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【完結】引きこもりの兄と私  作者: 七瀬菜々


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28:私のお兄ちゃん(2)

 ダイニングテーブルに強制的に座らされた私たちは、頭にハチマキを巻いた兄の姿に困惑しつつもツッコミを入れたら負けだと思い何も言わなかった。

 カチャカチャと音を立ててキッチンで何かを作る兄。何を作っているのかは何となく匂いでわかるのか、大志の眉間の皺はますます深くなる。

 その気持ち、私もよくわかる。なぜなら彼が作っているものは誕生日会に相応しいのか微妙な料理だからだ。

 残念な兄は『へいお待ち!』と言ってラーメン鉢を大志と私の前に置いた。

 濃厚なスープに半熟の味玉。分厚いチャーシューが美味しそうな本格的なラーメンが、なぜか目の前にある。


「お前ラーメン好きだろ?だから、作ってみた。横浜家系ラーメン」

「お兄ちゃん、一昨日からスープ仕込んでるから」

「本気度が逆に怖い」

「おしゃれな料理より、こっちの方がいいだろ」

「まあ、確かに?」


 兄からの思わぬ誕生日プレゼントに動揺しながらも、大志はいただきますと手を合わせてラーメンを啜る。

 すると、彼は大きく目を見開いて私の方を見た。何だか目がキラキラしている。

 どうでもいいが、とりあえず口に入れた麺は一旦全部啜ってしまえ。


「うまっ!?」

「うまいか!?それはよかった!」

「天才やん。店できるやん!」


 二人はそう言って固い握手を交わした。ちょっと嫉妬してしまう。仲が良すぎだ。


 結局、大志は私の分も合わせて2杯ラーメンを食べた。

 多分、晩御飯が入るスペースなど彼の腹の中にはないだろう。昼ご飯を食べてきたはずなのに、よくラーメンを2杯も食べられるなと思う。

 大きく膨れ上がった胃をさすりながら、大志はソファに深く腰掛けた。

 私はそんな彼の前に水の入ったグラスを置く。


「動けん」

「食べ過ぎだよ」

「でも美味かったから仕方ない」

「まあ、喜んでもらえたのなら良かったけど」


 満足そうに微笑み彼を見て、私も薄く笑みをこぼした。


「で、お前らいつ話するんや?」

「うっ…」


 大志が家に来て約1時間と30分。

 私と兄は意図的に会話を避けている。そのことを指摘され、私も兄も気まずくて窓の方に視線を向けた。


「俺はそのために呼ばれたんと違うんか」

「そ、そうだっけ?」

「俺がおるときに話した方がええと思うけど?」

「……」

「ゆーい?」

「する。するするする!話する!はい!お兄ちゃんこっち来て!」

「お、おう…」


 兄は言われるがまま、リビングの方へとやってきた。

 頭に巻いたハチマキを取り、私の向かいに正座する。私も、何だか同じようにしなければならない気がして、ソファから降りて兄の前に正座した。


「……」

「……」

「えーっと…、ねえ?」

「お、おおう…」

「あのー、ほら、あれだよ、あれ。ね?お兄ちゃん」

「そ、そうだな」

「会話になってへんぞー」

「ううっ」


 話すとは言ったけど、何を話せばいいのかわからない。

 いや、嘘だ。本当はこの数日で言いたいことはちゃんと整理した。あとは勇気を出すだけだ。

 それなのに、私の心臓は緊張のあまり小刻みに波打つ。

 私はすうっと息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。

 私にはちゃんと、伝えないといけない事がたくさんある。


「お、お兄ちゃん。あのね、私ね、お兄ちゃんはどう思ってるかわからないけど、私はもう、お兄ちゃんね引きこもりやめて欲しいとか、思っているわけじゃないの。会社に所属することだけが働くってことではないと思うし、私は、お兄ちゃんは今のままでも良いと思う…」


 兄は多分、東京でのあの出来事をきっかけに前に進もうとしている。それも、症状は以前のように逆戻りしているのにも関わらず、無理矢理に前を向いている。

 それは、兄なりに頑張ろうとしているという証拠なのだろうが、私は無理はしないで欲しいと伝えた。


 私はもう、兄に引きこもりをやめてほしいとは思っていない。

 兄のペースで前に進んでくれればそれで良いと思う。無理をすることはない。

 兄が安心するならGPSも電話もメールも苦じゃないから今後も続けてもいい。


 でも…。


 同時に、私に罪悪感を抱くのは、もうやめにして欲しいとも思う。私が暴行を受けたのも、記憶を無くしたのも、兄のせいじゃない。

 兄は何ひとつ悪くないのに、そこまで私のことを気にかけてくれなくても良い。背負ってくれなくていい。

 大事にされているのはとても嬉しいけれど、私はそれ以上に、兄に自分のことをもっと大事にしてほしい。

 兄には兄の好きなように生きてほしい。私の存在に縛られてほしくない。


 うまく言葉にできないけれど、私はそのような意図の話を言葉を選びながら伝えた。

 ずっと顔は伏せていたので兄の顔は見れていない。

 だから今、彼がどんな表情をしているはわからない。

 けれど、言葉を挟んではこないけれど、とても優しい顔をしているような気がした。


「お兄ちゃん、ずっとずっと、お兄ちゃんの心の傷に気づかなくてごめんなさい。ずっと私のこと守ってくれて、ありがとう。私はね、お兄ちゃんがどんなお兄ちゃんでも大好きだよ。引きこもっていようと、度が過ぎたシスコンだろうと、ちょっと頭おかしかろうと、ずっと大好きだよ。だからね、何て言えば良いのかわからないけど、私はこれからもずっと、お兄ちゃんと一緒に歩いて行きたいって思うの」


だんだんと、自分でも何を言ってるのかわからなくなってきた。

 伝えたかったことはこんな事だっただろうか。

 もっと事件のこととか、色々と話したかったはずなのに。


 何故だか自然と、涙が溢れて止まらない。 


「何で泣くんだよ、ばーか」


頭上からとても優しい兄の声が聞こえた。

 その声は少し掠れていて、私の頭を撫でる手の優しさとも相まって、私の余計に涙腺がバカになる。

 大志に差し出されたタオルで涙を拭い、私は顔を上げた。


 目の前には少し目尻が赤く、鼻をすする兄の姿。

 何故だか兄のその顔がおかしくて、私はフッと小さく笑みをこぼした。


「お兄ちゃんも泣いてるじゃん」

「泣いてねーよ」

「嘘つきだ」

「嘘じゃねーし」


兄はふぅ、と大きく深呼吸すると何処からともなく出してきた書類を私に手渡した。

 新のクリアファイルに入っていた書類はハローワークの物。

 私はキョトンと首を傾げた。


「工藤のやつに触発されるのは癪だったけど、でも、多分お前は俺のことでずっと悩んでるだろうと思って、だから、その…。とりあえず、ハローワークに行って登録してきたのに…」


意味ないじゃんと、兄は恥ずかしそうに目を逸らせた。どうやらこの間の外出はそれが目的だったらしい。

 そして、大志の本当の誕生日には、人材派遣会社に行く予定にもしていたのだとか。


「お前だって、俺の引きこもりは自分のせいだとか思ってただろ。それで悩んでた。自分の罪悪感を消したいために俺に前を向けと言ってしまいそうだとか、そんな自分に嫌気がさすとかそんなこと考えてただろ?」

「….うっ」


 さすがは兄だと思う。私の考えなんてお見通しだ。


「お前だって、そんなこと考えなくて良いんだよ。……って伝えたくて、真っ当な人間になろうと思って普通の仕事するためにハローワーク行ったんだ。まあ、ハローワークに行くことすらもまともに出来なかったけどな」

「お兄ちゃん…」

「でも、お前が気にしないなら、これはもう無駄だな。俺は今の生活のままでいい….というか、むしろその方が割と性に合ってる」

「そっか…」


 兄は穏やかに微笑み、『本当は心のどこかで、今のままでいいと思ってた』と言った。

 確かに今の彼には外に出て働く理由なんてないから、これで良いのかもしれない。

 私は兄の意見に同意した。


「ま、でも、リハビリはするよ。外に出られないのは不便だからな」

「そう、だね」

「だからさ、手伝ってくれるか?リハビリ」

「私で良いの?」

「お前がいい」

「うん。わかった。手伝う」


 兄は私に手を差し出し、私はそれを強く握った。

 なんだか気恥ずかしい。


 その後は昔話に花を咲かせた。

 自然とそういう流れになって、本当に何となくだけど、アルバムとか出してきたりして過去に想いを馳せる。


 私が生まれた日のこと、兄のストーカーをしていた幼稚園時代の話、反抗期の兄の暗黒時代の黒歴史、そして中学の時のこと。

 事件の後からずっと私に遠慮して言えなかったことや今の気持ちも、兄は少しだけ話してくれた。

 

 多分、今日兄が話してくれた事は彼の闇のほんの一部だと思う。

 けれど、それでも良い。全部を話してほしいとは思わない。

 いつかの日か兄が過去から解放されて、私に遠慮しなくなれればそれでいい。

 そういう日がいつか来るといいのにと、強く願う。



「結」


 不意に、兄が私の名を呼ぶ。とても優しい声で、優しく微笑みで。


「何?お兄ちゃん」

「一回だけ、ぎゅーってしてもいいか?」

「ふふっ。いいよ」


私は少し照れ臭そうに両手を広げた兄の胸に飛び込んだ。

 兄は飛び込んできた私をぎゅっとキツく抱きしめる。

 兄からはラーメン屋さんの匂いがした。ここでシトラスの香りじゃないあたりが兄らしい。


 その後、私がチラリと大志の方を見ると、何故か彼も混ざってきて、最終的には帰宅した母まで混ざって何がなんだかわけがわからなくなったけど、今日はとても良い日だ。


 だって空はこんなに晴れている。 



 

 

 

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