22:身勝手な謝罪(2)
30分後、スーパー銭湯の駐車場で待っているとそこに現れたのは田辺さんと…
ーーーーー田中綺羅に改名した工藤綺羅だった。
兄はものすごい剣幕で田辺さんに詰め寄る。
隣に立つ工藤さんはただ萎縮して、俯いているだけだった。
「おい、田辺。どういうつもりだ!?」
「あ、謝りに来たの。この人と一緒に…」
「はぁ!?」
「こ、こんなに過去に囚われてるなんて思わなかったから、東京には出て来れたんだし、ちょうど良い機会だと思って…」
田辺さんに殴りかかりそうになる兄を大志が止める。
田辺さんの話によると、結婚式の後、新郎を通じて彼女に連絡があったらしい。
『結婚式の会場で被害者の兄だった人を見つけた。被害者に直接謝りたいから連絡が取りたい』と。
曰く、工藤さんは昨年の末に少年院を出てからとても苦労していたらしい。
中卒で少年院から出たばかり。どこも雇ってくれないし、お金もない。
親には縁を切られ、行くあてもない。
想像しなくてもわかることだ。世間からの風当たりは厳しかったことだろう。
今はようやく、気のいいおじさんに拾われて近くの町工場で働きながら生活しているらしい。
安月給で、贅沢もできないけれど、真面目に誠実に働いているそうだ。
彼は過去の自分の罪と向き合い、前を向いて生きている。
「彼はちゃんと少年院で更生して、今は過去と向き合って反省して前を向いてる。私はあなたたち兄妹にも、もう前を向いて欲しいの!」
田辺さんは目に涙を浮かべてそう言った。
過去に囚われすぎだと。いつまでも引きずっていてはダメだと。
工藤さんは再来月には結婚して、来年には子どもも産まれるそうだ。
片方だけ前に進んでいるのはおかしい。一緒に前に進むべきだ。だから工藤さんの謝罪を受け入れて、過去と決別しようと彼女は言う。
その言葉に悪意はなく、本当に善意からそう言っているのが分かるから、胸が苦しくなる。
工藤さんは呆然とする私の前に跪くと、『あの時は申し訳なかった』と謝罪した。
(…やめてほしい。こんな人目の多いところで、そんなふうに謝らないで)
謝られると、許さなくてはいけなくなる。
だってほら、カメラを向けている人たちがいる。
何事かと、痴話喧嘩かと、トラブルかと、嬉しそうにカメラを向けている人たちがいる。
またあの時のように拡散されれば私は、『相手が土下座までしているのに、許してやれない女』になるんだろう。
彼から感じるのは本当にただの謝罪の気持ちだけだ。そこに悪意はなく、純粋な謝罪。
過去、過ちを犯したらもう2度と起き上がれない社会はダメだと思う。だから、私たち兄弟が彼を責め続けるのは違う。
罪を憎んで人を憎まず、だ。彼は更生している。立派な大人になっている。あの頃の彼と同じじゃない。それは頭では、ちゃんと理解している。
でも、言葉が出てこない。私は彼の罪を覚えているわけではないのに、どうしてだか、何も言いたくない。話したくない。見たくない。聞きたくない。
けれど、それでも私は、状況的に彼にこう言葉をかけねばならないのだ。
『もう気にしていませんよ』と。
昨日までの天気が嘘みたいに、どこまでも晴れ渡る空と澄んだ空気。さわやかな風。
皮肉にも、和解するのには最高の天気だ。
映画なら、ここで彼を許して、私たちも前に進み出してハッピーエンドなのだろう。
(言わなければ…)
周りの視線が痛い。事情は知らないが許してやれよと言っている。
さっきまで聞こえていた都会の喧騒が、嘘みたいに遠くに聞こえる。
私は静かに息を吸い込み、言葉を吐き出そうとした。
しかし、大志が咄嗟に私の口を塞ぎ、それを止める。
「なあ、あんたさ、子どもが生まれるから、結婚するから、だから許されたいだけやろ?自分が心置きなく次のステップ進めるように、自分の心の中にあるシコリを取り除いておきたいだけや」
ひどく冷たい声で、ひどく冷たい眼差しで大志はそう言った。
工藤さんは『そんなことない』と叫んだが、彼はその言葉遮るようにして続ける。
「違うと言うんなら、何でこんな人の多い場所でわざわざ土下座なんていうパフォーマンスじみた事するんや。こんな状況で謝られたら、こいつは許すしかなくなるやろ」
「そ、そんな…」
「見てみろ。公園でのあの日のみたいにカメラ構えとるやつが大勢おる。死体に群がるハイエナのようやな?いや、蛆虫かもしれん。こいつはそんな奴らの餌にならなあかんのか。お前が許されるためだけに」
大志はスマホを掲げる人々に聞こえるようにそう言って、彼らを睨んだ。
彼の言葉に引け目を感じたのか、皆が一斉にスマホを下げる。
「なあ、こいつを自己満足な謝罪に付き合わせんな。許すことを強要すんな」
「強要なんてしてな…」
「じゃあ立てや。お前、いつまでそうしてるつもりやねん」
「それは…」
「お前、こいつが許すまでそうやって地べたに這いつくばってるつもりやったんやろ。それを強要してるって言うてるねん。なぁ、この謝罪で気分が晴れるんはお前だけやということに早く気づいてくれ」
大志は冷たく言い放つと、跪く工藤さんの腕を掴んで立ち上がらせた。
工藤さんは大志の言葉に何も言い返せず、恥ずかしそうに顔を伏せる。
小さく『申し訳ない』と言っていた気がするけれど、それが何に対する言葉なのか、私には判断できない。
大志は呆然とする兄の背中を2回叩くと、もう行きましょうとこの場を離れるように促す。
しかし、それを田辺さんが阻んだ。
「待って。許すことを強要してるんじゃないのよ!違うの!私は本当に、ただ過去から抜け出して欲しくてっ!前を向いて欲しくて…」
彼女は兄の腕を掴み、そんなつもりじゃなかっだのだと言う。
兄は彼女の腕を払い除けると険しい表情をして、『大きなお世話だ』と言った。
それでも食い下がろうとする田辺さん。見かねた大志は彼女の兄の間に割って入った。
「やめましょう。お姉さん。嫌がってますし」
「でも!ずっとこのままで良いわけないわ!」
「このままでいいなんて誰も思ってないです。でも、だからって、無理矢理本心を押し殺して謝罪を受け入れたところで何が変わる?ただ、『許したのだから前向かなければならない』というプレッシャーを与えるだけです」
強い口調で責め立てられた田辺さんは、唇の端を強く噛み、肩を震わせる。
その目は明らかに納得していない。
すると大志は、フッと乾いた笑みをこぼした。
「貴女には理解できんのやろうなぁ。自分が被害を受けたわけじゃない。あくまでも妹が倒れている姿を見ただけやのに、それにずっと囚われてるのが理解できんのやろ」
「わからないわよ。だって、普通はそんな事で家から出られなくなるなんて事ないもの」
普通は多少引きずることはあれど、友達との連絡はほとんど断ち、ずっと家の中に籠るようにはならないと彼女は言う。
彼女の言葉に兄は俯き、ビクッと体をこわばらせた。自分が“おかしい”という自覚があるのかもしれない。
けれど、普通って何だろう。普通なら家族が暴行を受けたことによる心の傷はどのくらいの時間で克服できるのだろう。知っているのなら教えて欲しい。
私は田辺さんの言い分には、少し苛立ちを覚えた。
「本人の傷の深さなんて、本人にしかわからへん。どんな統計とって普通という枠を設けてるんかは知らんけど、自分の常識に他人を勝手に当て嵌めて語るのやめてもらえます?」
大志は冷たく吐き捨てると、私と兄の方に向き直り、舌を出して笑った。
言いすぎたかも、と思っているのかもしれない。
彼は私たちの手を取ると、もうここから離れようとその手を引いた。
すると、また、後ろから田辺さんが叫ぶ。
「だって!だってもうそんなカッコ悪い姿を見せてほしくないのよ!」
彼女は多分、まだ兄のことが好きなのだろう。だから、兄に変わって欲しいのだ。
そう叫んだ彼女の瞳からは涙が溢れていた。
好きな男が超がつくほどのシスコンで、引きこもりの卑屈野郎だなんて、嫌だもの。田辺さんだって辛いのだ。その気持ちは理解できないわけじゃない。
けれど…。
-----カッコ悪い。
その言葉に私の体は無意識に反応したらしい。
気がつくと、スッと大志の手をほどいていた。
そして田辺さんのところまで戻り、彼女の横っ面を叩いていた。右手の手のひらが痛い。
田辺さんは右頬を押さえて私を睨む。
「私の兄はどんな兄でも世界一カッコいいです」
兄は優しいし、料理もできるし、文才はあるし、ライブ配信すれば、おじさんたちから多額の投げ銭もらえる男だぞ。馬鹿にするな。
「…っ!」
「……田辺さん。私たち兄妹を心配してくださり、ありがとうございました」
私は何も言わない彼女に頭を下げ、隣で顔を伏せたままの工藤さんに視線を向ける。
「…工藤さん」
「は、はい」
「貴方は貴方で勝手に幸せになってください。私も私で勝手に幸せになります。互いに干渉せずに生きていきませんか?」
別に彼の不幸を望んでいるわけではない。ただ、もう関わりたくはない。
そう言うと、彼は一瞬だけ顔を上げて、またすぐに下を向いた。
何か言いたそうな表情だったけれど、私はもう何も聞きたくない。
「…ご結婚、おめでとうございます。さようなら」
私は精一杯の笑顔を作って、踵を返した。




