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探偵狂想曲―縺れたヘルメスの杖―  作者: 東堂柳
双子塔の殺人 第一章 死縞島の双之塔
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最初の真相

 オカルト趣味探偵、美神麗の推理を否定する声は、通路を挟んだ隣の席――先程彼女が筋肉質の男と呼称した極彩遥の口から放たれたものだった。


「あら、違うって、どうしてかしら?」


 そう尋ねる彼女の眼は挑戦的で、口調は刺々しい。彼女もまた、自分が間違っているなどとは欠片も思わずに、今の推理を披露していたのだろう。彼女に必要なのはそれを称賛する声であり、反対する異分子などただの邪魔者でしかないのだ。

 しかし、極彩さんは物怖じする様子もなく、平然と、まるで今日は寒いですねと日常会話でもするように、それを言い切った。


「愚問。夢幻斎京璽は先日彼岸へと旅立った。既に荼毘に付されている」

「ちょっ、ちょっと、極さん! そ、それはまずいですよ」


 極彩さんの隣に座っていた線の細い男――雨分形と美神さんが言っていた男が、極彩さんの太い腕を掴んで揺さぶろうとする。が、非力なせいか彼の生み出すエネルギーは筋肉に吸収されて、極彩さんのほうは微動だにしない。

 雨分形さんの必死の抵抗も虚しく、極彩さんから発せられた衝撃は、一瞬間に船内に伝播する。


「えッ、そうなんですか」

「夢幻斎氏が死んでるって?」


 ミステリに一切興味がない人間でさえ、彼の名前は耳にしたことがあるという知名度だ。ミステリ好きの人間がそれを聞いて黙っていられるわけがない。日出さんの反応が薄いのはいつものこととしても、三千目さんなど、驚愕で顎が外れそうになっているではないか。さしもの彼も、美神さんの推理が外れた喜びより、著名なミステリ作家の死のショックが勝ったようだ。


「でもそんなこと、ニュースでも聞いたことがないですわ!」


 美神さんの反論はしかし空を切る。極彩さんは一般人の二、三倍の直径はありそうな――隣のがりがりの雨分形さんと比べると彼の腰回りくらいの太さがあるようにさえ見える、筋肉でパンパンの腕を組んで、やはり動ずることもなく淡々と言った。


「当然。夢幻斎氏のような生ける伝説的作家の逝去は出版業界において痛手だ。故にこの事実は世間に伏せられている」

「ちょっ……。まずいですって、極さん」

「じゃあ貴方がたは――」

「無論。その世界の人間だ。でなければ知りようがなかろう」


 泰然自若。山の如くどっしりと構えた極彩さんの言には重量感があって、それが周囲の人間に有無を言わせぬ説得力を生んでいる。躰だけでなく言葉にも筋肉がついているようだ。雨分形さんの狼狽ぶりも、それを対照的に引き立てている。


「ボクもおばさんは考えすぎだと思うな」


 その声は下方から聞こえてきた。咄嗟にそちらに目を向けると、そこにはさっき操舵室から出てきた小学生くらいの子供が立っていた。おかっぱ頭の彼はスマホを片手に持ち、もう片方は厚手のピーコートに突っ込んだまま、これまで他人を寄せ付けないでいた美神さんを、あろうことかおばさんと呼んだ。


「おば……」


 あまりのショックで二の句が継げないでいる美神さんに対して、意気揚々と三千目さんがその小学生の頭を撫でる。


「だろ? やっぱり僕の――」

「おじさんは考えなさすぎ」


 小学生――美神さんによれば、彼の名は一竜と言ったか――はばい菌に触れられたかの如く不愉快そうに三千目さんの手を払いのけた。彼もまたおじさんと呼ばれた予期せぬ流れ弾で呆けてしまう。

 その隙を突いて、一竜くんは乱れた髪の毛を手櫛で整えつつ、自分の許に届いた依頼状の便箋をおじさん――否、三千目さんに見せた。


「少なくとも依頼状を書いたのがただのガサツな人だとは思えないね。この三つ折りの折り目を見てよ。綺麗に三等分されているでしょ。折り目を直した跡もないし。本当にガサツなら、こんなところに気を遣わないよ」


 さらに一竜くんはおばさん――否、美神さんに向き直る。


「八卦の暗号にしたって、あまりに根拠がなさすぎるよね。おばさんは先天図を使って八卦の方角を決めていたけど、八卦には後天図もあるでしょ。そっちを使わなかったのはどうして?」

「それは――」

「二枚の便箋がイニシャルのそれぞれに対応しているっていうのもただの憶測だし、そもそも八卦を持ち出したのも、自分の便箋の罫線に偶々擦れて途切れた箇所があったからっていうだけ。僕の便箋にそんな切れ目はないし、さっきおばさんが指摘していたようなずれ方はしていないよ」


 美神さんの推理が正しければ、彼の便箋は一枚目が右に、二枚目が左上に向かってずれているはずだが、実際には一枚目が左上に、二枚目が下に寄っている。これでは、KYではなくOS――KYOUJIがOSOUJIになってしまう。夢幻斎お掃除ではなんとも間が抜けている。それに気付いたのか、雨分形さんが極彩さんの影でこっそりプッと吹き出している。


「色々深読みして、取り敢えずでやってみたらうまくいったから、そうだと決めつけただけじゃないの?」

「ちょっと、おばさんって、私まだ二十二よ? 失礼な子ね」


 推理の粗を指摘されたことよりも、まださっきの発言を根に持っていたらしい美神さんが鬼のような形相をしているが、二十二でフリルだらけのドレスを身に纏って、西洋人形のような格好をしているというのも実際いかがなものか。


「小学生からしたら大人はみんなおじさんおばさんだよ」


 至言である。そのせいで美神さんの後に続こうとした三千目さんも、再び意気消沈してしまったらしく、俯いて大きな溜息を吐くばかりであった。


「まあ、そこのお姉さんはわかってたみたいだけど」


 当てつけのように、一竜くんはまだ高校生の日出さんを”お姉さん”と呼んだ。そのせいで美神さんの恨みの目線は彼女に向けられることになってしまった。


「そうなの?」

「おじさんが誰でも出来そうなしょうもない推理をしている時には眉根が数ミリ寄っていたし、おばさんがまるで陰謀論者みたいなこじつけをしている間は余所見をしていたでしょ?」


 彼の指摘に対して、日出さんは視線を逸らして黙秘を決め込んでいる。反論しないということは、事実ということだろうか。

 正直なところ、ぼくは不甲斐なさを覚えた。

 少なくとも数時間前に出会ったばかりの小学生のほうが、数ヵ月前から助手をやっているぼくよりも日出さんの心情変化に明るいなんて。一体ぼくの立場はどうなるのだろう。

 ぼくは密かに、この一竜くんに嫉妬と羨望の眼差しを向けた。 


「で、でもさっき、僕が訊いた時には、依頼状を送り付けた人物像は全部話したって言ってたよね? あれは嘘だったってこと?」


 狼狽している三千目さんが日出さんに確認するが、彼女はいとも簡単に彼の梯子を外してしまった。


「嘘ではありません。あの時は依頼主について訊かれたので、それですべてだと言いましたが、依頼状を送り付けた人間については、すべてを話したわけではありません」

「そんな……。だ、だけどさ、もしそうだとしても、どうして依頼状を出す人間がこんな手の込んだことをするわけ?」

「そのくらい自分で考えなよ。脳ミソついてんでしょ」


 一竜くんの煽りが冴える。三千目さんはへらへらしながらも明らかにムッとして顔が紅潮しているが、小学生相手に本気でキレるのも大人げないと思っているのか、正鵠を射ているせいで怒るに怒れないのか、とにかく必死で堪えているのがわかる。


「ってか、何そのネックレス。火中の栗を拾うって心掛けでも表してるの? まァこの様子じゃ、猫はもちろん猿まで大やけどで共倒れしそうな感じだけど。そういうのさ、火中の栗よりも、有難迷惑のほうが合ってるんじゃない?」


 一竜くんの煽りが、例の燃えた栗のような飾りのついた三千目さんのネックレスに向かったその瞬間、彼のへらへらの皮が剥がれた。これまでに見せたことのない、憤怒に満ちた形相である。といっても、般若のような豊かな表情というわけではなく、むしろその逆。静かな怒気は澄ましたような顔から迸っている。

 そして三千目さんは、そこで初めて立ち上がった。彼の身体がぐんと上に伸びる。相当に背が高い。間違いなく優に二メートルは超えている。


「なんだと、おい、坊主……」


 調子の良さそうな声が一転して、声量こそ大したことはないがどすの効いたそれは、圧倒的な身長差――一竜くんの倍ぐらいありそうにさえ見える――も相まって、彼を心胆寒からしめるには十二分どころか二十分くらいの勢いがあった。今にも呑み込まれてしまいそうだ。

 顔に三千目さんの影がかかってわかり辛いが、一竜くんはかなり怯えているらしく、目は泳ぎ、その口から出てくる言葉も戦慄わなないている。


「な、なんだよう。きゅ、急にそんな、こ、怖い顔して……。ひ、他人を脅したりなんかしちゃ、い、いけないんだぞっ」


 精一杯の虚勢は、彼がまだ小学生であることを想起させる。頑張ってひりだしたであろう情けない声で我に返ったらしい三千目さんの表情の緊張が僅かに緩和した。

 その瞬間――。

 周囲に満ち満ちていた悪い空気を一太刀で切り捨てるかのように、パンッと小気味の良い音が日出さんの袖から奏でられた。

 注目が一斉に彼女に集中する。


「確かにそこの一竜くんの言うように、私は最初から、この依頼状を送付した人物について、お二人とは別の考えを持っていました。とはいえ、確信したのは三千目さんと美神さんの手紙を見て、受け取った人によって手紙のずれ方が違うとわかったおかげです。それに、誤解させてしまったのなら、ごめんなさい。三千目さんの時に眉を寄せたように見えたのは、彼の便箋を目を凝らして観察していたから。美神さんの時に余所見をしていたのは、私の便箋に彼女の言う、八卦の印が残っていたか確認していたからなの」


 流石は日出さんだ。貶められた二人へのフォローも忘れない。そして一竜くんの読心術も間違いであるとわかると、どことなく安堵している自分がいた。やはり日出さんの心中は、一朝一夕では読み取れないのだ。


「手紙の文面がずれていて切手の裏に口紅がついている。これだけだとガサツな人に見えるけれど、折り目は綺麗で手紙のずれ方が便箋毎、受け取った人毎に違うとなると、むしろ几帳面で狡猾という印象を受けます。では、どうして文面にそんなずれを付けたのか。そこで思い出してほしいのは、この船に乗船するとき、わざわざ船長が一人ひとり依頼状の中身をチェックしていたこと。文面のずれは依頼状が本物かどうかを、あそこで判別するためにつけたものだと考えられますね」

「成程……」


 隣の席で彼女の推理に耳を傾けていた極彩さんが唸った。


「もし書状を第三者が盗み見て捏造し、招待客に扮して彼の北の大地に馳せ参じたとて、この静謐なる方舟に見初められること能わず……。その可能性に至る思考の主――几帳面のみならず非常に慎重な人物と推測される。周囲の者に対してすら自らの心を許さずにいるのだろう」

「ええ、そんな人物が、文面の微妙なずれの確認を、他人に任せるというのは考えにくいですね。つまり確認するのは依頼状を出した本人――」


 日出さんがそこまで言ったところで、さすがにぼくを含め、そこにいた全員が該当の人物に辿り着いた。


「ってことは……」

「差出人はあの船長!?」

「でもまさかあの……田舎臭そうな船長がそんな計略を?」


 驚いているのは三千目さんに美神さん、それとぼくだけのようだ。極彩さんや雨分形さんも、ある程度の予測がついていたのかもしれない。

 それにしても、あの赤ら顔で気の良さそうなおじさんと言った風体の船長が依頼状の送り主とは。日出さんや極彩さんが言及していたような性格にはとても見えない。おまけに彼はご丁寧に、探偵を惑わすような偽の証拠までこさえているのである。人は見かけによらない、とは言うが、さすがにもう少しよっていてくれないと、人間不信になりそうである。


「風体こそ田舎臭そうに見えるけれど、本当はこのあたりの出身でもないし、漁師でもないんじゃないかしら。彼の口調には訛りや方言が見られなかったし、日焼けもしてない彼の手は線が細くて、節くれだった漁師の手という感じがしなかったから」


 日出さんの観察眼によれば、ぼくは最初からあの裏表なさそうな船長に騙されていたというわけだ。


「其の解に至った、灰色の怜悧な脳細胞を頭蓋の奥に潜めているのは、我々以外にもいるようだが」


 極彩さんが操舵室の前で船長に手紙を見せつけ、自らの推理を捲し立てている脂汗の酷い中年男――番田万蔵を指さした。番田さんの隣にはべったりとくっつくようにして、相変わらず幽霊のような女が憑りついている。


「あんたがこいつを出したんだろ?」


 番田さんもまた、日出さんの出した答えに、自分で行きついたようだ。彼は手にした便箋で船長の額をぺしぺしと叩いている。その姿はさながら部下を叱責するパワハラ上司である。


「手紙のずれは自分が出した依頼状と偽物とを区別するため。切手の口紅は手紙のずれに気付かれたとしても、ガサツな人間が出したと思わせることで、真の目的をカムフラージュするためのもんだ。こいつにゃ郵便局員の指紋しかついてねえ。手紙についた指紋を後で拭き取るのは至難の業。ってこたあ、依頼状を送ったヤツは手袋をしてこれを認めたってこった。手袋したまま指を口で湿らせて切手を濡らすなんて莫迦なこと、誰もしねえ。化粧した女が直接切手を舐めるなんて野暮なことするとも思えねえ。ここまでくりゃ切手の口紅がブラフってこたぁサルでもわかる」


 彼はまた別の方向から、その解答に至ったようだ。

 しかし、ぼくには一つ疑問がある。それを先に彼に呈したのは、三千目さんだった。


「封筒と手紙の指紋を取ったんですね。でもどうしてそれが郵便局員の指紋だと? わざわざ配達員を調べて採りに行ったんですか」

「阿呆。んなことしなくても、封筒にしか指紋がついてなかったんだから、投函してから俺ンとこに届くまでの間についたもんだとわかろうが」

「あ、なるほど」


 三千目さんには見向きもせずに、番田さんは船長の襟首を掴んで恫喝する。


「おい、どうなんだ」

「そんなこと言われても知らんよ。儂ァ金払いのいいどっかの誰かに頼まれてあんたらをここまで運んだだけさ」


 番田さんよりも体躯の小さな船長は、身体が殆ど持ち上げられている状態になっていて、上擦った声をあげている。おいッ、とさらに胴間声をかけながら揺さぶる番田さんだが、隣の女はそれを止めるでもなくただ黙って眺めているだけだ。

 それでも壊れた機械人形のように、知らない許してくれえと繰り返すばかりの船長を見ていると、もはや見当違いの了見で責め苦を受けている哀れな老人に映って、ぼくは居た堪れなくなった。

 いよいよ番田さんが殴りにかかりそうな雰囲気に感じたぼくが、彼を止めようと立ち上がったその時だった。


「まあまあ落ち着いてください。皆様、まずはお降りになって、冷たい空気で頭を冷やすのをお薦めいたします」


 その渋く抑えのきいた声の主は、いつの間にか船に乗り込んでいた。

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