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3:今年の桜はもうすぐ散る(1)

 入学式まであと5日。友達とのランチ会の帰りの電車で、窓の外を眺めながら私は小さくため息をついた。

 週末の天気予報は雨。きっとその雨に負けて、入学式を待たずに薄ピンクの花弁は散ってしまうことだろう。

 今年も兄はこの可愛らしい花を見ることもなく、遮光カーテンで光を遮った薄暗い部屋で春が過ぎ去るのを待つのだ。

 春の暖かな空気を、虫の羽音を、儚くも美しい花の香りを、彼はもう何年も感じていない。


(今年もお花見に誘ってみようかな…)

 

 昨年の兄は、私が花見に誘うと『しょうがねーな』と言って、めんどくさそうにしながらも行楽弁当を作ってくれた。

 そして夜なべして作った折り紙の桜を壁一面に貼り、リビングでレジャーシートを広げてお弁当を食べた。

 そう。私は昨年、室内で花見と言って良いのかもわからない花見をしたのだ。

 

 いや、それはそれで感嘆の息が漏れるほど美しい光景だったし、父もリモートで参加できたし、何だかんだで楽しかったのだけれども…。なんだろう。そこまでして花見に行きたくないのかと私は兄が怖くなった。



(お兄ちゃんはいつまでこんな生活を続けるんだろうか)


 各駅止まりの鈍行列車。兄と同じ歳くらいの男性がスーツを着て吊革に捕まり、電車の揺れに身を委ねる姿を見て、私は何だか悲しくなった。


 別に兄は世間様に迷惑をかけているわけではないし、納税の義務も労働の義務もきちんと果たしている。だから彼がこのままで良いと言うのなら、無理に外に連れ出す必要はないのかもしれない。

 けれど、たとえただのお節介だとしても、何故か、彼には外に出て欲しいと強く思ってしまう。


(深層心理で、引きこもりの兄を恥ずかしく思っているのだろうか)


 兄が引きこもり始めてしばらくした頃から、私は何かと理由をつけて兄を外へと連れ出そうとした。

 例えば高校の文化祭を見に来てほしい、日本初来日のスイーツ店がオープンするから一緒に買い物に行こう、お兄ちゃんのために現役女子高生と合コンを開いてあげる、などなど…。

 何度も、若い女の子と甘いものに目がない兄を言葉巧みに外へと誘い出そうとしたが、結果は惨敗。

 私が知る限り、兄は2年7ヶ月の間、一度も外に出ていない。

 いや、マンションの敷地内にあるコンビニには行く事があるので、正確に表現するならば、『マンションの敷地内から出ていない』が正しい。

いずれにせよ、兄はずっと外に出る事を拒み続けている。


(…昔は家族でお花見とかしていたのになぁ)


 東京に住んでいた頃は、近くの大きな公園でよくお花見をしていた。

 母の手作り弁当を持って、レジャーシートを広げて、父は昼間からお酒を飲んでいた。


「……はあ…」


 来年は一緒に桜が見れると良いなと願いながら、私は車窓から見える桜並木から目を逸らせた。もうそろそろ、次の停車駅だ。



 駅に着き、人がぞろぞろと降りると、私は空いた席に座った。そしてスマホを取り出し、ホームボタンを押すと兄に『もうすぐ駅に着く』とメッセージを送った。

 そして友達からのメッセージの通知やニュースアプリの通知に混ざって、とあるブログが更新されたことを示す通知を見つけた私はすぐにリンクに飛んだ。

 私が開いたサイトは『社会不適合者の戯言』というブログ。タイトル以外は、白黒のシックでおしゃれなデザインのブログだ。


 そう、これは兄のブログ。毎日12:00に更新されるそのブログに私は必ず目を通している。

 私が読んでいることを兄は知らない。私も読んでいることを兄には言わない。なぜかというと理由は単純で、ただ単に恥ずかしいからだ。

 

 私がこのブログを読み始めたのは2年前。兄が引きこもり始めて半年ほどたった頃だった。

 初めは引きこもってしまった兄のことを理解しようと読み始めたのだが、兄には意外と文章力があったらしい。私はみるみるうちに、彼の書くくだらない文章に引き込まれていった。

 

 メディア報道の印象操作について、少年犯罪の厳罰化やいじめ問題ついてなど。兄はその時々の時代の流れに合わせて、話題になっているテーマでブログを書く。

 彼の文章は全て、一見極端すぎる結論から始まり、後にその結論に到達するまでのプロセスが続くというスタイルで書かれているのだが、その後半が絶妙なのだ。毎度、何故か『それも一理ある』と思わせる書き方をする。


(前世は多分詐欺師だろうな)


 家からの最寄り駅まで残り二駅。私はその時間を利用して、最新の記事を読んだ。

 今日の題材は『最も有効な防犯対策』というものだった。

 


 

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