第103話 終わりの始まり
高度を下げた白竜の背から、アウレリウスが跳んだ。
空中に作った風の土台を足場にして、魔王竜に肉薄する。
黒の触手を魔法で跳ね除け、防いで、鎌首をもたげた頭部に着地。
(あそこか)
ユリウスが一撃を加えた場所、ウロコを弾き飛ばした首の一点を見つけた。
確かにそこは、頚椎の繋ぎ目。刃を入れるには最適の場所だ。
アウレリウスはその場所に、氷の楔を打ち込んだ。氷は彼が最も得意とする属性。かつて魔王竜の翼を撃ち抜いた魔法も、氷だった。
小さな痛みに魔王竜が身動きした。
アウレリウスは魔王竜の首に魔力の道を通す。氷の楔を起点として、骨の隙間を通して。
魔法の攻撃ではなく、魔力そのものの貫通である。
黒竜の体内魔力とぶつかって、ねじれそうになるのを抑え込み、ただまっすぐに。無銘の一太刀を導く光となるように。
今や彼の魔力は一本の糸のようにぴんと張られている。
同時にユリウスも白竜の背を蹴った。
両手に握った無銘が、金と銀との光に包まれる。
目指すは魔物の首筋。一度は刃が弾かれた場所。今は楔が打ち込まれた場所。
渾身の力に落下の速度を加えて、ユリウスは一点だけを見ている。まるで吸い寄せられるように。
彼の目にははっきりと、金と紫の魔力が視える。ひとすじの光となって、魔王竜の首を断てと呼んでいる。
だから彼は呼ばれるままに刃を振るった。
全身全霊の攻撃。迷いは微塵もなかった。
銀の魔力に包まれて、まばゆく輝く彗星のような一撃だった。
無銘の刃がウロコを砕き、肉に食い込む。骨の繋ぎ目を斬り飛ばす。
気管を食道を断ち切り、まっすぐに。
一筋の閃光めいて、首筋に光が走る。
魔王竜は叫ばなかった。気管と声帯が断ち切られたせいで、声が出なかったのだ。
ズズ、と鈍い音がする。
断面がゆっくりとずれてゆく。
やがて半ば以上のずれになって――頭が落ちた。地響きが起きるほどの重量感だった。
頭部を失った巨躯が崩れ落ちる。
首の断面からどす黒い血があふれ出て、雪の地面を黒く染めた。
魔王竜はそれきり動かなかった。
「やった、のか……?」
地上、雪の積もる地面に膝をついて、アウレリウスが呟いた。
目の前には、頭をなくした魔王竜の巨体。首からはとめどめもなく黒い血が流れ出ている。
アウレリウスは従弟を探す。
ユリウスは黒い血を浴びながら、抜き身の無銘を支えにしてかろうじて立っていた。
銀の髪は黒く染まり、ムーンストーンの瞳は虚ろ。すべての力を出し切って半ば意識を失っていた。
「ユリウス。しっかりしろ」
アウレリウスが肩を支えれば、彼はようやく目を上げた。
「終わった、かな……」
「ああ、終わった。お前が終わらせたんだ」
「いいや、僕らが、だよ」
微かな笑みがユリウスの顔に浮かぶ。大きな怪我もなく、生気が徐々に戻ってきている。
アウレリウスは安堵の息を吐いた。
白竜がユーリたちを乗せて、すぐ近くに舞い降りた。
ロビンとヴィーが飛び降りて、ユリウスを支えた。
ユーリも降りてアウレリウスに駆け寄る。
「勝ったのね。二人とも無事で良かった……」
「ああ、ついに悲願を果たせたよ。これでようやく、父と伯父も安らかに眠れるだろう――」
アウレリウスは軽く目を閉じ、すぐに開いた。
ユーリは彼を見上げて驚いた。
その紫の瞳は勝利の高揚ではなく、警戒と不審に染まっていたのだ。
「どうしたの?」
「何かがおかしい。魔王竜は死んだはずなのに」
アウレリウスは魔王竜の死体を見る。しばらく視線を巡らせて、やがて一点で止めた。心臓の近くだった。
みなが身を強張らせて注視する中、異変は起きた。
魔王竜の死体がまるで腐敗するかのように崩れ始めたのだ。
流れる血は相変わらず地を染め続けているのに、肉だけがぐずぐずと溶けていく。
心臓の部分が盛り上がった。菌糸類の萌芽を思わせるふくらみだった。
ごぽり。腐肉の弾ける音がして、崩れた肉の中から何かが現れる。
最初に目についたのは、漆黒。魔王竜のウロコよりもなお黒いそれ。
それが人の髪の毛だと気づいたのは、ユーリが最初だった。
次いで人の頭部が、身体があらわになる。
長い髪。細い体。不思議な光沢を放つ真珠色の肌。身にまとうのは、不自然に白いワンピース。
胎児のように折りたたんだ体を、ゆっくりと伸ばしていく。
崩れ行く魔物の肉の上に、一人の女性が立っていた。