エピローグ 貴女は決して満たされない
アイツが家を飛び出し、2年が過ぎた。
一方私は卒業を期に、翔真さんと同棲を始めた。
社会に出て思ったのは、社会人って本当に大変だという事だ。
でも家事の手は抜けない
『変わらず私が』そう言ったが、翔真さんの提案で分担制となった。
お給料を貯めて、結婚に向け貯蓄に励む日々。
贅沢なんかしたく無い。
私には翔真さんが居れば十分だった。
『無理しなくても、少しくらいなら...』
そう翔真さんは言ったけど。
彼のご両親が遺した遺産と不動産は結構な金額になるそうだ。
でもそれは翔真さんの物、私は力を合わせて築きたかった。
「1人で大丈夫か?」
日曜日の昼下がり、出掛ける私に心配そうな翔真さん。
「大丈夫だよ」
「何かあったら直ぐ連絡してくれ」
「分かってるよ、夕飯までに帰るから。
外で食べたら駄目だよ」
「そんな事しないよ」
本当に心配症だけど、気持ちは痛い程分かる。
アイツに傷つけられた心は簡単に治らない。
私と翔真さんの携帯のロック番号は共有している。
連絡先や予定もお互いに把握していた。
[秘密は無し]
これが私達の約束なのだ。
「久し振りね小百合」
待ち合わせた喫茶店。
約束の時間を30分遅刻して現れたのはアイツ、私の姉だった。
「そうね」
名前を呼び捨てにされたが、思ったより不快感は...
「小百合、あなた翔真と付き合っているんだって?」
訂正する、やっぱり不快だ。
なんで翔真さんまで呼び捨てるのか!
「そうよ」
怒りを堪えて姉を見る。
興味無さげに私の向かいに座った。
ケバい化粧でもして来るかと思ったが、意外にも落ち着いたナチュラルメイク。
着ている服もシックで、昔の姉に戻ったのではないかと思わせた。
「...ふーん」
姉は店内を見渡す、感情が読めない。
「それがどうしたの?」
こちらも出来るだけ感情を抑える。
ペースを握られて堪るか。
「もう会えないって泣きじゃくってたのになって」
注文を済ませた姉が呟く、それは挑発。
「そうさせたのは誰?」
「仕組んだのはそっちでしょ」
「はあ?」
なにが仕組んだ。
自分から浮気して、破滅に突っ込んで行ったのに。
「まあ、こっちも翔真に悪い事はしたなって思うけど」
「...思うだけなんだ」
悪びれ無い態度に声が震えてしまう。
私や両親だけじゃない、翔真さんにも悪いと思ってないのか?
「何よ」
「別に」
怒りの視線に姉はうつむいた。
僅かばかり、人としての感情位は残っていたらしい。
「それで約束の物は?」
「ここに」
姉に書類を差し出した。
これを渡す為に呼び出したのだ。
そうじゃなければ、態々調べて連絡を取ったりしない。
「これを弁護士の所に持っていけば良いのね?」
書類の中身は生前贈与に関する書類だ。
翔真さんと結婚するにあたり、両親は正式に姉との縁切りを決めた。
そうして出来上がったのが、今の書類だった。
「まあ、贈与税とかあるからね。
細かい手続きはこれからだけど」
「いつ位に貰えるの?」
姉の言葉が僅かに上ずった。
そんな直ぐ貰える訳ないのに。
「お金に困ってるの?」
「...何言ってるの」
強がって私を見るが、図星なのは泳いだ目で分かる。
それに両親は連絡先と同時に姉の現在も調べていたのだから。
「そのままだよ、貴女はお金に困ってる。
違う?」
「な!!」
言葉を失っているな。
2年前に家を飛び出して以来、連絡を一切取らなかったのに、急に来たら自分の身辺まで調べられてると考えないのか?
いや...考えられる人間ならあんな過ちはしないか。
「後悔してないの?」
「後悔?」
姉には難しいか、後悔だらけだから。
「たくさんあるだろうけど、一番は翔真さんと別れた事かな?」
「バッカじゃない?
あんな下らない男、こっちから願い下げだったわ!
それなのに私にしがみついてさ...無様で笑っちゃうわ」
「無様か...」
姉は一気に捲し立てる。
挑発交じりの言葉に何も感じない。
それは姉の強がりだと分かったからだ。
「何よ」
私を見る姉の姿。
どうしてだろう?
昔の姉に戻って見えた姿が醜悪で、酷く哀れにうつった。
「無様はどっちかなって」
「アンタね」
「クズは捕まった」
姉の言葉を遮る。もう、容赦しないよ。
「はあ?」
「クスリだって?やっぱりクズはどこまでもクズって事よね」
「な...なんの事?」
姉は狼狽える。
知らないとでも思っていたのか?
「店は順調?今まではクズの父親が援助してたけど、息子が捕まった以上、これまで通り援助するかしら?」
クズ男と始めたレストラン。
最初の1年は順調だったそうだ。
しかし、昔の仲間とクスリに手を出した。
昔からやっていたのか知らない。
男と仲間達は捕まった。
今ここに居るから姉は使って無かったのだろう。
「息子が更正出来なかったのはお前のせい...
バカ親なら逆恨みするんじゃない?」
実刑らしいから、やっぱり再犯かな?
バカとやってた店には致命傷だろう。どうでも良いが。
「何も言えずか。
これでやっと、貴女とは縁切りね」
せいせいする。
ようやく終わった。
準備が無駄になったのは残念だけど。
「...うるさい...卑怯者」
帰ろうとする私を姉が睨み付けた。
「卑怯?」
「卑怯でしょ!
全部調べてさ、ノコノコ現れるのを待ち構えて、言い返せないのを分かってて!!」
ようやく本音を言ったか。
そうね...私が卑怯ならアンタは...
「本当バカね。
一流の大学を出た翔真さんは立派な社会人よ、裏切らなきゃ今頃素敵な奥さんしてたのに」
「...うるさい」
「目の前の快楽に溺れてさ...積み上げた幸せを...たった数ヶ月で」
「止めてよ...」
止めるものか、最後の止めだ。
「出しなよ」
「な...何を」
「翔真さんとの思い出の品よ、どうせまだ持ってるんでしょ?」
翔真さんの部屋に残っていたコイツが恋人だった証。
一部を除いて部屋にぶちまけたんだ。
部屋を明け渡す時、そんな物は無かったと聞いていた。
「とっくに捨てたわ」
「あっそ」
そう言うと思ったよ。
持ってきた鞄のファスナーを開き、中からペンダントとペアリング、そしてペンチを取り出した。
「...それは」
どうやら思い出したか。
でも手遅れだ、黙ってるか、謝罪の1つでも言えば返してやったのに。
「部屋に残ってたの、これなんか素敵なペンダントね、何かの想い出かな?」
私の手にあるペンダントを見る目が滲んでいる。
無言か、ならば...
「あら違ったみたいね、なら廃棄と」
ペンチでチェーンを断ち切る。
ブチブチに切れたペンダントがテーブルに
落ちた。
「ああ!!」
「何を叫んでるの。
下らない男の無様な思い出なんでしょ?」
バカはテーブルのペンダントをかき集める。
まだ終わりじゃないよ。
「へえ...ペアリングか...イニシャルまで彫ってるの...ね!!」
二つのペアリングをペンチで一気に潰す。
へしゃげたリングだった物体がペンチから落ちた。
「止めて...もう止めてよ」
泣きながらリングだった物を握りしめた姉の姿に今日、始めての怒りが込み上げた。
「ふざけるな!」
「さ...小百合」
「翔真さんに酷い心の傷を負わせといて...
翔真さんを幸せに...それがアンタの役目だったでしょうが!!
翔真さんのご両親に申し訳ないとか考えなかったの!?」
「あああ!!」
翔真さんのご両親が亡くなった時、姉は泣きながら翔真さんを抱きしめ、一緒に泣いたじゃないか!!
あの姿に私は翔真さんを諦めようと、姉が翔真さん幸せにしてくれると思ったのに!!
「アンタにはこれがお似合いよ」
鞄の底から取り出した金のリング、趣味の悪いドクロが彫刻されていた。
「何..これ?」
分からないか、塀の中に居る彼の私物なのにね。
「翔真さんがゴミ袋から取り出したのよ...避妊具にまみれていた中からね」
「ゴミ袋?」
「翔真さんの誕生日、アリバイのプレゼント。
まだ言おうか?」
「イヤアア!!」
姉は絶叫と共にリングを床に投げ捨てた。
「良いお金になるんじゃない?」
詳しくは知らないが。
「さようなら姉さん」
もうここに用は無い。
姉さんと呼ぶのは最後かもしれない。
そう思った。
「ごめんなさい...ごめんなさい....」
テーブルに突っ伏し泣きじゃくる姉を残して席を立つ。
喫茶店の勘定を済ませ、騒いでしまったお詫びをした。
かなり目立ってしまったが、遠い店だから2度来ることは無いだろう。
「意外と呆気なかったな」
全部終わった訳じゃない。
姉はまだ生き続けるだろう、それ以上でも以下でもない。
ただ、関わりは無くなっただけだ。
「何を作ろっかな?
そうだ、翔真さんの大好きな唐揚げにしよっと!!」
そう考える私の頭には愛する彼の笑顔で満ちていた。
おしまい