第102話 膠着
魔王竜と白竜は互いに睨み合いながら、手を出しかねている。
白竜は魔王竜の周囲を飛んで、牽制を続けていた。
ユリウスは歯噛みする。
(ここまで来て致命傷を与えられないとは。クソ、どうすればいい)
無銘の柄を強く握る。刀身にきらめくのは、金と銀の魔力。
彼自身の銀と、心から敬愛する従兄の金。
この刀は鍛冶師と二人の従兄弟と、そしてユーリの力で作り上げた。
魔王竜は今や穴から完全に地上に這い出ている。しかし片翼を失ったせいで飛翔はできない。
八年前は空高く舞い上がって天を黒く塗りつぶし、破壊の黒炎を吐いていた。
その行動を防いだだけ、今回は有利。
(片翼)
ふと、ユリウスは思い至った。首ほどの太さ、強靭さではないにしても、右の翼はあっさりと斬り飛ばすことができた。
なぜ、あのときは斬れた? どうして斬れると確信した?
ユリウスは無銘の刀身を見る。金と銀の光に包まれた刃を。
「アウレリウスがいれば……」
ユリウスは絞り出すように言った。
翼を斬り伏せられたのは、古傷にアウレリウスの魔力が残っていたせいだ。楔のように打ち込まれた魔力は八年の時を経てその場に留まり、無銘の魔力と呼応して無類の切れ味を呼び起こした。
ユリウスは思わず南を、魔の森の入り口を振り返る。軍団を率いた従兄が戦っている場所を。
(今から彼を迎えに行くのは、とても無理だ)
目の前の魔王竜に背中を見せることになる。追撃を受けながらの後退戦は、他のどんな戦いよりも難易度が高い。
たとえ後退ができたとしても、ドリファ軍団の戦線に魔王竜を連れて行くことになる。被害の拡大は必至だった。
それにもしも――ドリファ軍団が魔物の群れによって壊滅していたら?
アウレリウスが既に帰らぬ人となっていたら?
そんなことは考えたくなかったが、戦場では何があるか分からない。可能性はゼロではない。
(ダメだ。魔王竜は必ず、僕の手で殺す!)
ユリウスは無銘を強く握りしめる。刀身からまばゆい光が立ち上った。
彼の力を全て込めて、渾身の一撃を叩き込む。それ以外に手段はない。
そして、それでも斬れなかったときのために、もう一段の攻撃が必要だった。
「シロ、次で決める。僕の回収は考えなくていい。距離を取ったら、あの白いブレスを全力で叩きつけろ!」
「ユリウス!」
悲痛な声を上げるロビンとヴィーを黙殺して、ユリウスは続ける。
「お前が来てくれて助かった。ユーリのもとに帰ったら、感謝を伝えてくれ。それから……」
――いつまでも愛している。その言葉は口には出さず、飲み込んだ。
「グルルゥ……」
白竜が悲しそうに喉を鳴らしている。
「頼んだぞ」
ユリウスは言って立ち上がった。雪風が強く吹きすさんでいるけれど、彼にとってはどうということもない。
「ウゥゥ……ワオォ――ン!」
と。シロが大きく鳴いた。それは白竜というよりも、元の小犬の声に近い鳴き声だった。
同時に上空に魔法陣が現れる。それは雪景色の中で一際白く、輝く光で描かれていた。
魔の森の入り口では、ドリファ軍団と魔物の群れの戦闘が終わりに近づいていた。
包囲殲滅からの一部開放は作戦通りに進んで、今や混乱して逃げ惑う魔物を掃討する段階に入っている。
魔物暴走の兆候をいち早く掴んで、対処をした。
戦場を設定して魔物を誘導することで、落とし穴の罠を最大限に活かせた。
冬の季節でも兵士たちは健康で士気が高く、十全に戦えた。
そして何より、ユリウスとシロが魔王竜を抑え込んだおかげで、軍団は雑魚の魔物だけに集中できた。
何もかもが八年前と違う。
アウレリウスはユーリを胸に抱きながら、油断せずに指揮を取り続けた。魔物の最後の一匹を殺し尽くすまでは終われないと、彼は知っている。
と。
雪空が白く光った。純白の光は魔法陣を描いて浮かび上がる。
「あれは……!?」
見たこともない術式を目にして、アウレリウスが不審と驚きの声を上げる。
まばゆい白色に照らされてユーリが言う。
「シロの魔力よね?」
「それは間違いない。だが何の魔法だろうか」
カッと魔法陣が輝いた。
雪よりも白い光がユーリとアウレリウスに降り注ぐ。彼らの体がわずかに浮いた。
「な――」
声を上げたのは、誰だったのか。あまりのまぶしさにみなが目を閉じた。
輝きが消えたとき、馬上のユーリとアウレリウスの二人の姿が消えていた。
白い魔法陣は輝きを放って、白竜とユリウスらの頭上に光を降らせた。
「きゃあーっ!」
まぶしさの中から声がする。ユーリの声だ。
ユリウスが驚いて上を見上げると、彼女が落下してきた。慌てて抱きとめてやる。
「ユーリ! どうしてここに」
「ユリウス!? それはこっちのセリフよ!」
白い光は既に失われ、魔法陣は薄れて消えた。
ユーリはきょろきょろと周囲を見る。
「アウレリウスは? さっきまで一緒だったの」
「……ここにいる」
声に一瞬遅れて、アウレリウスがシロの背中に着地した。
「今のは転移魔法か……。大魔道アイリの秘奥義のはずだが、何でもありだな、お前は」
そう言って白竜の頭に軽く触った。
それから振り返って、ユリウスをジロリと睨む。
「それよりもユリウスよ。人の婚約者をいつまで抱いているつもりだ」
「はいはい。こんなときまでそれだもんね。良かったねユーリ、愛されてるよ」
ユリウスはニヤニヤ笑ってユーリを降ろした。ユーリは気まずい顔である。
ユリウスは森の入り口を振り向いて言う。
「アウレリウス、魔物の群れはどうなった? あなたが戦場を離れて平気なのか?」
「あちらはおおむね片付いた。残りはペトロニウスの指揮でどうとでもなるだろう」
アウレリウスは改めて前を見る。雪風の吹く視線の先には、漆黒の魔物。
「――魔王竜」
「目は潰したし、片翼も落とした。けれどそれ以上の致命傷を与えられないんだ」
「無銘でも斬れないのか」
「残念ながら……と言いたいところだけど」
ユリウスは不敵に笑う。
「アウレリウスの協力があれば、斬れる。あなたの魔力を呼び水として、無銘の力を最大限に引き出すんだ。そうすれば、必ず」
「――承知した」
ユリウスの言わんとすることをすぐに察して、アウレリウスはうなずいた。
言葉での打ち合わせは不要。
従兄弟たちは互いの意図を汲んで、眼下の魔王竜に対峙する。
そうして最後の戦いが始まった。