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探偵狂想曲―縺れたヘルメスの杖―  作者: 東堂柳
双子塔の殺人 第四章 首を求めて彷徨う亡霊
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食されたオードブル

「な、な、なな、なんてことを! ご、ごごご、極さんが、はは、犯人だなんて」


 慌てふためく雨分形さんに対して、当の極彩さんは不敵な笑みを浮かべたまま、狼狽の字など辞書にはないとばかりに、微動だにしない。直立不動。動かざること山の如し。あまりに動かないものだから、体格ばかりか愈々その運命までもが武蔵坊弁慶そのものにでも成り果てたのかと疑ったが、どうやら意識ははっきりしているらしい。


「我が師よ……。吾輩が常々畏れ多くも進言している通り、焦燥というものは自他ともに無益な心の油断に他ならないのだ。自らの脳髄を心底信用できない者を、他の誰が信ずることができようか。窮地に立たされてこそ、堂々とあれ。それが吾輩が、この世に生を受けて体得した訓言なのだ」

「なにごちゃごちゃ喚いてやがる。てめぇしかいねぇだろうが。誰よりも先に厨房に向かったのはてめぇだ。当然、この装置を解体するために、急いでやってきたんだろうよ。このやり方なら、大体のもんはシンクの湯に付けこんじまえば、洗い物の途中にしか見えねぇ。俎板やら包丁やらについた脂は、湯温で溶けちまう。しかもこの青二才から聞いたがよ」


 番田さんは顎でしゃくって三千目さんを指した。


「てめえは犯人探しの最中、残りの奴らを追い出して、ここに一人残ったそうじゃねぇか。そン時だろう? テグスの隠滅を図ったのは」


 さらにテグスをリールから引き出して、極彩さんの前に突き出した。


「いくら厨房の道具で代用できるとは言え、限度ってもんがある。自動装置に必須なこいつなんかは、どうしたって現場に残っちまう。透明なテグスならシンクに溜めた湯の中に突っ込んどきゃあ、パッと見はわからねぇだろうが、よく調べられたら詰みだ。俺がついさっきここに来た時には、もうテグスはなかった。誰にも見られずに回収できたのは、てめぇだけだろ。おぅ、違うか?」


 口は乱暴で攻撃的だが、かと言って感情論に身を任せているわけではない。彼の言葉は彼の論理に基づいており、それはぼくから見ても筋が通っているように思える。

 彼がすべての持ち玉を投げきったところで、ようやく極彩さんの重い口が反論の言霊を投げ返す。


「確かに、貴公の拵えた機構には目を見張るものがある。それは認めようではないか。自己の器の矮小さを体現するかのような、細々とした作業によくもまあ多大な労力を割いたものだ。だが、それだけのことで、吾輩を虐殺の首謀者と宣うのか? 少々買い被り過ぎていたようだな。この場に集いし探偵の力量というものを」


 嘲笑するような溜息を漏らすと、彼は更に続ける。


「我が師の御手を煩わせるまでもない。僭越ながら吾輩が、貴公の推理の問題点を述べさせてもらおう」


 極彩さんは巨躯を揺らしながら自動装置に近付くと、傾いた俎板の長さを、その丸太のような腕で測定した。


「先ず第一に、この丈では今朝の朝餐で供されたすべての皿を載せることができないだろう。九人分の料理を創生し、それらを厨房へと移送する必要があるわけだが、容積的にこの匣には一度に最大六人分まで積載可能といったところだろう」


 彼はエレベータの扉を引き開けて中を覗き込んだ。


「仮令、最初に移送させるものを予め匣に与えたとて、残りの三人分の料理に加え、あの巨大な異物を載せた大皿を積み込まねばならぬ」


 確かに、京堂さんの頭部が載っていた皿は、目測でも直径五十センチくらいはあったはずだ。俎板と菜箸のレールにこれを載せたら、他の料理を置くスペースなどなくなる。レールをさらに伸ばそうにも、これ以上は作業台をはみ出てしまう。

 番田さんは何も言わないが、露骨に嫌そうな顔で舌打ちをしている。


「次に、吾輩は先刻も告げた通り、我が師と共に七時四十五分に食堂に来訪した。哀れな子羊と化した執事が述べたように、朝餐は午前八時からと定められていた。すなわち、吾輩が凶行に及んだ悪鬼羅刹であると仮定すると、厨房に配置した料理が匣を通して届けられるまでに、最低でも十五分は費やされることになる」

「それがどうした」


 番田さんは惚けているが、既に自分でもその問題については気付いているであろうことは、眉間の皴と貧乏ゆすりが何よりも雄弁に語っている。


「この気温では、料理を美味たらしめる温もりなどとうに霧消し、死神の両の手のごとく冷却されていただろう」


 美神さん犯人説で議論されたように、朝食の料理は温かかったという事実が、ここでも立ち塞がってくるわけだ。クロッシュを開けたときの、パンや目玉焼きの香ばしい香りを、ぼくの鼻が嗅いでいる。湯気が立ち昇っていたのを、ぼくの目が覚えている。それらは間違いなく、朝食が運び込まれる直前に作られたことを示唆していた。


「最後に、このような装置が真に正しく機能するか否かを論ずるべきだろう。この点が、そこの中年脂の主張の最も肝要なところなのだからな。無論、吾輩としては異を唱えたい」

「はァ? 異を唱えるも何も、なァんも問題なく動いただろうが。てめぇの目は節穴か?」

「その言葉、そのまま貴公にお返しいたそう」


 そう言って極彩さんは隣のシンクに近寄ると、ご自慢の筋肉で無理矢理鍋を傾けさせた。彼が全力でいったら鍋などぺしゃんこになりそうだが、たとえ犯人扱いされたとしても、そんな暴挙には出ない程度に力を律する理性や分別はあるらしい。

 鍋が傾けば、当然テグスで繋がったエレベータの扉が開く。さっき装置を動かしたので、箱は出発したばかりだ。まだ戻ってきていない。俎板の線路に残った皿は支えを失い、何もないシャフトに直接流れていく。レードルが倒れてボタンが押されるが、もちろん皿はピクリとも動かない。その場に残ったままだ。


「その節穴の目でしかと見届けたであろうが、この装置は適切な時・適切な場所に匣が戻らなければ、適切に連続的に作動しないのだ。そこの西洋人形プペが僅かでも匣から料理を取り出すのに手間取れば、この手の込んだ装置はもはや無用の長物――否、そればかりか計画を破綻させる障害と成り果ててしまうのだ。人を殺めた咎を逃れようというのに、この体たらくでは余りに杜撰ではあるまいか」


 的確にトリックの粗を突いてくる極彩さんに、番田さんはなす術がなかったようだ。

 彼が何も返してこない様を見て、極彩さんは首を振りながら、下らぬと一言漏らすと、扉の前にいるぼくたちを強引にかき分けて厨房から出て行った。


「ちょっと、極さん!」


 雨分形さんが呼びかけても、彼は戻ってこなかった。

 面目を潰される形になった番田さんもまたチッ――、と一際大きく舌打ちしたかと思うと、渾身の装置もそのままにぼくたちの前から消えてしまった。結局、内部犯の線で三者三様の推理が出たものの、いずれも間違いという肩透かしな結論を得たまま、手持ち無沙汰に取り残されたぼくらもまた、ぞろぞろと厨房を後にするしかなくなった。

 全員、何の気なしにエレベータで食堂に戻ろうとしていたのだが、先に出た極彩さんはもうおらず、すっかり拗ねてしまったらしい番田さんも、倉々さんを引き連れてさっさとどこかへ行ってしまったらしい。六階のエレベータ前にはもう彼らの姿はなかった。

 仕方なく、残ったぼくたちだけでエレベータに乗り込んだのだが、これだけの人数が一堂に会しているにもかかわらず、誰一人会話を交わそうとしない。こんな時、いつもなら三千目さんあたりが一人騒々しくしているのだが、今は思考のターンに入っているらしく、ぶつぶつ念仏を唱えてばかりいる。まったく、黙っていてほしいときにはうるさくて仕方がないのに、肝心なときにこれである。

 沈黙は嫌いではない。むしろ好きな方だ。図書館の静けさは集中できるし、山の中の静けさは心が落ち着く。とはいえ、知り合った人間が揃いも揃って黙ったままというのは、どうにも居心地が悪い。

 仕方なく、ぼくは日出さんにふとした思い付きを尋ねてみた。


「と、ところでさ、これだけ塔の中を調べ回ったのに、京堂さんの胴体の方はまだ見つかっていないよね。そっちの方から探ってみたら、何か新しいことがわかったりしないかな?」

「難しいでしょうね」


 日出さんが口を開くよりも先に、そう応えたのは美神さんだった。


「生きている人間ならまだしも、死体の方はいくらでも隠しようがありますもの。バラバラにした死体をトイレから流して証拠隠滅なんて話は、世間でもよく聞く話じゃなくて?」


 創作物の中でならまだしも、日常的にそんな物騒な話題をよく聞く世界線には、僕は存在していなかった。


「とはいえ今回の事件、もし犯人が内部犯だとすれば、そこまで細切れにする時間的余裕はなかったと思いますの。それでも、頭部を切断するついでに、四肢を切断するくらいのことはしたかもしれないわね。そうだとすれば、倉庫の段ボールの中にも隠すことができてしまうし、冷凍庫の食肉に紛れさせることも可能ね」

「うーん、それを言い出すとキリがないですね。でもそれならなおのこと、もっとよく探した方がいいんじゃ……」

「私、そんな面倒は御免ですの。文明人たるもの、無駄に身体を動かすよりもまず、頭を動かすべし。美神家の家訓ですわ」


 昨日は別の家訓を聞いた気がするが、一体全部でいくつあるのだろうか。


「そのような時間があるのなら、頭部出現の謎を解いた方が効率的ですことよ」

「僕は胴体は京堂さんの部屋にあると踏んでるけどね。頭部を発見してすぐに、僕らは階段を下りながら各部屋の戸締りを確認していったけど、厨房のすぐ上の階にある彼の部屋も外側から施錠されてた」


 三千目さんに言われて思い出した。確かにあの時、京堂さんの部屋には外から鍵が掛けられていた。もし彼の説が正しければ、恐らく犯人の手中にあるであろう、京堂さんの部屋の鍵を見つけないことには、彼の胴体も発見できないということになる。死体よりもさらに小さな代物だ。とても探しようがない。


「勿論、それだけじゃなくて、他にもまだどこかに手術室のような隠し部屋があって、そこに死体が隠されている可能性も考えられるよね」


 とようやく日出さんが口を出す。


「いずれにしても当てもなくしらみ潰しにただ探し回るだけだと時間の無駄になっちゃうから、片藁君には悪いけど優先度的には低くなってしまうね」


 みんな何も口にはしていなかったが、その実、頭の中ではありとあらゆる考えを巡らせていたというわけだ。


「隠し部屋といえば、もしまだ他にそんな部屋があるのなら、第三者が犯人という説も捨てきれないよね。これまで内部犯の犯行という線で推理をしてもらっていたけど……。あんな秘密の手術室を見た後じゃあ、むしろ、他にもあるって方が自然じゃないかな。例えば……第二手術室とか……第三手術室とか」


 他に適当な例が思い浮かばず、気恥ずかしさから、ぼくの語尾はどんどんか細くなっていった。


「あればの話でしょ、それは」


 茶々を入れてきたのは、これまで鳴りを潜めていた一竜くんだ。


「まだ見つかっていない以上、それはないものと同じなんだよ。存在しない証拠をあると仮定して推理したら、何でもありになっちゃうじゃない。それは推理じゃなくて、ただの妄想。初等論理学のキホンだよ」

「へ、へェ……。論理学かぁ。何だかすごいな、その歳でそんな勉強してるなんて」

「勿論、っていうか、そんなことも知らずに推理しようとしていることの方が信じられないんだけど」

「なら、もう少し科学のお勉強もしておけば、恥もかかずにすんだかもしれませんでしたのに」

「うっさい、おばさんの癖に」


 口許を押さえて意地悪そうな笑みを浮かべる美神さんに、一竜くんはそっぽを向いて口を尖らせた。屈辱を受けたことをぶり返されて、また泣きだしたりしないだろうかとひやひやしたが、もう気持ちは切り替えられているらしい。どちらかというと、美神さんのほうが耐性がついていないらしく、おばさんという地雷を起爆されて、ぴくぴくと口の端が動いている。

 またしても煽りの舌戦が繰り広げられる――。かと思われたところ、


「そ、それはそれとして、だ、第三者が犯人というのも、ちょっと短絡的すぎではありませんか?」


 みかねた雨分形さんが二人の間に割って入った。


「か、考えてもみてください。は、犯人は朝食前の食堂という、全員のアリバイが確実である時をわざわざ狙って、京堂さんのと、頭部を……」


 頭の中でその光景が蘇ったらしい。僅かに彼がえずいたものだから、慌てて周りの人が一歩後退する。頭を下げつつ、何とか呑み込んで彼は続けた。


「す、すみません――、きょ、京堂さんの頭部を僕たちの前に出して見せたわけです。そ、そんなの、僕たち以外に誰かいると疑ってくれと言わんばかりではないですか。そんなリスク、負うだけ無駄でしょう。仮にも僕たちは探偵で、ここは絶海の孤島の、さらに雪で隔離された塔の中ですよ。は、犯人にとっては袋の鼠です。む、むしろ、内部の誰かが、トリックを使って第三者の犯行に見せかけたという方が、納得できます」

「ま、その程度のことは、ここにいる全員がわかっているだろうから、言うまでもなかったっていうだけの話だけどね」


 当てつけのように一竜くんがどや顔で締めたが、実際その理屈に思い至っていなかったから、ぼくとしては肩を竦めるばかりだ。


「暗黙の了解になってしまっていることを明確化するのは、決して悪いことではないけどね。言語化したことで、だいぶ状況は整理できたんじゃないかな。だから思いつきでもいいから、片藁くんも何か気になったことがあったらどんどん発言してね」


 日出さんのありがたいフォローを受け取ったところで、それまでだんまりだった三千目さんがようやく口を開けた。


「流石は全国から招集された名探偵なだけはあるねェ。これだけ話がスムーズに進めば、この程度の事件、たちどころに大団円を迎えることができるだろうさ。僕にはその光景をありありと見ることができるよ。そしてその時、脚光を浴びているのはこの僕だけどもね。聞きたいかい? 今しがた思いついた僕の完璧な推理を――」


 エレベータは〇階に到着した。

 その場の思い付きだけで組み立てられた三千目さんの推理――というか妄想――は誰の耳に入ることもなく、ぼくらはそのまま食堂の中に入った。――が、その瞬間、皆の足取りがぴたりと止まった。皆が黙って聞いていると思って悦に入り始めた三千目さんの言葉もまた、食堂の中を皆の頭の上から覗き込んで急に止まった。愕然とした三千目さんや雨分形さんの声が漏れる。


「えッ、そ、そんな――」

「ど、どうして……」


 声を上げていない人たちも、目を丸めたり瞬かせたりしているが、唯一にして全員共通の反応があった。

 視線がそこに釘付けになっているのだ。彼らの隙間からぼくものぞいた。中央のテーブル。大皿の上を。


「首が――消えた」


 たった六文字を言い切るのに、三千目さんは数十秒を要した。

 ついさっきぼくたちが厨房に向かう前にはあったはずの京堂さんの首は――、悍ましい断面をこちらに向けていたはずの京堂さんの首は――、もはやその皿の上にはなかった。偏食な何者かが平らげてしまったかのように、首の下に敷かれていた生野菜と血のソースだけが置き去りにされていた。

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