23:帰りの新幹線
あの後、兄が月島さんに連絡し、田辺さん達を引き取ってもらうことにした。
月島さんは工藤さんが一緒にいると聞いて、すぐに駆けつけてくれた。
額に汗をかき、社員証をぶら下げた彼は私たちに何度も頭を下げた。こちらこそ、明らかに休日出勤していただろうに、邪魔をしてしまって申し訳ない。
それから、私たちは帰りの新幹線までの時間、少し観光しようかとも思ったが3人ともそんな気にはなれず、結局私たちは予定を切り上げて関西に帰ることにした。
「…」
「……」
「………何この状況」
私、大志、兄の順番で座り、帰路に就く新幹線の中。
何故か自分の腕にまとわりつき、ふぅ、とやけに艶っぽいため息をこぼす兄に大志は困惑していた。
「大志ぃ…」
「…何すか?」
「結婚しよう」
「断固として拒否します。100億積まれても無理です」
「辛辣ー」
兄の告白を大志は、きっぱりすっぱり拒絶し、腕にまとわりつく彼を押しのける。
どうやら、先程の大志がカッコよくて惚れたらしい。
冗談だとわかっているのに、冗談っぽくない眼差しが上手な兄に、彼はブルっと体を震わせた。
(…まあ、確かにカッコ良かった。うん)
今日、もし彼がついて来てくれていなければ、どうなっていたかわからない。
兄は感情に任せて田辺さんを殴っていたかもしれないし、私はあの人を許さなければならなかったかもしれない。
もしそうなれば私たちの人生はきっと、また碌でも方向に進んでいたことだろう。
頼み込んで無理やりついてきてもらって、こんなことに巻き込んだことは本当に申し訳なく思うけれど、彼がいてくれて本当に良かったと思う。
「私も結婚するなら大志がいいなぁ…」
私はコーヒーを飲みながらポツリとつぶやいた。
いつか結婚するなら、大志のように、いざという時に頼りになって、寄り添ってくれる人がいいなと思う。我ながら理想が高い。
そう話すと何故か、隣に座る彼は大きく目を見開いてこちらを見ていた。
「え?な、何?」
「え?」
「え?」
大志の顔はみるみるうちに赤く染まっていく。茹で蛸のように。
それにつられてしまい、私の体温も上昇を始めた。
「それは、さ。ど、どう捉えるのが正解?」
「どう、って。え?どういうこと?」
「え?結婚、するか?俺と」
「な、ななな何でそうなるのよ。ただ、大志みたいな人がいいなって言っただけでっ!」
「じゃあ、俺でいいやん。俺みたいなのがいいなら、俺でいいやん」
「ま、まあ、確かに?」
そう言われれば、確かにそうなのかもしれない。
いや、別にそういうつもりで言ったわけではないのだけれど、そういう展開になったとしたらそれはそれで、無くはないというか何というか。
(嫌じゃない…けども…うん。嫌ではないけど…)
何だか胸のあたりがそわそわする。落ち着かない。
私たちがそうして互いに顔を見合わせて赤面していると、兄はクスクスと声を堪えて笑った。
「俺、ちょっとトイレ。小一時間くらい行ってくるわ」
「小一時間も便所占領したら怒られますよ」
「でっかいの出そうだから仕方ない」
「品がない」
「今更だろ」
兄は大志の頭をわしゃっと撫でると、『俺はお前しか認めないからな』と言って、でっかいのを出しに行った。
*
兄が退席して3分。おおよそ世の中のカップラーメンの大半がちょうど食べごろになる時間、私たちは沈黙した。気まずい。
例えるなら、そう。付き合いたてのカップルが映画を見た後、近くのカフェで感想を言い合ってた時にふと、二人ともが同じタイミングで沈黙してしまった時の気まずさだ。
相手が話し出すのを待てば良いのか、それとも自分から話し出すべきなのかがわからない。
(な、何か話さなきゃ)
私が内心ものすごく焦っていると、その気まずい雰囲気を壊すように大志は私の左手に自分の右手を重ねた。
「な、なに?」
「…大丈夫か?」
「な、何が?」
「工藤と会ったこと」
「あ、ああ…うん…大丈夫…」
一瞬、告白でもされるのかと思った。そう考えてしまった自分が恥ずかしい。
自意識過剰ってやつだ。私は大志に顔を見られてくなくて、窓の外を見た。
今はどの辺だろう。遠くに富士山が見える。
「…ごめんね。なんか変なことになっちゃって」
「気にすんな。むしろ一緒におれて良かった」
「ありがとうね、本当に。助かった」
「どういたしまして」
後ろから、彼のフッという吐息が聞こえた。多分とても優しい目をして微笑んでいるのだろう。
その優しさに甘えたくなって、私は吐露する。
「…私さ、勝手にさ、ああいう事した加害者って更生しないと思ってた。悪い奴はずっと悪いままだと思ってたわ」
だから、彼に会って驚いた。
見た目は誠実そうだったし、何より本当に普通に反省していたから…。
何だか拍子抜けだった。
「いっそのこと、ずっと悪いやつでいてくれたら良かったのにって思う」
そうしたら、何も思わなかったのに。
悪い奴は悪い奴のままでいてくれたら、私がこんな複雑な気持ちになることもなく、ただ嫌悪感だけを抱いていられたのに。
人として許すべきだったのではないかという思いと、許したくはないという思い。
彼は前に進んでいるのに、兄は今もあの日に囚われている事に対する劣等感。
それと対比するように浮かび上がる、兄が失った時間への喪失感。
幸せになっている彼に対する嫉妬。
不幸であってほしいわけじゃないのに、じわじわと溢れてくる憎悪。
結局、彼が私にもたらしたものは、もやもやとしたドス黒い感情だけだった。
「嫌なやつだね、私は」
ものすごい速度で変わりゆく車窓をからの景色を眺めながら、私は自嘲するように笑った。
少し、言い方が卑屈っぽかったかもしれない。今のは、そんなことないよって言わせたいだけの言い方だった。
(…ほんと、嫌なやつだ)
私は今、声には決して出さないけれど、田辺さんと同じことを思っている。
何も覚えていない私とは違い、兄はずっと覚えていて苦しんでいるというその事実。それに対する自分の中の罪悪感を消し去りたいがために、兄に前を向いてほしいと思っている。
前を向くタイミングなど、兄が決めることだ。私が決めることじゃない。
けれど、今の私は兄のためと言いながらも自分のために、彼に『前に進んで』と言ってしまいそう。
そのくらい、ドロドロとした汚い感情に心を侵されている。
自己中。汚い。最低。…死ねばいいのに。
(あ、泣きそう…)
泣くのはずるい。私は少し上を向いて、涙を堪えた。
それを誤魔化すように空調を触る。
「いや、普通やろ」
「…何が?」
「お前が今、抱いてる感情」
「私は、別に…」
「同じ立場におらんから何とも言えんけど、こんなに色んなことが一気に起これば誰だって汚い感情の一つや二つ湧き出てくるもんやろ。知らんけど」
大志は『知らんけど』と保険をかけつつ、ぶっきらぼうにそう言ってくれた。
無責任なのに、何故だか彼の一言で心が軽くなる。不思議だ。藤野家の7不思議に加えよう。
「大志殿」
「何やねん」
「…かたじけない」
「何で急に武士やねん」
涙が引っ込んだ私は、彼の方を見て笑顔を作った。
すると、彼もニコリと微笑む返す。何だか頭が少しふわふわする。
「大志は優しいね」
「お前にだけな」
「…え?」
「俺は誰にでも無条件に優しくするわけじゃないし、実は結構見返りを求める方やで」
「それはつまり、見返りを要求されていると?お、お金はあまり持ってませんよ?」
私がキョロキョロと目を泳がせて、カツアゲされている中学生みたいな反応をすると、大志は『違うわ、アホ』と私のこめかみあたりを軽く小突いた。
「…なあ、結。俺しか認めへんねんて」
「な、なにが?」
「何がって、大体わかってるやろ」
「わ、わかんない」
「嘘つけ。お前さ、実はちょっと前から、割と気づいてるけどスルーしてる節あるやろ」
「そんな事ないこともないこともないかもしれない」
「どっちやねん」
彼はクスッと笑みをこぼすと、重ねた手を指を絡めるようにして強く握ってきた。
やめてほしい。心臓の音がうるさい。
「言っていい?今はまだあかん?」
「何で私に聞くの」
「いや、今このタイミングで言うのは弱みにつけ込んでるみたいやなと思って」
「…聞かれても困る。判断できない」
「じゃあもう言うけどさ、好きやで。ずっと前から」
その言葉に、私の体はブワッと暑くなった。
自分でもわかる。私の顔は今、明石のタコもびっくりなほどに真っ赤になっているはずだ。
どうしよう。何て返せば良いのかわからない。
「い…」
「い?」
「いとをかし」
「…それはどう解釈すればいいんや」
大志は少し呆れたような表情で私の顔を覗き込んできた。
恥ずかしいから、あまり見ないで欲しい。
「俺、返事待つとかは、あんまりできないタイプっす」
「へ、へんじ…へん…へんじは…」
「返事は?」
「き、君がため、的なやつで。多分。知らんけど」
「それ、割と熱烈な句やと思うけど、意味わかってる?」
「わからんこともないこともないかもしれない」
「だからどっちやねんて。否定せーへんなら俺にとって都合よく解釈するけど、いいんか?」
私は3秒ほど停止した後、小さく2回頷いた。
だめだ。心臓が爆発しそう。
私の顔を覗き込んでくる彼から逃げるように、私はまた窓の方を向いた。
「こっち向けよ」
「無理。死ぬ。恥ずか死ぬ。恥死だ。恥死」
「ちゅーしていい?」
「だめ。場所考えて」
「場所を考えたらいいってこと?」
「そうじゃない。そこは都合よく解釈するでない。武士の名折れめ」
「何でさっきから武士が出てくるんや」
ジリジリと近づいてきた大志は耳元で低く、『好き』と囁いた。
私が耳を押さえて振り返ると、彼はなぜか勝ち誇ったような顔をしていた。
「調子に乗るなっ!」
「いでっ!」
タイミングよく、ずっと私たちの会話を見ていたかのようにタイミングよくトイレから帰ってきた。兄は大志の頭を叩いた。
良い音がなるほどの力で。
彼は頭を両手で押さえて抗議の視線を兄に送った。
「…早いっすね。出たんですか?でっかいの」
「やかましい!貴様、俺の目が黒いうちは交換日記しか許さんぞ」
「いつの時代を生きてんねん。今どき、女児向け漫画でももう少し進んどるわ」
「ええい、黙れーい!結は今までの人生、恋愛のれの字もなかったような枯れた人生を送ってきてるんだよ。ちゃんと段階を踏まんかい」
交換日記を半年したのち、3回目のデートで手を繋ぎ、ファーストキスは結婚式の誓いのキスの時だと兄は言う。
とりあえず恥ずかしいから座ってほしい。




