満たされたかった姉
「ただいま~」
バイトが終わり、5日振りに彼氏と同棲するアパートの鍵を開ける。
彼氏の内藤翔真と私は付き合って5年になる。
高校からの付き合いで、お互い初めての恋人、キスも初体験も、全部翔真が最初だった。
それは良い思い出だったんだけど...
「あれ?」
部屋には誰も居ない。
私と違って4年になっても真面目に大学へ通っている翔真。
今日は家に居る筈なんだけど。
「なによこれ...」
テーブルに置かれていた書き置きに目を遣る。
そこには彼の字で短い一言が書かれていた。
[さよなら]
「全く、女々しいわね」
何なんだ?
そりゃ3日前、翔真の誕生日に帰らなかったけど、ちゃんとラインは送ったんだ。
[分かったよ]
そう返事をくれたじゃないか。
せっかくお詫びにバイト先から料理を貰って来たのに。
あとプレゼントも。
「まあ良いか」
料理をテーブルに置き、プレゼントも放り投げた。
用意したと言っても、これらは持たされた物だし。
バイト先の先輩でオーナーの息子。
遊び仲間の一人、私は彼の父親が経営する外食チェーン会社に就職が決まっていた。
「あ、もしもし亮二?私だけど」
携帯を取り出し早速連絡を取る。
相手はもちろん先輩。
さっきまでずっと一緒だった。
5日間、ずっとバイトと彼の部屋を往復し、泊まり込んでセックス三昧だった。
「早速来たよ」
「待ってたわ」
彼はすぐにアパートの部屋にやって来た。
やっぱり車を持っているのって大事だ。
それも最新のスポーツカーだし、自転車しか持ってない翔真との差は歴然よね。
「初めてだな、美幸の部屋に来るのは」
「そうね」
彼は珍しいそうに部屋の中を見る。
オーナーは都内の豪邸住まい。
亮二も高級マンションで一人暮らしだ。
恥ずかしい、こっちは築40年のボロアパート。
まあ、私の部屋じゃなくって翔真の借りている部屋で、実家は別なんだけど。
「美味しい」
「親父お気に入りの銘柄だからな」
亮二が持参して来たワインを飲む。
これは一瓶数万円はする高級品、バイト先からくすねて来たんだろう。
「なんか良いな」
「何が?」
「だってここに美幸が暮らしてるんだろ?」
彼は熱い目で私を見詰めた。
間違いない、私の日常を感じる部屋に彼は興奮している。
そう言う私も、また身体が熱くなるのを感じていた。
「間抜けは帰って来ないよな」
「大丈夫よ、内鍵しとくし」
内鍵は部屋の中からしか解錠出来ない。
翔真が着けたのだ。私が一人の時に不審者が来たら危ないからって。
これを使い、深夜バイトから戻った翔真を閉め出した事がある。
その時は仕方なかった。
深夜終電を逃した友達を家に泊めたからだ。
中に数名の男も居たが。
「それじゃな、彼氏君に宜しく言っといてくれ」
「ありがとう、いつでも来てね」
一晩中、獣の様に愛し合い、翌朝彼は部屋を出る。
ベッドから顔を出したまま、裸の私は彼を見送った。
「さて、掃除しとかなくっちゃ」
部屋中に散乱する昨日の食事の食べ残しと、ワインの空ビン。
あと、使用済みの避妊具。
正直、ゲンナリするが、証拠を残す訳には行かないので乱暴に仕分け、ゴミ袋へと詰めた。
「これは...捨てるか」
ふと目に留まったのは翔真へのプレゼント。
喜ぶかは微妙だ、彼がアリバイに自分の持っていた私物を適当な箱に詰めてラッピングし直しただけだし。
「まだ連絡が来てないのか」
携帯をチェックするが、翔真からの連絡は無い。
代わりに遊び仲間からは来ていた。
「あれ?」
一応のラインを翔真に入れるが、既読が着かない。
昨日の物からずっとだった。
「ブロックするなんて生意気ね、もっと後悔させてやる」
ラインで遊び仲間を部屋に呼び出す。
今日も学校のサボリが確定した。
「...おかしい」
一週間が過ぎた。
全く翔真と連絡が着かない。
さすがに焦る、こんな事は初めてだった。
[ねえ、翔真知らない?]
意を決し、翔真の知り合いに連絡を入れる。
こいつは私達の高校時代からの同級生、お堅いから苦手なのだが。
[居場所までは知らん]
居場所までって、何の事?
[何それ?]
返信を返す。
嫌な予感がした。
[自分で調べろ]
素っ気ない返信が返って来た。
[教えてよ、翔真が急に消えちゃったの]
[当たり前だ]
「何なの?」
翔真が居なくなったのに、全く焦る様子が無い。
こんなのは変だ、同棲する彼女を置いて居なくなったのに。
[浮気三昧されりゃ誰でも逃げるさ]
「な....」
頭が真っ白になった。
コイツがなんで?
その後、何度ラインをしても既読はつかず、返信も返って来なかった。
「退去通知?」
数日後、部屋の様子を見に来たらポストに入っていた一通の封筒。
それはアパートの大家からの物だった。
「一体これは...?」
部屋には翔真の荷物は一切無い。
残されていたのは私の服や食器等だった。
「そんな...」
床に散乱していたのは私と翔真、想い出の品。
高校時代から5年間の幸せだった時代...
「...どうして?」
冷静に事態を考えるが、上手く把握出来ない。
分かっているのは、翔真が再びここに帰る事が無いという現実だけだった。
僅かな想い出の品をかき集め、鞄に詰めた。
「まだ終わってない!!」
こんな終わり方は嫌だ。
だいいち、別れ話すらしないなんて卑怯じゃないか!
眠れないまま、一夜が明けた。
『帰れ』
「え?」
翌朝、亮二の住むマンションに戻り、インターホンで呼び出す私に返って来たのは予想外の言葉だった。
「どうしたの?
昨日バイトをサボったの怒ってるんなら謝るから」
『話す事なんてねえよ!そのままゴミを持って帰れ!!』
インターホンから響く亮二の怒鳴り声。
ロビーに居た人から集まる視線に慌てて逃げ出した。
「もう来なくていい」
「はい?」
バイト先に着く私に普段は居ないオーナーが言った。
「亮二もクビだ、まあ...よくも公私混同を」
怒りの目に身体がすくむ。
公私混同って、バイトを何回か無断でバックレた事?
シフトを勝手に入れ替えたのが?
無断で料理を持って帰ったのが?
「今日までのバイト代だ、もう顔も見たくない」
「そんな!私の就職は?」
「あるわけ無いだろうが!!」
怒鳴り声と共に店を追い出されてしまった。
「家に帰るしかないか...」
仲間の連絡先は繋がらない。
全てブロックされている。
おそらくは、彼の父親から伝わったのだろう。
就職も、住む場所も、全てを失った私が頼れるのは実家しかなかった。
「分かった、卒業までは面倒みよう」
1年間振りの実家。
お父さんは私の方を見ようともせず、吐き捨てる様に言った。
「就職が取り消されたのは説明したでしょ?
あと卒業まで3ヶ月しかないのに」
「本当なら私達はあなたの顔も見たくないのよ」
お母さんはまるでゴミを見るような目をして言った。
「ちょっとお母さん」
「...あなたに母親呼ばわりされたくない」
「そんな...」
激しい拒絶が返って来た。
「早く消えてくれない」
「小百合...」
二歳下の妹まで...ずっと仲は悪くなかったのに。
「気安く呼ばないで、もう縁は切るからね。
私は家を出るから」
「何でよ...」
「人の皮を被った獣が」
「翔真君がお前と別れたいと、理由を言わないからお前の事を全部調べた」
まさか!
「全部って...そんな馬鹿な...」
「何度も電話したが、お前は全然出なかったな」
「う...」
『煩わしかった』
どうしてるか、聞かれるのが嫌だった。
「何が不満だったんだ?
翔真君の一体どこが?」
お父さんの言葉が突き刺さる。
何がって...
「お父さん、聞くだけ無駄よ。
コイツは本能の赴くままにしか生きれないんだから...大切な想い出を踏みにじり、目先の欲望にしか目が行かない人間...それ以下なんだから」
妹の言葉に何も言い返せない。
私は何が不満だったの?
満たされていた筈だ。
両親を事故で失った翔真の為に、私は支えになりたくって。
だから彼のアパートで同棲を...
「...翔真は?」
「もう彼に関わるのは止めなさい」
「教えてよ!」
「まだ分からんのか!!」
お父さんの怒鳴り声に負けじと睨み返す。
まだ何も翔真と話してないのに!
「諦めなよ」
「小百合...」
「もう姉さんは翔真さんにとって悪夢なんだよ。
私だって...好きだったのに」
妹の目から流れる涙。
そうだ、小百合は翔真の事が...
「ごめんなさい」
「手遅れだよ...こんな事になるなら私が翔真さんと...なんで、こんな屑に私は...」
慟哭する小百合に何も言えなかった。