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探偵狂想曲―縺れたヘルメスの杖―  作者: 東堂柳
双子塔の殺人 第一章 死縞島の双之塔
3/18

曰くつきの島

「しじま島?」


 ぼくは日出さんの声がはっきりと聞き取れず、彼女に訊き返した。

 高速船のエンジンが低音を唸らせ、腹の底から乗客の鼓膜を揺さぶる。鈍色の海面を割る舳先。飛沫をあげて上下する船体。その度に船室に響く、叩きつけるような大きな音。これで酔わずにいられるのが幸運にさえ思える。


「しじまというと、静かな、とか静まり返ったとか、そういう意味の?」


 今の状況とはまるで真逆だ。

 そう思いながら、日出さんを見た。ベージュのポンチョコートに空色のマフラーを巻いた日出さんは、艶やかな長い黒髪をかきあげる。普段は制服姿の彼女しか見る機会がない。新鮮味のある出で立ちだ。今朝、待ち合わせ場所の羽田空港で初めてこの姿の彼女と会って、少しばかりドキリとして寝惚け眼が冴えたのを覚えている。

 その彼女は、まるで泰然自若とした地盤の上にいるかのように、服装とは裏腹にいつも通りの調子で物静かに答えた。


「確かに、一般的なしじまという言葉には、そうした意味があるね。けれど、この島の名前は死の縞模様と書いて、死縞というのよ」


 ぼくは生唾を飲み込んだ。ごくりという汚らしい音が彼女に聞こえそうで、思わず手で口を抑える。

 暖房の効いた船内でコートを羽織ったままだというのに、腕に鳥肌が立ってこそばゆい。約二時間前に北海道の十勝港を出発したこの高速船の目的地。それがまさかそんな不吉な名前だとは。

 外のどんよりとした灰色の空も相まって、どことなく不気味な雰囲気が船内を包んでいるようだ。船の不安定な振動もぼくの心を揺るがす要因の一つかもしれない。


「死の縞……。それはまた、なんというか物騒な感じがするというか」

「土地の名前だからただの当て字の可能性もあるけれど。名前だけでなく、島自体にも曰くがあるから、色々と物騒な島なのは間違いないかもね」

「曰くって?」


 聞き返してばかりのぼくに、日出さんは溜息を吐く。

 

「出発前に何も予習してこなかったの? 島の歴史はおろか、島の名前すら知らなかったなんて……。その様子だと、わたしに来た手紙すら目を通してなかったみたいね。これ、誘った時に一度渡したよね?」


 彼女は肩から提げたポシェットから茶封筒を取り出した。それは二週間ほど前に彼女の許に届いた依頼状であった。消印は東京都内の郵便局になっているが、差出人は不明。

 中身を取り出して三つ折りに畳まれていた二枚の便箋を広げると、彼女はぼくの眼前に押し付けるようにしてみせた。何の装飾も施されていない質素な便箋。そこに規則正しく並んだ文字は、パソコンで印刷されたもののようだ。言葉遣いも丁寧で、どこか淡白というか、機械的というか、そんな印象である。


『前略、日出最子様。

 突然にこのようなお手紙をお渡ししましたご無礼お赦しください。日出様の探偵としての数々のご活躍は私の耳にも届いております。その手腕を見込んで、折り入って貴女様にご依頼したいことがございます。

 北海道沖にある死縞島に、第二次大戦時に建てられた双之塔という研究施設をご存知でしょうか。終戦後手付かずとなったその施設のどこかに、大戦中に開発された、ある医学的に重要な発明が隠されているというのです。私も何度かその島に赴いて、自分なりに探してみたのですが、どうしても見つけることができませんでした。そこで是非とも貴女様にも島に赴いていただき、その秘密を見つけていただきたいのです。

 見事発見していただきました暁には、成功報酬として五千万円をお渡しいたします。

 来たる十二月二六日の午後二時、北海道は広尾町の十勝港から高速船が出港します。乗船の際にこちらの依頼状を船長にお見せください。勝手ながら、こちらの都合により、調査期間は一週間ほどを予定しております。一月三日に本土から迎えの船を向かわせますので、そちらをご利用ください。

 ささやかながら、港までの交通費を同封いたしました。

 末筆になりますが、貴女様がこの依頼を受けていただけることを心よりお待ちしております』


 彼女の言葉どおり、ぼくがこの文面を見たのはこれが初めてだった。事前に知っていたのは、これまでに彼女の口から伝えられた、北海道の沖合いにある島にしばらく滞在して、秘密だか何だかを見つけて欲しいとのことだけ。

 高校生には破格の成功報酬や、第二次大戦時の研究施設の存在を知らなくとも、推理小説好きのぼくからしてみれば、それだけで好奇心を掻き立てるには十二分だったのだ。


「ぼくには依頼に関する裁量権なんてないしね。君が行くところにぼくもお供させてもらう。それができるだけでも感謝しないと。

 それに、先に色々見聞きしたり調べたりしちゃったら、面白くないでしょ。まるで推理小説の始まりみたいな謎めいた手紙で、どこぞの孤島に一週間の缶詰の依頼。何かこう、おどろおどろしい事件でも起きそうだし」


 不安か期待か。曖昧で朧げな感情が胸の内にぞわぞわと広がっていく。脈が早くなっていくのがわかる。そんな自分を抑えきれず、知らず知らずに饒舌になっていた。


「一体どんな奇っ怪で不気味な殺人が起こるのか、そういう楽しみが薄れるっていうか」


 うっかり口に出した後で、しまったと手を塞いだ。

 軽く咳払いして、今の言葉を誤魔化そうと試みる。しかしそんな姑息な手で、彼女の敏い耳や脳を騙せるわけもない。

 気まずい一瞬の沈黙の後、ちらと横目で日出さんの顔を見ると、案の定彼女は呆れたように首を振っていた。


「……あのね、片藁くん。わたし、君のそういう考え、あんまり好きじゃないな」


 落ち着いた口調のままだが、心なしか彼女の声音が厳しく感じる。それは無邪気な子供の悪戯を窘めている教師のようだ。

 彼女は手紙を封筒に戻して、それをポシェットにしまった。


「殺人事件が楽しみだなんて、不謹慎極まりないし。小説みたいっていうけど、これはれっきとした現実。フィクションの世界じゃないのよ。第一、まだ事件が起こると決まったわけでもない。わたしたちに依頼されたのは、あくまであの島の塔にある秘密の発見。それが一体どんなものなのかは詳しく書かれていなかったけど……。それについては解っているわよね?」


 常日頃から金欠であるぼくとしては、五千万の成功報酬を少しくらい分けてもらえないだろうかと冗談交じりに打診する腹積もりだったが、この流れでそんなことをしたら余計彼女の機嫌を損ねてしまうだろう。どちらにせよ、彼女なら受け取ったお金をそのまま依頼主に返すか、どこかの慈善団体に寄付してしまうだろうが。


「ごめんごめんって。それにほら、ぼくはまだ助手見習い前頭百枚目の分際。事前知識なしのまっさらな状態のほうが、逆に偏見なしにものごとを見ることができると思ってね」


 両手でどうどうと宥める。

 これでもぼくは、他人とは一線を画す超然とした日出さんの高潔さに、尊敬の眼差しを抱いているのだ。名探偵の彼女と、平々凡々で何の取り得もない一般的男子高校生であるぼくが行動を共にできているのも、光栄の限りだ。愛想を尽かされたくはない。

 結局、彼女はそれ以上追及してこなかった。本心ではあったが、彼女が信じてくれたのかどうか、彼女の澄ました顔からは、まるで読み取ることができない。

 こんな時に名探偵の能力があれば。

 ぼくは探偵小説や推理小説には目がないものの、推理力や洞察力はからきしだ。

 そんなぼくと違って、日出さんはまさに小説の中に出てくるような探偵。高校生ながら、警察も考えあぐねている難事件をいくつも解決に導いている。容姿端麗なうえに頭脳明晰な彼女とぼくとの共通点など、せいぜいが同じ高校に通い、同じクラスに在籍していることくらい。

 それすら奇跡的ともいえる共通点だ。

 漫画の主人公とヒロインによくある幼馴染の間柄というわけでもない。それどころか、ぼくの通っている高校に彼女がやってきたのは、たったの三か月前。みんなの前で名前を名乗るだけの、塩ラーメンに水を足しまくったような、至極あっさりさっぱりとした自己紹介をしていたのも、昨日のことのように鮮明に思い出せる。お高くとまっているどこぞの大家の御令嬢という印象を抱いたのは、恐らくぼくだけでなくクラスの全員がそうだっただろう。ぼくのような下々の人間など虫けらか、あるいは炉端の小石程度にしか映っていないのでは。と、そう感じた。

 ところが、こうして彼女に届いた依頼状を頼りに、彼女と同じ船に乗れる程度の関係になっているのは、学校内でとある事件に巻き込まれたぼくを、彼女が助けてくれたことが縁でのことだった。

 あの時は本当、どうなることかと思ったけど――。


「片藁くん、聞いている?」


 不意にぼくの回想を打ち切ったのは、日出さんの澄んだ声だった。

 ぼうっとしているぼくの顔を、髪をかき上げながら覗き込む彼女の仕草に、思わず心臓が早鐘を打つ。それを隠すように慌てて距離を空けた。


「ご、ごめん。なんだっけ?」

「死縞島の曰くの説明、聞きたいの? 聞きたくないの?」

「あ、ああ、そうか。その話ね。聞きたい、是非聞きたいなあ。是非、いや、何卒よろしくお願いします、この通り。この通りでございます」


 手を合わせて平伏すると、彼女は腕を組んで少しむくれた。


「もう。わたしだって、ロボットじゃないんだから。何度も同じ説明させないでよ?」

「わかったよ、ごめんごめん」


 口を尖らせている彼女に向かって、眉を八の字にして手を擦り合わせる。

 彼女との出会いを思い返すのはまた今度だ。今はこれから起きそうな事件に集中しないと。


「わたしが調べた限り――と言っても戦禍で島に関する公的資料はほとんど灰燼に帰してしまったから、内容は関係者からの口伝によるものばかりみたいだけどね。それをさらにネットで調べたわけだから、どこまで本当かわからないけれど、ともかく、死縞島の歴史は第二次世界大戦中に遡るわ。当時の日本軍は名だたる列強相手に勝利を収めるべく、様々な兵器の研究開発を行っていたの」

「ああ、それならぼくも知っているよ。七三一部隊とか有名だよね。満州で生物兵器開発のために、人体実験を行っていたって話を聞いたことがある。本当なのかデマなのか、未だに色々な説があるみたいだけど」

「そうね。ほかにも登戸にある陸軍研究所が有名だけれど、この死縞島にも新兵器開発のための研究施設が建てられたそうなの。それがこれから私たちが一週間滞在する、双子の塔の一つ、双之塔というわけ」

「双子の塔か。ってことは、もう一つ別の塔が同時期に建てられたの?」

「ええ。と言っても、もう一つの塔である子之塔が建てられたのは、死縞島とは別の島で、こちらは岩手県沖にある大岩戸島だそうよ」


 死縞島と比べると、どこにでもありそうな平凡な名前だ。平凡すぎて親近感が湧く。その島にも曰くがあるのだろうか。


「大岩戸島……ね。どことなく、天岩戸伝説と関連していそうな名前だけど」


 思いついたことを適当に言ってみたが、言下に優しく否定される。


「そうとも限らないかな。古事記や日本書紀に記されている天岩戸伝説の場所としては、宮崎の高千穂が有名だけれど、あれはあくまで天上界で起こったこと。具体的に日本のどこそこが舞台になっているわけではないのよ。日本のどこでもないのかもしれない。けれど、『岩戸』には岩でできた洞窟の意味があるから、そういう名がついている地名は宮崎だけでなく日本各地に点在しているわ。大岩戸島も単にそういう由来なだけかもしれないわね」


 博覧強記な日出さんの場合、一に対して十返すばかりか、情報量〇・一の曖昧模糊とした質問に対しても的確に十を返してくれる。


「へえ、それにしても、わざわざ離島に研究施設を建てるなんて、面倒なことをしたもんだなあ、当時の日本軍も。人的資源や物的資源を調達するのにも、何かと大変だったはずなのに」

「そこに限らず、軍事施設の建てられた島はたくさんあるけどね」


 彼女が言うには、今は兎が大量に生息していることで有名な広島県の大久野島は、戦時中には陸軍の毒ガス工場が建てられていたし、山口県の蓋井島は交通の要衝――関門海峡の近くにあって、戦時中は最高機密の要塞や拠点が設置されていたという。


「とはいえ、死縞島みたいに周囲百キロに何もなく、空港も建てられずに船でしか行けないほどの小島に研究施設を建てたのは、本土に施設を建てると爆撃される可能性が高かったからじゃないかしら。実際、大戦末期には北海道にも大規模な爆撃があったわけだし。それに比べると、太平洋沖の小さな島なら、敵機に見つかる可能性も低いし、見つかったところでそんなところに重要施設があるとも思われないでしょうから」


 ぼくはなるほどと腕を組んで唸った。

 では、この死縞島でも毒ガスのような兵器が開発されていたのだろうか。だがそうだとすると、島に隠されているという、何らかの医術の話とは矛盾する気がする。

 ぼくは島での研究内容について尋ねてみた。


「どうやら医学や生物学に関して幅広く研究されていたようね。ただこの二つの塔で一貫していたのは――」

「不死、だよね」


 日出さんを遮ったその声は唐突に、ぼくらの前の席から聞こえてきた。

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