満たせなかった俺
「...終わったのか」
美幸の両親から届いた一通のメール。
その文面を何度も読み返した。
[美幸はこれから私達が監視する。
翔真君、本当にすまなかった]
最後に書かれた文字に息が詰まる。
謝罪して欲しかった訳じゃない。
それを言ったら、俺だって恋人を繋ぎ止める事が出来なかった。
美幸の愛に胡座をかいて、変わって行くアイツを止められなかったのだ。
『翔真...ありがとう』
5年前、告白をOKしてくれた美幸。
『翔真...私がついてるから』
3年前、交通事故で両親を失い、絶望に沈む俺を励ましてくれた美幸。
想い出が詰まった実家を人に貸し、大学近くのアパートに引っ越す俺についてきて来てくれた。
『翔真...アルバイト始めようと思うの。
ほら、私って料理があまり得意じゃないから、旦那さんに美味しい物を作ってあげたいし...』
1年前、そう言ってアルバイトを始めた美幸。
美幸は家事全般が苦手だったが、そんな事は気にならなかった。
一生懸命に頑張っているのが伝わっていたんだから。
『ごめんなさい、アルバイトの仲間とその日は』
美幸の変化はバイトを始めてから数ヶ月が過ぎた頃からだ。
帰りが遅くなり、酒に酔って帰る日も。
ずっと俺と一緒でストレスが貯まっていたのかと許してしまった。
...それが失敗だった。
美幸の生活は改まらず、何度も忠告をした。
そして、気持もぶつけた。
『好きだからこそ』と。
煩わしい顔で逃げる美幸。
その頃には男の影も感じていた。
もう終わりだ。
そう思ったが、別れを選択出来なかった。
『翔真...今夜しよ?』
時折美幸は迫って来たのだ。
愛情なのか、アリバイ隠しなのか、分からない。
また元の美幸に戻るのでは...そう期待してしまった。
それが偽りだと決定的になったのは、半年前。
深夜のアルバイトを終え、アパートに帰って来たがドアに内鍵が掛かっていた。
部屋の電気は点いていた。
中から話声も聞こえる、ドアを叩くが返事が無い。
美幸の携帯に連絡をするが、一向に出ない。
諦めてネカフェに泊まろうとする俺の耳に部屋の中から一際大きな声が聞こえた。
『彼氏君、可哀想!!』
『良いのよ、翔真は私にベタ惚れなんだから』
『そんな事言ってると捨てられるぞ!
国立大の優良物件なんだろ?』
『大丈夫だって、ヤらせたらイチコロなんだから』
『自信ありげな手つきだな、それで亮二もか』
『まあね...良かったらどう?』
酒に酔っているからだろうか。
最後のバカ笑いまで良く聞こえた。
気づけば俺は高校時代の親友岸井凌平が住むアパートまで15キロの道のりを自転車で走っていた。
『話は後だ、今は風呂に入って寝ろ』
『すまん』
夜中の三時にも関わず、快く迎えてくれた親友。
翌朝目覚めた俺に聞いた。
『何があった?』
『...実は』
気づけば俺は全てを話していた。
俺と美幸を知る人間だから遠慮は無かった。
美幸の変化、それを止められなかった後悔を全てぶちまけた。
『それでどうしたいんだ?』
一通りの話を聞き終えた親友が聞いた。
『どうって...』
『あのな俺はお前等が付き合っている時から知ってるが、池宮はまたやるぞ』
『どうして分かるんだ』
親友だが、言って良い事と悪い事がある。
不躾な言葉に思わず睨み付けた。
『経験からだ、実際聞いてみるんだな』
『聞くって?』
『連れてきたわよ』
『え?』
アパートの扉が開く。
そこに居たのは岸井凌平の彼女、橋本真理と、もう一人は...
『小百合ちゃん?』
『...翔真さん』
『どうして...ここに?』
それは美幸の妹、池宮小百合だった。
小百合ちゃんは高校時代、俺達が所属するラグビー部のマネージャー。
俺は小百合ちゃんを通じて美幸と知り合い付き合い出した。
『俺が呼んだんだ、池宮がどんな女か知るには一番だと思ってな』
『言ったのは私でしょ』
『すまん』
仲睦まじい凌平と橋本だが、今はそんな話では無い。
『岸井先輩、本当なんですか?』
『残念だが、事実だ』
『そんな...』
凌平に続いて俺を見る小百合ちゃんに頷くと、彼女は玄関先でへたり込んだ。
仲の良い姉妹だったから、信じられなかったのだろう。
『...姉は誰かに満たされないと気がすまない人間でした』
部屋に上がり、落ち着いた頃小百合ちゃんはポツリと呟いた。
『俺じゃ満たされなかったって事か...』
俺の想いは美幸の心を満たせなかった。
だから...糞!
『違う!アイツは腐ってしまったんだ!
どんなに満たそうとしても底が漏れて...違う奴等に!!』
『...小百合ちゃん』
『おかしいよ!翔真さんは幸せにならなくっちゃダメなのに』
泣きじゃくる小百合ちゃんに俺は決意を固めた。
『美幸と別れる』
『そうだな、当然だ』
『当たり前でしょ、他に選択肢は無いわ』
凌平と橋本さんは頷いた。
そうと決まれば、
『待って』
携帯を取り出す俺の腕を小百合ちゃんが止めた。
『ちゃんと償わせないと』
『償う?』
『アイツは翔真さんだけじゃない、私達家族も裏切ったんだよ、絶対に許せない』
『そうだな』
『確かに』
うんうんと凌平達は頷くが、俺が別れたら良いだけの話じゃないのか?
『翔真、後腐れは無い方がお前の為だ』
『そうよ、後で縋って来るのが目に見えるわ』
『...やるなら徹底的です。
先ずはお父さんに頼んでアイツの調査から始めますから』
こうして美幸の身辺を調べて貰った。
アパートには極力戻らず、必要な物だけ運び出す。
荷物は小百合ちゃんのお父さんが新たに契約してくれたアパートに運び込んだ。
『娘の不始末だ、これ位はさせてくれ』
頭を下げる美幸のお父さんに断る事が出来なかった。
(美幸は全く実家に連絡をしてなかったと、その時聞いた)
『翔真、誕生日おめでとう』
『ありがとう』
最悪の誕生日を心配した凌平達が新しく契約したアパートに集まってくれた。
一応美幸から誕生日を祝うと連絡を受けていたが、全く信用してなかったので、さよならと書き置きだけしてきたのだ。
『ん?』
しばらくすると携帯が着信を知らせた。
まさか美幸がアパートに帰って来て書き置きに気づいて連絡を?
[誕生日おめでとう、ごめんなさい、バイトが忙しくて帰れません]
『...アホか』
淡い期待が弾け飛ぶ。
そしてバカらしい内容に思わず苦笑いをした。
どこの世界にレストランのバイトで3日も帰る事が出来ないと?
どこまでも俺を虚仮にした態度、呆れを通り越した。
『...許せない』
小百合ちゃんが怒ってくれる。
その気持ちが嬉しかった。
数日後、最後の証拠を集める為にアパートに戻った俺と小百合ちゃんが見た物は...
『なんだよコレ?』
乱暴に詰め込まれたゴミ袋、そして並んだワインの空ビンだった。
『変な臭いがしますね』
『そうだな』
小百合ちゃんに説明は出来ない。
原因はベッドとゴミ袋の中身と分かっていた。
『これで十分か』
携帯のカメラでワインのビンを撮影する。
ついでに1本持って行こう、証拠には持ってこいだ。
軍手を填め、袋に詰めた。
仕上げが全て終わり、最後に大きな家財道具を運び出す。
ベッドは捨てた。
当たり前だな、気持ち悪い。
アパートの大家に挨拶をし、荷物が残っているので退去通知をお願いした。
『こんな物!!』
最後まで部屋に居た小百合ちゃんの声と、何かを床にぶちまける音が聞こえた。
その日に美幸から凌平の携帯に連絡があったそうだ。
俺の居場所は知らないと返したそうだ。
ついでに浮気も話してしまったと謝ったが別に構わなかった。
後は全て調査会社が動いてくれた。
美幸の仲間はバイト先から食材や客の酒を持ち出したりと、やりたい放題だったらしい。
美幸の就職も取り消しになったそうだが、興味も無かった。
そもそも、美幸の就職先がバイト先のオーナーが経営する会社である事も知らなかったのだ。
....それから1年が過ぎた。
『ただいま』
玄関が開き、顔を出したのは小百合だ。
『おかえりって、また来たのか?』
『うん!』
彼女は美幸と顔を会わせたくないからと家を出てアパートを借りた。
それは俺の住むアパートの隣で。
社会人になって1年目の忙しい俺は家事や、食事と小百合に助けられてばかりだった。
『1つ報告があります』
いつになく真剣な小百合が呟いた。
『バカが家を飛び出しました』
『は?』
小百合の言葉が理解出来ない...
『例のバイト先だったバカ息子の所だって。
バカ息子は勘当されたって話しだけど、向こうも甘々だね』
『だな』
1度甘い生活を知った人間は戻れないって事か。
『まだ就職も決まってないのに、どうするんだろ?』
『さあな』
アイツは昨年の卒業を見送り、今年の就職に賭けていた筈だ。
男に捨てられたらどうするつもりだ?
生活は?破滅しかないじゃないか。
『ごめんなさい...』
『何が?』
悲しそうに俯く小百合に胸騒ぎを感じた。
『せっかく監視してたのに、もう...私は...』
『...小百合』
そうか、アイツが居なくなったから小百合は家に戻るんだ。
『ここに居てくれ...』
『翔真さん』
『ちゃんと親御さんには話す。まだ社会人1年目だけど』
『...うん』
涙で頷く小百合。
まだキスはおろか、手さえ握って無い俺達だが、気持ちは伝わっていた。
『私が満たすから』
『満たす?』
『翔真さんは私が満たすよ、愛して、愛して、愛で満たしきるから!』
『小百合!』
『翔真!!』
俺達は激しく抱き合った。
エピローグ行きます(定番)




