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探偵狂想曲―縺れたヘルメスの杖―  作者: 東堂柳
双子塔の殺人 第一章 死縞島の双之塔
5/18

最初の謎解き

 島が見えてからはあっという間だ。

 瞬く間に島の影は肥大化し、船の窓からでは全体の様子が把握できなくなった。

 ぼくは顔を窓に押し当てるようにして島を見上げた。他の何人かの乗客も同じことをしている。

 最初に視認したときには比較対象がないから判らなかったが、近付いてみると相当な高さだ。少なく見積もっても五十メートルくらいはありそうだ。鼻が潰れるほど顔を押し当てたところで、ここからでは最早頂上の様子は窺うことすらできない。

 苔のように背の低い緑が点在している、ごつごつと切り立った灰褐色の崖。そこから伝わる得も言われぬ圧迫感と冷然さは、人間の来訪を拒絶しているように映った。

 見上げすぎて目を痛めたぼくは、目頭を抑えて自席に収まった。


「いやァ、高すぎて目が痛くなっちゃったよ」


 計ったように三千目さんが振り返り、力を込めて両目を何度も瞬かせてきた。

 どうやら彼も、僕と同じようにさっきまで島の外観を眺めていたらしい。


「自然ってのは凄いもんだね。どうしてこんな海原の真っ只中に突然巨大な岩が飛び出しているんだろうね。崖の色からしてシルト質かな。元々はもっと大きな島だったのが、波と風で削られてこんな形になってしまったのかもね。もしそうなら、この島自体が海の藻屑となるのも時間の問題かもしれないな」


 彼はぼくたちに向かって捲し立てているが、島がどうできたかなんて、本格ミステリの謎が大好物のぼくにとっては些末な問題でしかなく、はあ、と生返事を返すことしかできない。日出さんは相変わらず無表情で読み取れない。

 しかし三千目さんにとっては、ぼくたちが真実耳を傾けているかなど関係ないようで、どうやらただ自分の思考を口に出して整理したいだけらしい。その後もぶつぶつと念仏のように、この辺の地質がどうとか、プレートがどうとか、伊豆諸島の孀婦岩そうふいわに似ているとか、そんなことばかりを勝手気儘に口にしていた。

 長広舌にうんざりしていたものだから、その流れを一刀両断するように船内に流れたアナウンスは、まるで救いの神メシアのようだった。


「皆さん、お疲れさまです。間もなく本船は死縞島に接岸します」


 船長の嗄れた高めの声。乗船の時に見たきりだが、いかにも普段は地元で漁師をやっているであろう恰好で、顔まで酒焼けで赤みがかっていた。


「やっと到着か。さてさて、荷物の準備っと」


 三千目さんは隣席に広げていたペットボトルや菓子・軽食類を足元のバッグにしまい始めた。

 ようやく彼のワンマントークから逃れられる。ぼくは安堵の一息を吐いた。

 とその時、座席の後方から小学生くらいの男の子が、船室の前方に向かって歩いていくのが見えた。トイレにでも行くのかと思ったが、彼は脇にあるトイレには目もくれず、そのまままっすぐに操舵室に入ってしまった。

 何をする気だろうと注視していたが、一分もしないうちに彼は再び船室に戻ってきた。

 同時に、再びの酒焼け声。


「エー、乗客の方からの要望で、島をぐるりと一周してから接岸することになりました。もう暫くお待ちください」


 そんな……。

 期待させてから裏切ることほど絶望的なことはない。

 心中で愕然とするぼくのことなど知る由もない前席の三千目さんが、立ち上がりかけていた動きを止める。頬に冷や汗が流れた。一瞬時が止まったかのような感覚。心の中で手を擦り合わせて念を唱える。

 しかし肝心な時には神も仏も手を差し伸べてはくれないものだ。


「そういうことならしょうがない。もうちょっと雑談でもして時間を潰そうか」


 三千目さんが腰を下ろして、ぼくたちにそのへらへらした笑みを見せたのである。その時のぼくには、彼の顔がまるで悪魔サタンのようにさえ見えた。

 またつまらない話が延々続く苦痛を味わうのか、と落胆したところだったが、どうやら彼の興味は島の成り立ちから戻ってきたらしい。


「ところで、依頼状から読み取れる人物像の話に戻るけど、あれってさっき言ってたので全部?」


 金持ちで周りに大病を患っている人間がいるというアレだ。

 他にもまだ何かあるのだろうか、ぼくは日出さんの様子を窺ったが、


「わたしは依頼主について、現時点であの手紙からわかることは可能な限りお伝えしたつもりですけれど」


 と、素っ気ない返しをするだけ。

 それでも三千目さんのほうは満足げに頷き、一人で勝手になるほど、そうかそうかと嬉々と独り言ちている。

 日出さんはそんな彼の態度にも大して心が動いていないようで、彼の意図を訊きだそうとしない。溜まりかねてぼくの方から尋ねると、彼は待ってましたとばかりに目を輝かせた。


「いや、確かに彼女はそんじょそこらの高校生とは一線を画する逸材だということはわかるよ。けど、それでもやっぱり僕の推理力が一枚上手だと思ってね。僕はこの依頼状から、他にもいくつかわかることがあったんだから」


 そう言うと、彼は自分のボストンバッグからごそごそと茶色い何かを取り出した。荷物に押し潰されてしわくちゃになっていたそれは、彼の手で延ばされ、ようやく日出さんに届いたものと同じ封筒だと認識できた。宛名も同じように紙に印刷されている。

 彼は最初に封筒から切手を剥がして、裏面をぼくらに見せつけた。

 そこにはうっすらと明るめのピンクの塗料が付着している。これは――


「口紅……ですか?」

「そう、口紅の擦れた跡だよ。切手を貼るときに付着したんだ。それとこの便箋」


 彼はしわくちゃの封筒からしわくちゃの中身を取り出し、二枚の便箋を広げてみせる。まるで勝訴の紙を持って法廷から出てくる弁護士気取りであるが、紙が皺だらけで格好がつかない。


「これもよく見てみれば、文章全体が微妙に中央からずれているよね」


 皺のせいでわかりにくいが、じっと目を凝らしてみると、確かにいずれの便箋も文が右に寄っているように見える。

 日出さんはちらと彼の手紙を一瞥すると、視線を窓の外に戻した。


「きっと印刷するときに紙がずれたんだ。人の目でわかるレベルのものだし、他人に送る手紙だから、気を遣って印刷し直すのが普通。これらのことから、ぼくはキミの言っていた人物像に加えて、この依頼状を出したのはガサツな女性だと推理するよ。さらに、付着している口紅の色やさっき言った文面からして、二十代前半ぐらいの可能性が高いかもしれない」


 と、三千目さんは依頼者の性別・性格・年代まで鮮やかに絞り込んできた。

 なるほど筋は通っている。ぼくの方は、へらへら顔の彼の真面目腐った口調と推理についつい乗せられて首肯するばかり。そもそも、探偵の推理を拝聴して興奮しない人間などいるだろうか。そこには人を惹き付ける何かがあるのである。

 だから、ふと冷静になって今の推理を反芻し、検討してみると、なんだか誰でも思いつきそうなことしか言っていないような気がして、夢から覚めたように、頭で沸き立っていた血がスーッと引いていってしまった。

 それから思い至るのは次の疑問である。

 このくらいの推理だったら、日出さんが気付かないはずがない。それでも未だに彼女が何も言わないのは何故なのだろうか。推理をやたらとひけらかすのが嫌なのだろうか。それともまだ何か考えている――?

 しかし、その思考を破壊するように、今度はぼくらの後ろの席から甲高い笑声が投げかけられた。


「それはちょっとおかしいんじゃなくて?」


 鼻で笑うような嘲笑が混在している。

 ぼくが振り返ると、そこには淡いピンクと白が織り交ざった、フリル付きの大きな帽子から長い金髪を零れさせている女性が淑やかに座っていた。まるで西洋人形をそのまま大きくしたような彼女だが、めかしこんではいるものの、彫の浅さや低い鼻までは誤魔化せない。僅かな言葉ではあるが、流暢さからも日本人だろうと察しが付く。とはいえ、異質なのが目の覚めるような金髪であることに加えて彼女の碧眼。ブルートパーズのような透明感のある空色はカラーコンタクトだろう。目線を首から下に向けると、帽子と同じようにフリル満載で、傘のように裾の膨らんだドレスを身に纏っていた。帽子の色合いに合わせて、ピンクを基調としつつもフリルの先の部分は白いレースのようになっている。

 驚きは乗船するときに済ませてあるからさほどないとはいえ、思わずぎょっと目を剥いてしまう。現実にこんな仰々しくてくどい装いの人間がいるとは。ここまでくると本物の西洋人形よろしく、美麗とか可愛らしさよりも不気味さのほうが勝ってくる。

 まさか普段着ではないだろうな。仮装やコスプレならいざ知らず、普段からこんな格好では悪目立ちするのは火を見るより明らかだ。周りが止めてあげないものか。止めても聞かないのか。彼女の威風堂々とした佇まいや、先程の高飛車な嘲笑からして恐らく後者だろう。

 というぼくの視線など彼女には届いていないようだ。


「良くご覧なさい。貴方の便箋、一枚目と二枚目でずれ方が微妙に違うでしょう。一枚目は右に、二枚目は右下にずれているわ」


 彼女の言葉でもう一度、三千目さんの便箋を注意深く見てみる。なるほど言われて見ればそのようだ。再三述べた通り、しわくちゃでかなりわかり辛いから、最初に確認した時に気付かなかったのも仕方ない。むしろ後方からちらと盗み見ただけで識別した彼女の視力が、人並外れていると言える。


「それに、便箋の文面のずれは、受け取った人によって異なっているのよ」


 見たところバッグ類を手にしていないようだが、一体どこから取り出したのか、等身大の西洋人形は自分の封筒から便箋を抜き取り、ぼくたちに広げて見せた。純白の手袋の上からでも、彼女の指の細さがわかる。


「私のは二枚とも右下にずれている。それに先程チラッと拝見致しましたけれど、そこの貴女」


 西洋人形は不躾に日出さんを指さした。彼女はなんでしょう、と返事をしたものの、それをすべて言い終わる前に、西洋人形は自説の演説を続ける。


「貴女の便箋のずれとも違いました。この便箋はいずれもパソコンで記述したのを印刷したものだわ。通常、印刷するときは紙を纏めてプリンタにセットするでしょう。そこで紙がずれたのなら、印刷された便箋の文字のずれはどれも同じになるはず。普通に考えたら、招待客のそれぞれ、さらに二枚の便箋のそれぞれで異なるというのは不自然なのよ、わかるかしら? つまり、これは差出人が意図的に引き起こしたもの。文面がずれているからガサツな人間だというのは、あまりに短絡的すぎるわ」


 言葉の節々に三千目さんを小馬鹿にするような調子が顔を覗かせていたせいか、自尊心の高そうな彼は食ってかかった。


「しかし、一体どうしてそんなことをする必要が? わざと文章をずらして、何がしたいんだろうねェ」


 彼の顔にはへらへら笑顔が貼りついたままだが、僅かに口角がひくついているように映った。その機微もまた、高らかに自分の推理を披露する西洋人形には届かない。


「私が思うに、これは何らかの暗号を示しているのよ。良くご覧なさい。この便箋の罫線――」


 彼女が指し示した罫線は、元から便箋に印刷されていたわけではないようで、これも文字と同じようにずれている。


「最初の三行だけ中央で途切れているでしょう。これは八卦の記号を示唆しているわけ。宇宙の万物を説明できる代物なのだから、暗号の解読程度にだって使えるのは自然の理だわ!」


 八卦。と言われても、ぼくには割り箸のような棒を使う占いで出てくる何か、という漠然とした印象しかない。それと宇宙とどう関係があるというのか。宇宙が説明できるから暗号も説明できるというのか。理解が追い付かない。


「『繋辞伝けいじでん』では、この世界の始まりである太極――すべてが混じりあって混沌とした状態から陰と陽――つまりは天と地や太陽と月のように、対になった二つに分かれたとされるの。とはいえ、陰の中にも陽寄りのものがあったり、陽の中にも陰寄りのものがあるということで、陰と陽を組み合わせて陰中の陰、陰中の陽、陽中の陰、陽中の陽という四つ――四象ができたわけ。自然界の現象で言えば、四季なんかがこれらに該当するね。さらにこの四象に陰と陽を組み合わせた八種が、この世界のすべてを表しているとされ、これを八卦と呼ぶの。

 ただこれは儒教的な後付けの解釈で、元々は単なる易占の記号でしかなかったという説もあるけどね」


 隣の日出さんが静かに解説を加えた。ぼくが困っているように見えたのだろう。実際そうだから有難いが、結局占いで使う記号ということだから、ぼくの印象は当たっていたわけだ。


「丁寧な解説褒めて遣わすわ、日出最子」


 自分のお膳立てをするアシストに気を良くした美神さんが胸を張る。天界から下々を見下ろすかの如く。これに比べたら、日出さんのお高くとまった感のある自己紹介など可愛いものだ。


「さて、陰と陽はライプニッツに倣って、それぞれ二進数の〇と一で表せるわ。つまり八卦の各要素は〇から七の数字に置き換えられるの。『繋辞伝』によれば八卦は北から反時計回りにけんしんそんかんごんこんの順で並べられるから、これを数字に置き換えると八方について北から七、六、五、四、〇、一、二、三が割り当てられる。つまり便箋の中央からどの方向に文面がずれているかで、その数を表していると考えられるわ。例えば、右下にずれている私の便箋は、それぞれ一を表すことになるの」

「その数字が暗号の答えということなんですか?」


 二つの一が一体何を表すというのだろうか。ニコイチとか?

 しかしぼくの浅薄な問いに西洋人形はぴしゃりと一喝する。


「そんなわけないでしょう。もう少し考えなさい。なぜ便箋が二枚あるのか、人によってずれ方が違うのか。このことから察するに、二枚の便箋から導き出される二つの数字は、各人の姓と名――イニシャルに対応していると考えられるわ。となれば、真っ先に思いつくのは数字の分だけアルファベットをずらすシーザー暗号ね。私の場合、美神麗みかみれいでMR……。あら」


 そこで彼女は両手を軽くポンと併せて、ドレスの裾を直して居住まいを正した。満面の笑みを浮かべる彼女の美しさは二次元的で、距離的にはぼくとは一メートル程度しか離れていないのに、遥か彼方の世界にいるように錯覚した。それは見えているのに手の届かない、夜空に輝く満点の星々のようでもある。


「そういえば、挨拶がまだでしたわね。私は美神麗。主に趣味で全国各地の興味深い事件を調査しておりますの。人体自然発火、空中消失、呪術、他にも幽霊やUFOなどを専門に扱っていますわ」


 ようはオカルト趣味というわけだ。

 探偵というのは、科学的に説明できないオカルトというものに対して拒絶反応を示すものだと思っていたから、これは意外だった。とはいえ、彼女の格好はまさに動く西洋人形。存在自体が一種のオカルトでもあり、そういう意味ではぴったりである。


「さて、話を元に戻して、私のイニシャルは一文字ずつ後ろにずれて、NSということになるわ」


 ぼくは日出さんの依頼状を思い出す。


「じゃあ日出さんのは、左上と右だから――」

「六と二で、イニシャルがHSだからMU。そこの貴方のはMTがOUになるわけね」


 暗号が解読されつつある中、ぼくは不思議なデジャヴを覚えた。

 こんな光景を以前どこかで見たことがあるような……。

 答えが出かかっているのに判然としないもどかしさに居ても立ってもいられず、ぼくは脳みその奥にしまわれている長期記憶の棚をごそごそと漁り始める。この間の試験の結果や友人と交わしたくだらない会話が、あれよあれよと棚から溢れ出てくる。その中に埋もれていた一冊の本が見つかった。中身をぺらぺらと捲り、ようやく既視感の正体が判明した。

 ぼくがかつて読んだその推理小説の中に、似たような暗号があったのである。部屋に飾られていた絵の画家のイニシャルをシーザー暗号で解読すると、館の隠しエレベータに繋がる秘密のパスワードがわかるという代物だ。

 依頼状の暗号もこれと同じではないか。


「もしかして、これを繋げて読むと何かの言葉になるんですか?」

「あら、そこの冴えない自称探偵さんよりもよっぽど察しがいいわね。褒めて遣わすわ、片藁観月」

「あ、どうも」


 招待状の暗号とは関係のない、ぼくの名前まで覚えていたらしい。隙あらば貶められてばかりいる三千目さんには悪いが、ちょっとだけ嬉しくなったぼくは頭に手を当てて、軽くぺこりとお辞儀する。

 と同時に、躰がぞくっと震えた。

 日出さんが隣から冷ややかな視線を刺している――気がした。反射的にハッとして緩んだ口元を縛り上げ、姿勢を伸ばした。鼻の下でも伸びていただろうか。触って確かめてみたが、問題なさそうだ。


「それでどんな順番で繋げればいいんでしょう?」

「そのヒントは、乗船の時の確認で名前を呼ばれた順番にあるわ。あの時、私たちは五十音順でもアルファベット順でもなく、バラバラに一人ひとり点呼されたでしょう。あの順番に並べれば良いのよ」


 乗船するとき、あの赤鼻の船長が依頼状を受け取った人たちを次々に呼び出しては、その依頼状の中身を確認していたのを覚えている。


「確か最初に呼ばれたのは日出さんだったよね」

「ええ」

「その次はあそこの脂臭いおじさんで、名前が番田万蔵ばんだばんぞう


 美神さんが指さした先には頭が汚く禿散らかっている中年男。脂汗が酷いらしく、手にしたハンカチでずっと顔面と、広くなった額を拭いている。その隣の席には、髪の長さや体格から女性だとわかるが、ぼさぼさの長い髪の毛で顔すら見えない、幽霊のような人が座っていた。女性の格好からして、中年男とはかなり年の差があるように見えるから、思わずその関係性を邪推してしまう。


「便箋のずれが五と三を表しているから、GEね」

「次が私でNS。その次はあっちの線の細い気弱そうな男で、名前が雨分形生日うぶかたいくひ。便箋のずれは六と〇でAI」


 一体いつの間に彼らの依頼状を確認したのだろう。などと驚き半分呆れ半分に聞いていたが、頭の中で出来上がった解読後の文字列が、ある馴染み深い人物の名前を表していることに気付いて、ぼくは息を呑んだ。


「MUGENSAI――ってまさか」

「そう、そのまさかよ。夢幻斎京璽むげんさいきょうじ。自称探偵君がOUだから、さっき操舵室から出てきた坊やの名前が一竜沙六いちりゅうさろくでIS。彼の便箋は恐らく二と六を表していてKYになり、あの線の細い子の隣にいる筋肉質の男が極彩遥ごくさいはるかでGH。あの人の便箋は三と一を表していてJIになるはずよ」


 夢幻斎京璽と言えば、国内で絶大な人気を博している推理小説家だ。本が売れないという昨今でも、彼の本は出せば重版に次ぐ重版は当然。書店やネットの売上ランキングの上位は必至。これまでに何冊もミリオンセラーを達成している、ミステリ界の重鎮。彼は元々建築家としても名を馳せていて、自分の別荘のみならず、数々の資産家の邸宅や商業ビルなどの設計も手掛けており、枚挙に暇がない。夢幻斎京璽は、建築家の頃からの彼のペンネームで、設計した建築物には必ずその名にちなんだある構造が含まれているのだ。

 その彼の名前が、こんな風に暗号として顕現するとなると、依頼主が彼である可能性や、そうでなくとも依頼主の背後に潜む彼の存在を感じざるを得ない。

 それに、今この船が周回している島はただの無人島ではない。旧日本軍に従事していた医学博士が狂気に触れて、実験という名の殺戮を繰り広げた場所。そんな曰く付きの場所と推理小説家という組み合わせは、否が応でも陰惨な事件が起こる予感を抱かせる。

 しかし、それを否定する声が、通路を挟んだ隣の席から聞こえてきた。


「否。それは違うな」

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