8:兄は過保護な引きこもり(1)
私は家族以外の男の人が苦手だ。
小学生の頃はそうでもなかったのだけれど、中学に上がり、男子は女子を女子は男子を互いに異性だと認識するようになった頃から、私は気づいたら男の人が苦手になっていた。それも、特に背の高い男の人が苦手。
何か原因があったのかどうかもよく覚えてはいないが、どう頑張っても相手の目を見て話すことができない。
そして、あまりにわかりやすく目が合わないため、周囲の人は割とすぐに私が男が苦手であることを悟る。
だから家族以外で普通に接することのできる大志が、私の特別であることは他人から見れば一目瞭然で、こう質問されることが多い。
「そういえばさ、ずっと気になってたんやけど、佐藤大志って結ちゃんの彼氏なん?」
お昼の時間、空き教室で私のお弁当を横からつまみ食いしながら、友人Aは不意に尋ねてきた。
入学してひと月近くが過ぎ、それなりに関係性が深まってきたと今がチャンスだと思ったのだろう。彼女はこの日はじめて、私のプライベートに踏み込んだ質問をしてきた。
「え?何で?」
「だってよく話してるし、たまに彼の分のお弁当も作ってきてあげてるやん?だから付き合ってるんかと…」
「別に付き合ってないよ?」
「嘘だぁ!結構な頻度でこんな手の込んだお弁当作ってるのに、彼氏じゃないなんてあり得る?」
私の『お兄ちゃん特性☆映え唐揚げ弁当』を指差し、彼女はそう言った。
確かに、完璧な栄養バランスと映える盛り付けのお弁当を見たらそう思うのも無理はないかもしれない。
他の二人も、彼女に同意するように大きく首を縦に振った。どうやら皆んな、私たちの関係について気になっていたようだ。
「あー、違うの。これは私のお兄ちゃんが作ってて、お兄ちゃんの気まぐれで、たまに大志の分も持ってくるだけと言うか…」
私は誤魔化さずに素直にそう説明した。
誰もこのお弁当が兄の手作りだなんて思ってもいなかったらしい。友人Aもその隣にいたBと Cも怪訝な顔をした。
当然と言えば当然である。
兄が妹の友人のために弁当を作るなんて、多分普通じゃない。それは私にもわかる。
しかしその普通じゃないことが事実なのだからどうしようもない。
「え?……まじで、二人はどういう関係?親公認ってこと?」
友人Aは本気でわからないという顔をした。何だか申し訳ない。
私はどう説明すれば良いものかと頭を悩ませた。
「えーっと…大志は高校時代からの友達で、よく家にも遊びに来てて、それでお兄ちゃんも彼のことを気に入っていて…。みたいな?」
「え?だからって、妹の友達のお弁当まで用意する?」
「…仲良いからって、そこまでするかなぁ?」
「うーん。普通なら作らないとは思うけど…」
兄は普通ではないので作るのです。普通ではないから。
特に最近のあの卑屈なくそ引きこもり変人ニートは、『子持ちの主婦のふりして作ったお弁当をSNSにアップして、いいねを集める』という遊びにハマっているため、いつも以上に気合いを入れてお弁当を作ってるから、大志の分の弁当持参の頻度が高いだけだ。
(しかし、それまで説明するのはなぁ…)
より、彼女たちを混乱させてしまう気がする。
私は『うちのお兄ちゃん、変わり者だから』と笑顔で誤魔化した。
***
あの後、友人たちの興味が私と大志の関係性から、私の変わり者の兄へとシフトし、最終的には何故か私の住まいが駅前のマンションだという話になり、結果、彼女たちは一度家に遊びに行きたいと言い出した。
どうやら、私の住むマンションは彼女たちの中で高級マンションに分類されるらしい。売り出された当所はそうだったのだろうか。
あまりに目を輝かせる彼女たちに、私は『中古だ』と念を押した。
だがそれでも一度見てみたいというので、私は家族に相談してみると返した。
私としては大志も頻繁に家に来ているし、別に彼女たちを家に招く分には問題はないのだが、色々な理由から兄と彼女たちを合わせるのは少し気が引ける。
よって私は、駅前の老舗パティスリー『エリシオン』のガトーショコラを購入し、家路に着いた。
そして帰宅早々に、兄の部屋に紅茶とケーキのセットを持参してドアを開ける。
「……何が目的だ」
兄はお気に入りのケーキを手に、笑顔を貼り付けている私を警戒するように布団にくるまり、頭だけ出してこちらを半眼で見てくる。
私は小さなテーブルの上に置かれた古めのパソコンを床に下ろすと、そこにケーキを置いた。
「お願いがありま…」
「やだ」
「お兄ちゃん。今度の日曜日、昼間の数時間でいいから…」
「絶対やだ」
「……」
「……」
最後まで言わせてくれない兄に、私は脳の毛細血管が切れそうだ。
なので、兄から布団を引き剥がし、遮光カーテンを雑に開けてやった。
夕日が眩しいのか、兄は眉間に皺を寄せ、目を細める。
「うっ!やめろおおお」
「来週末。友達を招待したいから、お兄ちゃんは外出してて欲しいの!」
「何でだよ!何でお前の友達が来るからって、俺が外に出てなきゃいけないんだよ!」
「だって!お兄ちゃん、絶対私の友達のことチェックするじゃん!リビングのペット用モニターから和気藹々とした女子会を盗み見るじゃん!」
「んなことしねーよ!俺はそんな姑息な真似はしない!むしろ堂々と女子会に参加するわ!」
「何で参加すんのよ!そういう時こそ、お得意の引きこもりを発揮して部屋に篭っといてよ!」
「それは無理な相談だな。何故なら妹の交友関係を把握することは兄の務めだ」
「何言ってんの!?頭おかしいんじゃないの!?」
私は叫んだ。
兄は昔から私の友人関係をチェックしたがるのだ。
私に危害を加える輩がいないか心配しているのだろう。
少なくとも、兵庫に来てからできた友達は私にとってはかけがえのない存在であり、全員本当に優しい子たちばかりだというのに…。本当に過保護がすぎると思う。
「お兄ちゃんが認めたやつでないと、お前の友人になる資格はない」
「妹の交友関係まで干渉してくるシスコンなお兄ちゃんこそ、私の兄である資格ないよ」
「そんなこと言うなよ。お兄ちゃん、泣いちゃうぞ」
「泣けば良いのよ」
私は大きなため息をつきながら、兄のために用意したガトーショコラにフォークを入れた。
何やら兄が『俺のおおおお!』と叫んでいるが無視だ。交渉が決裂したのに賄賂はもう必要ない。
「お兄ちゃんはどうしてそんなに過保護なのよ」
「お前が鈍臭いからだよ。お兄ちゃんが守ってやらねは簡単に死ぬだろ」
「私のこと赤ちゃんか何かだと思ってんの?馬鹿にしてんの?」
「馬鹿にしてないし、これは兄の愛だ。ありがたく受け取りなさい」
「その愛は受取拒否して送り返します」
何がそんなに心配なのか。
私は半分だけ食べたガトーショコラの皿を兄に突き出し、『愛を返品します』とだけ言い残して部屋を出た。
(…彼氏でも作ろうかな?)
自室に戻った私は、スマホに入っていた大志からのメッセージの通知を見て、不意にその考えが浮かんできた。
守ってやらねば、という意識が強い兄は、妹を守ってくれそうな彼氏がいれば、安心して過保護も和らぐのではないだろうか、と。
そう考えた私は、メッセージアプリを開いた。