を見た。
ごく若い、少女といっていいくらいの年頃の人だった。たぶん十七歳か十八歳くらいだろう。緑色がかった灰色の髪を肩まで伸ばしている。伏し目がちの瞳はまつ毛に隠されていて、色合いは良く分からない。
困惑したユーリが立ち尽くしていると、ナナはようやく声を出した。
「ユーリさんの……席は、そこです」
示された机を見る。素朴な木製の机で、椅子も日本のオフィスチェアではなく、キャスターなどはついていない。
ユーリはそこに座ってみた。ナナを見るが、彼女はまたもや無言である。
ユーリは仕方なく立ち上がって、事務所内をあちこち見て回った。
書棚があったのでよく見てみると、中に収められているのは冊子ではなく巻物だった。ユーリは驚いてそれを手に取った。革製のカバーがしてあったので、取り外して中身を見てみれば、素材の目録だった。
巻物なので、紙を少しずつ引っ張っては先を読む。冊子に比べるとなかなかに不便だ。
ユーリは既に読み書きは問題ないレベルになっていた。計算はもともと得意なので、それも問題ない。
巻物はいちいち手繰らないといけなくて読みにくかったが、それでもなんとか読み進めていく。
手に取った巻物は魔獣型――四足歩行をする獣に似た魔物――の素材だったようで、色々な魔物の名前と部位が書いてあった。
ざっと目を通した後に隣の巻物を見ると、留め紐に表題が書かれているタグがついていると気づいた。そちらには『亜人型』と書かれている。開いてみれば、『ゴブリン』『オーガ』など日本でも聞いたことのあるような魔物の名前が連なっていた。
ユーリは書棚を見渡して、素材以外のものを見つけた。タグに『在庫表、A.V.C.八百六十三』とあるのを見つけて開いてみる。A.V.C.はユピテル帝国の暦で、八百六十三年は今年である。
「え?」
ところが、在庫表を開いたユーリは思わず声を上げた。今はもう四月なのに、中身はほとんど真っ白だったのだ。
先程見たばかりのカオスな倉庫が脳裏に浮かぶ。あれだけぱんぱんにあふれそうになっているくせに、書類の在庫表はほぼ白紙。これはいったいどういうことだろうか?