不死の研究
腕を座席の背凭れにかけて振り返った青年は、爽やかな笑みを浮かべた。まるで気の合う友人と他愛のない雑談でもしているかのような自然な微笑は、不死という単語には不釣り合いに思えた。
「陰謀論やら都市伝説やらでありがちだけど、あの双子塔では死なない兵士を作り上げるための研究が行われていたっていう噂だよ」
「死なない兵士、ですか」
茶色がかった短髪。耳にピアスをつけ、胸元には燃えた栗みたいな妙な模様の飾りがついた、塗装の禿げた古めかしいペンダントを提げている。この軽薄そうな青年の正体も気にはなるところだが、死なない兵士というのも引っかかった。
青年は頷き、目を細めて窓の外を眺めた。薄暗い波濤の中に隠れている孤島を垣間見ようとでもするかのように。
「双之塔の研究所長は環冬馬博士といって、医学・生理学に広く精通していた人でね。ライプツィヒ大学に留学し、十六歳で博士号を取得してる天才だ。僕よりは見劣りするけどね」
海外留学で飛び級博士の化物に、見劣りするとは大層な自信だ。ぼくと同年代か少し年上くらいに見えるが、彼にはその環博士以上の肩書きや実績でもあるのだろうか。
「その後日本に戻り、北大の医学部で当時まだ黎明期だった脳神経外科を発展させたことが帝国陸軍上層部の目に留まって、所長に抜擢されたそうだよ。彼は院生の頃から論文を積極的に学会に提出しててね。その中でも特に目を見張る彼の業績は、『穿通性頭部外傷に伴う脳動脈瘤除去手術』。七〇年代に確立されたコイリング技術に似た革命的手法なんだけど、これを博論で書いたっていうんだから驚きさ。頭に銃弾を受けた兵士を治療して、再び戦場に送り出すことができるんだから、ある意味で死なずの研究の一つと言っても過言ではないかもね」
ぼくが期待した不死とはイメージが違った。少し拍子抜けしたものの、彼は今度は大岩戸島の研究施設について語り続ける。
「子之塔の所長は円夏郎太博士。大学院時代の環博士の後輩で、例の博論で共著者の一人だったはず。円博士の博士論文は『脊髄損傷に対する神経再建手術の提案』で、こっちも共著者に環博士の名が載ってたよ。恐らくはその時の彼らの研究の交点――つまりは不死と脳神経に関連した医療技術が、あの双子塔での惨劇を引き起こす一因になったのかもね」
「その論文ならどちらも読んだことがあります」
青年の言葉を受けて、日出さんが流麗な口調で応えた。
「環博士の論文には、いくつかの症例や術後の経過例が記載されていました。九五パーセント以上の確率で後遺症を発症させずに恢復する術式ということで、当時医学界で騒がれたものの、博士の技術に依るところが多く、他の医者による再現性が担保できずに、学会では評価されなかったようですね。だから彼のことは本国でも世界的にもあまり知られていないそうで。
円博士の博論も優れた結果よりも、そのあまりに常識外れな方法と臨床試験での患者の扱い方などで物議を醸したとか。二人とも帰国後は北大で様々な研究に従事していたものの、博論同様どれも先進的な上に倫理的にグレーな手法で、保守的な医学会では認められなかったどころか、追放一歩手前だったそうですね。その延長線上の研究が、双子の塔でも行われていた」
「見たところ僕よりも若そうなのに、その歳でドイツ語の医学論文を読んでいるとは、なかなか変わり者だ。僕と同じく探偵としてあの島に呼ばれることはある。うんうん」
日出さんを褒めているのか、自画自賛しているのか。彼は満足気に頷いている。
しかし、当の日出さんの表情は変わらない。彼女には見え透いた世辞など何の意味もなさないのだ。
日出さんは青年を無視してぼくに尋ねた。
「そんな研究がされていた島にある秘密ということは、依頼されたものがどんな代物なのか、片藁くんにも察しがつくでしょう?」
「まさか……」
不老不死の医術だとでもいうのだろうか。
すぐさまそれに思い至ったが、あまりに馬鹿馬鹿しい発想に、喉まで出かかったその言葉を呑み込む。
「いやいや、そんなのまるで御伽噺じゃないか。錬金術師でもあるまいし。大体そんな秘密があるなら、もっと大勢の人があの島を調べているはずでしょ?」
「確証があればそうかもね。でも、あの島で行われていた研究の詳細については、軍内部でも極秘事項だったようだし、さっきも言ったけど戦禍で焼けてしまって、公式の文書としてはほとんど何も残っていないのよ。噂や伝聞がどこかから漏れて伝わっているだけのこと。片藁くんが今そう思っているように、こんな眉唾な話を真に受けてわざわざ離島に調査に出向くなんて、普通の人ならやらないと思うわ」
普通の人なら、か。それなら、この依頼をしてきたのは……。
「じゃあ君も、今回の依頼をしてきた人物がどんな人間なのか、おおよその目処はついているんだ?」
まるでぼくの心中の疑問を読んだかのように、青年が日出さんに尋ねた。彼の口ぶりは、さながら答え合わせを促す塾講師のようだ。日出さんの力量がいかほどのものか、試そうとでもしているかのような。
「そうね……。警察内部に深いコネを持ち、周囲に不治の病に侵されて余命僅かな人物がいる、お金には困っていない、比較的若い年代の人でしょうね。そしてその病人に、並々ならぬ思慕の情を抱いている」
「うんうん。やっぱり君もいっぱしの探偵らしい。君のような人と一緒に調査ができるなんて光栄だよ」
日出さんの答えにまたも満足そうに頷く青年。まるで自分の手柄のように誇らしそうにしている。
ぼくだけがついていけてない。
警察にコネがあるというのは、市井にはあまり名の知られていない日出さんが、数々の事件を解決してきた探偵だと知っているからだろうが、それ以外となると――、
「う~ん、依頼をしてきたのが富裕層というのは流石にわかるよ。報酬五千万を用意して探偵を雇い、船をチャーターして島の調査をさせるなんて普通の人にはできないからね。でも、その金持ちではなくて、周辺の人間が病人だっていうのは、どうしてわかるの? 余命が僅かっていうのはなんで?」
それに応えたのは日出さんではなく、青年の方だった。彼は顎に手を当てて格好つけながら説明する。
「初歩的なことだよ、ワトソン君。もうすぐ死ぬかもしれないなら、不老不死だのという都市伝説めいた話でも藁にもすがる思いで飛びつくのも頷ける。手紙には自分でも探したが見つからなかったとあるね。病気で余命僅かな人間が自分で島まで行って調査をするとは思えない。とすれば調査した人物、すなわち依頼状を出した人物は、その病人の周辺人物ということ。しかしいくら金持ちとはいえ、ここまでするのだから、その病人に対して並々ならぬ気持ちを抱いている。仮に、病人自身が大金持ちで余命僅かなら、周りの人間がこんな莫迦げたことまでして助けようとは思わないだろ。むしろ早く死んでもらって、遺産をいただきたいと思うところじゃないか?」
「それなら、比較的若いっていうのは……?」
「手紙の内容だよ。言葉は丁寧だけど、頭に前略とあるのに結びが草々になっていない。この手の文章を書き慣れていない証拠さ」
なるほど確かに彼の言い分は的を射ているように思える。日出さんも特に口を挟まず、ただ黙って聞いているだけだ。
それにしても日出さんに負けず劣らずの推理を披露するこの男、一体何者だ?
会話が一段落したところで、ぼくの方から青年に問いかけた。
「ところで、貴方は?」
「ああ、ごめんごめん。自己紹介が遅れたね。僕は三千目通。東京生まれの東京育ち。東京の大学に通ってるけど、時々警察に依頼を受けて講義の合間に探偵稼業で日銭を稼いでいるよ」
彼はへらへらしながら軽く頭を下げる。握手を求めて手を伸ばした。コートの袖口から先端に毛玉のついた四本の紐が出ている。ブレスレットでも付けているらしい。
日出さんは当然握手を受けず、ぼくも彼には軟派で不躾な印象しかなく、なんとなくそれを無視したから、彼の右手は手持ち無沙汰になった。とはいえ、三千目さんは気を悪くするわけでもなく、平然と手を引っ込めると、それでと言葉を継いだ。
「さっきから話を聞いていると、どうやら彼女の方が探偵みたいだけど、君たちは?」
「ぼくは片藁観月といいます。お察しの通り、ぼくはただの付き添いで、彼女が探偵の日出最子さんです」
「日出ねえ。う~ん、悪いけど聞いたことないなあ。探偵の業界なんて別に広くないし、活躍している人の名前だったら一度は耳にしたことがあると思うんだけど。まだ駆け出しとか?」
彼からしてみればそうだろうが、ぼくに言わせれば、三千目通という名も聞いたことがない。少しムッとして、ぼくは身を乗り出した。
「そんなことありません。彼女だって、警察も手を焼く難事件をいくつも解決しているんですから。名前を知らないのは、彼女が貴方と違って、警察に恩着せがましくしないからですよ。彼女は自分が事件を解決したことをひけらかす真似は好きではないので」
「ちょっと片藁くん」
日出さんに袖を掴まれる。見ると、周りの視線がぼくに集中している。自然と声が大きくなっていたようだ。
顔が火照るのを感じる。気まずくなって、ぼくは座席に腰を落とした。
「はは、いいよいいよ。自分の名を積極的に警察に売っているのは事実だし。そのほうがなにかと捜査活動が楽で、面白い事件も舞い込んでくると思ってね。まあ、君の彼女は興味本位で事件に係ろうとする僕みたいな探偵が嫌いみたいだけど」
喧嘩腰になっていたぼくの態度に難癖をつけるどころか、さらりと受け流して、三千目さんは苦笑しながら肩を竦めた。
流石は大学生というべきか。彼の大人の対応と比較して、自分の未熟さが際立つ。
「彼女っていうわけではないですけど」
言葉尻を捕らえてぼくは否定したが、彼は惚けた表情で「あれ、てっきりそうだと思ったのに」と、揶揄うような調子である。
すっかり彼のペースに吞まれてしまっている。
ぼくはまたしても別の意味で少し頬が熱くなるのを覚えたが、一息吐いて話題を元に戻した。
「それより、さっき言っていた惨劇って何のことなんですか?」
「あれ、探偵の彼女と違って、助手の君は何も知らないんだね」
「悪かったですね」
「はは、まあそうカッカしないでよ」
「してません」
まるで柳に風だ。ぼくの不機嫌など意に介さず、人当たりの良い笑みを浮かべて、彼はその惨劇について語り始めた。
惨劇の凶兆は、研究所が稼働して一年弱経った頃から始まっていたそうだ。何しろ外界から完全に隔絶された孤島に閉じ込められて、それこそ昼夜を問わず研究漬けの日々。おまけに軍部からはただでさえ少ない予算と資源が、時間を経るごとにどんどん縮小していく中で、早く成果を出すようにとせっつかれる始末。環・円両博士は精神的に追い込まれていき、猟奇的な人体実験を行う研究に呑まれていった。
それが頭部移植である。
訓練を積んだ瀕死の兵士から頭部を切除し、それを若い屈強な兵士の胴体に繋ぎ合わせる。多くの実戦経験の記憶を次の個体に引き継がせるために。あるいは、日を追うごとに悪化していく戦況を鑑み、最悪の場合は軍上層部や国家のお偉方の頭脳を生き延びさせるためでもあったのかもしれない。
それはまさしく、概念的に死なない兵士。蘇り、より強くなる兵士を作り上げようとしていたのだ。
ところが、それも長くは続かなかった。
狂気に侵食されていく二人の博士に不安と恐怖を抱いた他の研究員が、一向に成果の出ない夢物語のような研究に痺れを切らしたのだ。
「貴方たちは異常だ! 死なずの兵士を開発するなどと世迷言を並べ、貴重な若い兵士を次々無駄死にさせている! 国家に対する反逆に他ならない。このことは当局に報告させてもらう。研究方針を変えないのなら、次の定期船で本土に送還されるでしょう」
しかしそれこそが、終焉の引き金となってしまった。二人の博士の、好奇心という名の狂気を湛えた理性のダムがついに決壊したのだ。
両博士は研究員に睡眠薬を盛って彼らを監禁し、口封じもかねて被験体として”実験”を進めたのである。本土からの定期船をやり過ごしつつ、二人の博士はそれぞれの塔で次々に職員を殺害した。
彼らが行ったそれは、もはやただの虐殺と呼ぶに相応しい所業だったそうだ。頭部移植にかこつけて、頭を切り離した職員の身体を解剖し、神経の一本一本を恍惚の表情で好き勝手にいじくりまわした。また別の職員の身体では、皮膚から剥製を作り、残った筋肉で人体模型を作った。さらに別の職員の身体をコトコト煮込み、夕食の鍋を作った。
決壊から半年ほど経ったある日、定期船の船員がいつものように塔を訪れてみると、なんの音沙汰もない。無視されているというよりも、人の気配が微塵も感じられないのだ。
不審に思った彼らが中に入って目にした光景は、まさしく地獄の沙汰だった。そこかしこに血や、かつて人間だったものの一部が散らばり、施設を不気味に飾り付けていた。原型を留めていたのはホルマリン漬けにされていた頭部と、霊安室に保存されていた頭のない胴体がいくつか。居合わせた船員が錯乱したのも無理はない。
その後の調査の結果、それぞれの研究所の中で、環・円両博士と思われる胴体が発見された。しかし不思議なことに、いくら所内を捜索しても彼らの頭部は見つからず、また、それぞれの塔で一番若い職員の胴体もついぞ発見されなかったという。まるで、二人の博士が若い職員の身体を乗っ取ったかのように。自分の頭をその胴体に繋ぎ合わせたとでも言うように――。
研究所は調査後即時閉鎖。清掃こそされたが、この忌まわしい曰くのせいで誰も使いたがらず、そのまま放置されてしまったのだそうだ。
「そんなものだから、不老不死を願う人々が、彼らを崇め奉る『円環教』とかいうカルト宗教まで作る始末さ」
その名前には聞き覚えがある。教祖が政界に進出するとかで話題になったものの、もう十数年ほど前に教団内での大量殺人が発覚し、教祖と信徒が一斉摘発されて強烈なバッシングを浴びた。その件は最近でもよくニュースや特集番組が放送されている。結局それ以後は、隠れキリシタンよろしく人目を忍びつつ、しぶとくひっそりと活動を続けているとのこと。
「例の事件が発覚する前は、信者があの島を何度も聖地巡礼して、何やら儀式を執り行っていたようだよ。それ以外にも、廃墟マニアやオカルト好きの人間が島にやってきては、メンバーの何人かが消息不明になる事件も起こっているらしい。
もしかすると、今もまだ二人の博士は双子の塔を徘徊していて、島を訪れる若い人間の身体を奪い、生きながらえているのではないか……。と、そういう噂があるんだそうだ」
想像を絶する島の歴史に、しばらく船の中が重苦しい沈黙に包まれたような気がした。
船体に当たる波の音や低いエンジン音が、一定のリズムで腹の底に響く。それに合わせて心臓が激しく脈動し、掌に気味の悪いぬるい汗がじっとりと滲んだ。口の中が乾いている。皮膚の中から身体が冷やされているかのようだった。
なんと返したら良いものか逡巡し、視線を彷徨わせる。ぼくの目が日出さんの横顔を捉えた。しかし相変わらず彼女からは感情を読み取ることが出来ない。
三千目さんが結露した窓を手で拭いて、外に目を向けた。いつの間にか、雪が降ってきたようだ。窓に白く細かい結晶が付着している。霧も出ていて視界が悪い。
波間を見つめた彼は、まるでグラウンドに入ってきた犬でも見つけたかのように、目を輝かせて声を弾ませた。
「ああ、ほら、噂をすればようやく見えてきたよ。あれが死縞島――。狂気の天才医学博士が潜む島だ」
それに釣られて、ぼくも彼が指さした方向に目をやる。
黒い影だ。最初は薄霧の中の滑らかなグラデーションの一部でしかなかったそれは、だんだんとその面積を広げていくにつれて、その輪郭も徐々に明瞭になっていった。やがて霧の中から抜け出た影は、灰褐色の断崖の上に濃緑色の鬱蒼とした森の広がる、背の高い島と化した。海面に唐突に突き出たその巨大で寂しげなシルエットはまるで――、
「墓標みたいね」
日出さんがぽつりと呟いた。
そうだ。墓標だ。
忌まわしい生体実験の犠牲者を弔う墓標。
あれがぼくと日出さんの墓標にならないことを祈るばかりだった。