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探偵狂想曲―縺れたヘルメスの杖―  作者: 東堂柳
双子塔の殺人 第三章 獄門のオードブル
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嘲笑的推理と嗜虐的推理

 一竜くんの俄かに信じられない言葉に、場がざわめいた。

 確かに彼は出会って間もないにもかかわらず、その鋭敏な頭脳を幾度となく活躍させている。しかし、おどろおどろしい殺戮の過去を持つこの館で再び引き起こされた惨劇の全貌を、もう把握してしまったというのか。

 推理小説だったら、恐らくはやっと導入が終わり、ようやく事件に入ったであろうタイミングだ。迎えの船が来るのは来週なのに、二日目でもう殺人を犯したということは、十中八九犯人は連続殺人を企てている。とどのつまり、序盤も序盤だ。その直後にもう解決編になるなど、あまりに呆気ない。解決編というのは、謎が謎を呼び、にっちもさっちも行かなくなったところで、ふとした拍子に探偵に閃きが起こり、全員を集めて行うのがセオリーというものだ。もっと引っ張って、ドラマティックなタイミングでやってもらわないと。

 しかし、拍子抜けの半面、期待もある。一体どんな真相が、この不可思議な現象に与えられるのか。

 ぼくは生唾を飲み込んで、一竜くんの二の句を待った。


「それで、犯人は一体誰なんだい。トリックは? ま、まさか、ハッタリじゃないだろうね」


 三千目さんもまた、ぼくと同じように心の中で騒乱が起こっているようだ。無理もない。これまで活躍という活躍もできず、それどころか謗られてばかりの彼にとっては、汚名返上の機会すら手に入れることなく、閉幕カーテン・フォールを迎えようというのだから。表情筋はへらへらの笑みを形作っているのに、その奥には焦燥と当惑、恐怖すら入り交じっているように思える。

 そんな彼の内心など気にかける素振りすらなく、一竜くんは意気揚々と応える。


「簡単なことだよ。正直こんな大仰な舞台を用意した割に、存外単純な謎で――謎というのも烏滸がましいくらいのものさ」

「前置きはいいから早くなさいな」


 美神さんが急かす。他の面々も今は落ち着き払っているように見えるが、今か今かと彼の語りを待ち構えているに違いない。


「じゃあ言うけど、犯人は別に、今朝、厨房から食堂まで料理を運んだわけじゃないんだよ。朝の時点で、料理は既に食堂にあったんだ。前日のうちに厨房で作ったのをあらかじめ保管していたんだ」

「まさか……、準備室の冷蔵庫に?」

「その通り。犯人はそれを、さも今エレベーターから取り出したかのように見せかけただけのことさ。必要な分だけ電子レンジで温めてね」


 確かに、冷蔵庫も電子レンジも準備室にあった。朝食の準備をしている間、ぼくらはその中を確認していない。あり得る話ではあるが――、


「ちょっと待ってよ、つまりそれって――」

「そう、犯人はおばさんだよ。昨日おばさんは執事のおじさんから連絡が入ってから、準備室に向かったけど、今朝はその連絡がないのに料理を取りに行ったよね。それは、執事が連絡できない状態なのを知っていたからというのと、他の誰かが自分よりも先に、エレベーターから料理を取り出す役に収まるのを防ぐためさ。そうでなきゃ、このトリックは使えないからね」


 話の流れからそうなることは予期していただろうが、実際にその言葉を自分の耳で聴いて、美神さんは瞬間、唖然としていた。しかしすぐに一笑に付す。


「とんでもない妄言ね。やっと小学生らしいところが垣間見えてきたんじゃないかしら、一竜沙六。論理的に考えて、そんなことはあり得ないの」

「どうしてそう言い切れるのさ」

「時間的にまず間に合わないからよ。あの部屋に電子レンジは二台しかない。ところが私は、四人前を一度にエレベータから取り出して片藁観月や日出最子に渡していた。そうよね? 私は今朝、一番遅くに食堂に来ている。この気温で冷めてしまうでしょうから、あらかじめ温めておいたと言うのは論外よ」

「そんなのはどうにでもなるよ。さっきも言ったように、必要な分だけ――つまり卵やソーセージ、トーストをまとめて一度に温めればいいだけさ。フルーツやサラダを外せば、それほど嵩張らないものばかりだから、四人分くらいなら二台の電子レンジでも充分だよ」

「まだあるわよ。音はどうするの。電子レンジの特徴的な甲高い音は、あの静かな食堂に響いたはずよ。皆さん、そんな音を耳にされましたか?」


 無論、聞いていない。もしそうでなかったら、こんな謎に頭を悩ませる真似せずに済んでいるはずだ。他の探偵から異論も上がらない。

 呆れたような、うんざりしたような一竜くんの溜息だけが返ってくる。


「準備室の扉を閉めれば聞こえなくなるんだよ。料理を運ぶのなら、扉を開け放しておけばいいのに、出入りがあるたびに律儀に扉を開け閉めしていたよね。当然、それは電子レンジで温めているところを見られないようにするのもあるけど、音を遮断するためでもあったのさ」

「それなら、卵やソーセージを電子レンジで温めたらどうなるか、御存知かしら? 電子レンジはマイクロ波で水分を振動させて温めているのよ。ソーセージや卵は、内部の体積の膨張に耐えられず爆発する。そんなことくらいはわかるわよね?」


 予想外にしぶとい抵抗をする美神さんに、一竜くんが僅か焦りを見せ始めているようだ。反応速度が遅くなっている。なんだか流れが不穏な方向に進んでいるようだ。


「そっ、そんなの、爆発を防ぐ方法はいくらでもあるじゃない。あらかじめ目玉焼きやソーセージに穴や切れ込みを開けておくとか、目玉焼きなら黄身に完全に火が通っていれば、水蒸気になる水分量が減るから爆発しなくなる」

「し、しかし、今朝の食事にそんな細工はされていなかったような……。め、目玉焼きも僕好みの半熟だったし……」

「おじさんの好みなんてどうでもいいし、気のせいじゃないの」


 その返答には、これまでどんな口撃にも孕んでいた論理性は皆無で、苛々や面倒臭さに身を任せただけの投げやりなものでしかなかった。


「否、吾輩も少し口にしたが、師の宣った通りの状態であった」

「気のせいだよ!」


 今までになく声を荒らげる一竜くん。そこにあるのは名探偵というメッキの剥がれた、ただの小学生の八つ当たりだ。


「それならトーストはどうかしら。あの簡素な電子レンジにはオーブンの機能はないわよ。電子レンジでパンを温めたら、オーブンで焼いたような見た目や食感にはならないでしょう」

「……それは――」

「それだけじゃないわ。君の推理は穴だらけなのよ。電子レンジを使っている最中に日出最子や片藁観月が来たらどうするつもりなの? 温めた料理を皿に移し替えている間に来られたら? それに冷蔵庫で保管していたら、サラダやフルーツのみならず皿自体も冷たくなっているはずだけど、もしそうなっていたら、運ぶときに二人が気付いたんじゃなくて?」

「……」

「どう? これでもまだ私を犯人として糾弾するつもりかしら?」

「……」


 これまでのように、彼が毛嫌いしているらしい大人をやり込めようとしたつもりが、気付くと自分こそが背水の陣に追い込まれている。すっかり押し黙ってしまった一竜くんに、それでも容赦なく詰め寄り続ける美神さん。彼女は細い指先で、一竜くんの頬をつんつんとつつきながら、憂さ晴らしの言葉攻めを四方八方から浴びせる。

 硬直していた一竜くんは、愈々泣き出してしまった。


「……そ、そんなに、い、意地悪しなくていいだろ……。だから大人は嫌なんだ……。だ、大体、この僕が電子レンジでトーストなんか温めたことがあるわけないだろ。パンはオーブンで焼くもんだろ。どうなるかなんて、し、知らなかったんだよ……」


 こうなると普通の人間の心を持ち合わせていれば、誰だって攻撃の手を緩めるところだろうが、彼女は勿論普通の人間ではなかった。


「まあまあ、小学生らしくて結構ですわね。そのような杜撰な推理がまかり通るのでしたら、私も一つ披露しましょうか? この事件のトリックと、その犯人を」

「み、美神さんもわかったんですか?」


 ぼくが尋ねると、美神さんは腕で顔から溢れた水滴を拭っている一竜くんに、指を突き付けた。


「ええ、犯人は一竜沙六、貴方です」

「……えっ、な、なんだよぅ。まだいじめるのかよ……。おばさんの癖に……」


 ぐずぐずになった弱々しい声は、もはや美神さんには届いていない。いや、届いていて敢えて無視しているのだろう。だから彼女はその声を掻き消すように、より一層のよく通る快活な声で食堂の空気を支配した。


「今回の謎は、食堂に生存者全員が揃っていたにもかかわらず、厨房から食堂に料理が運ばれた。というものだけれど、その前提である食堂に全員が揃っていた、という事実を支えているのは、雨分形生日と極彩遥の二人が、食堂に全員が入ってくるのを目撃し、なおかつ、食堂の扉から出ていく人物がいなかったからというもの」

「吾輩の言は兎も角、我が師を疑うというのか?」

「いえいえ、私は淑女なのですから、そのような無礼なことは致しませんわ」


 小学生をいたぶるのは果たして淑女のすることだろうか。


「ですが、だからといって食堂から出て行った人物がいないとは限りませんのよ」

「どういうことですか? ぼくには矛盾しているとしか……」

「少しは自分の頭で考えなさい、片藁観月」


 あ、すみません。


「よろしい。説明して進ぜましょう。食堂から厨房に行くには、あの扉を通る以外にも道があるということよ」


 そこまで盛大なヒントをもらえれば、ぼくにだってわかった。


「料理運搬用のエレベーター!」

「あんたらが犯人探しに行ってる間に俺も見たけどな、あんな小せえ箱じゃあ、運べるもんなんてたかが知れてんな。少なくとも大人があン中に入るなんてのはどだい無理な話だ」


 番田さんの指摘で、みんなの視線が小さい体を震わせ、俯いたままの一竜くんに注がれる。


「もちろん、そこの坊やなら可能でしょうね。私が料理を運ぶために準備室に向かう前に、こっそりとそこから厨房に戻り、料理を作って運んだというわけですわ。昨日の夕食に比べて、今朝の朝食が非常に簡素なものだったのは、時間的に簡単に作れるものである必要があるということと、小学生が作ったものだったから。それに、昨日の彼は夕食の時、料理の到着を待つなどと時間を無駄にする真似をなさらないように、一番最後に食堂に現れましたでしょう。ですが、今朝のことを思い出していただけますか。彼は料理が到着するよりも前に食堂に現れていた。当然、それは私たちが準備室に入る前に、そこへ忍び込んで厨房に行くためだったのです」

「で、でも、料理を並べている時に、一竜くんがいなかったら流石に気付くのでは……」


 とは雨分形さんだが、正直なところ、ハッキリいたとも、いなかったとも断言できない。何せ、両腕にまで載せられた料理皿を落とさないようにと必死になっていたのだ。ただでさえ蝋燭の灯だけで辺りは薄暗いのに、目線はほぼ下を向いていたので、人が座っていそうな席に急いで置いて行ったから、自分が誰に料理を配ったのか、情けないことに判然としない。

 言い淀んでいるぼくを尻目に、美神さんが推理を続行する。


「例えば、こんな方法はどうかしら。私たちが配膳を始める前に、既に料理がテーブルに置いてあったとしたら。食堂は蝋燭だけで暗いですから、持ち込んでいたノートパソコンを目隠しにして、枕とコートで人形をつくり、クロッシュで蓋をした、中身が空の偽料理を置いておけば――」

「フム、配膳は幾人かで分担して済ませる手筈であることは昨日の晩餐で確認済。なれば、既に配膳済みの卓があったところで、別の誰かの仕業と納得する」

「皿やクロッシュの予備は食堂にもあるから、そこから取ってくることができますからね。十分可能でしょう」


 極彩さんと三千目さんも、外堀を埋めていく。一竜くんに残された道がまた一つ減った。


「最後に哀れな仔羊と成り果てた執事の頭部を載せた忌まわしき皿を運び終えた後、自分の料理を手に電気の匣で舞い戻ると、大皿に目を奪われた吾輩らの目をかいくぐって、卓の上の偽物とすり替え自席に収まり、我々と共に頭部を発見したということか。筋は通っているように見えるが……」

「一番の問題は、料理運搬用のエレベーターで彼を運ぶことができるかということね。体積的な意味でなく、重量的な意味で」


 そこで美神さんは置物と化した一竜くんの首根っこを掴んで、市中引き回しの刑に処しながらエレベーターに向かった。


「実際にやってみましょうか。そうでなければ水掛け論になるばかりですから。まあ、見るまでもなく、結果はわかりきっているでしょうけど」

「うぅ……」


 もはやまともに声すら出ない一竜くんはなされるがまま、巨大な西洋人形こと美神さんに引っ張られていった。その光景はさながら、小学生向け怪談映画のワンシーンのようだった。

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