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【完結】引きこもりの兄と私  作者: 七瀬菜々


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23/32

21:身勝手な謝罪(1)

 翌朝、見事にチェックアウトギリギリまで爆睡していた兄は起きてすぐにこんな事を言った。


「俺、ついにテレポーテーションを会得したかもしれない」


 昨夜のことを全く覚えていない兄は、どういう事情でどうやってこのホテルまで来たかを覚えていないらしい。

 だからといって、テレポーテーションを会得したという発想になるあたり、馬鹿だと思う。


「色々説明してあげたいけど、とりあえず着替えてもらってもいい?」


 もう出なきゃいけない時間なのだと、私は荷物を整理しながら時計を指さした。

 寝ぼけ眼の兄は眉間に皺を寄せ、睨みつけるように時計を見る。


「時間やばいじゃん。でも着替えてって、俺の荷物は?」

「今朝早くに月島さんが届けてくれた。向こうのホテルのチェックアウトも全部月島さんがやってくれてるから、気にしなくていいって。後でお礼の電話入れときなよ?」

「え?なんで月島?どういうこと?」

「いいから、先に着替えて。本当に時間ないから!」


私は兄の小さめのスーツケースから私服を取り出し、彼に投げつけた。

 そして皺になった追い剥ぎのように、兄が着ているスーツを剥ぎ取った。

 皺になったスーツは…クリーニングに出すから、まあ良いかと適当に畳んでケースにぶち込む。

 兄が自分の体を守るように、自身の肩を抱きしめて私を半眼で見てくるが、興味ない。


「お婿に行けない…」

「諦めてなかったことにびっくりだわ」

「ひでぇ」


 結婚式に出席して、結婚したくなる人は良くいるらしい。兄もそのタイプなのかもしれない。

 おしゃれな文字でボーイズビーアンビシャスと書かれた黒のパーカーに、彼は袖を通した。

 グーっと鳴るお腹の音がうるさい。


「腹へった」

「起こしても起きなかったお兄ちゃんが悪い。せっかく朝食バイキングの予約もしてあげたのに」

「無駄金じゃん。なんかごめんな」

「支払いはお兄ちゃんだから、大丈夫だよ」

「…そうだった」


ガクッと肩を落とした兄は、とりあえずズボンを履き、顔を洗うために洗面へと向かった。

 

(…普通だ)


昨日のことを覚えていないのだろうか。それとも触れないだけなのだろうか。

 あまりに飄々としているから、どっちなのかわからない。


「おーい。準備できたかー?」


 隣の部屋に泊まっていた大志が、乱暴に扉をノックした。

 私はドアの鍵を開け、とりあえず『もう少し静かにノックしろ』と彼の頬を引っ張った。よく伸びる。


「兄貴は?」

「顔洗って歯磨きだけしてる。本当はシャワーくらい浴びてほしいけど、まあ仕方ないかな」

「じゃあ、この後スーパー銭湯でも行くか?」


大志はそういうと、この近くに新しくできたスーパー銭湯のパンフレットを見せてきた。

 江戸の城下をイメージした施設らしい。結構興味をそそられる。

 私は歯磨き中の兄にパンフレットを見せた。兄はジェスチャーで『朝飯が食べられるならどこでも良い』と返した。

 このジェスチャーで正確に彼の言いたい事を読み取れるあたり、やはり兄妹だと思う。以心伝心だ。


「お兄ちゃんも行くって」

「んじゃ、決まりやな」


行き先が決まると、大志はニカっと歯を見せて笑った。

 本当に何となくだけど、『お前も笑え』と言われているような気がした。

 だから私はパンフレットを握りしめ、笑顔を作る。

 うまく笑えていたかはわからないけれど、彼は私の頭を撫でて『かわいい』と言ってくれた。



その後、私たちはホテルの精算で財布が寂しくなった兄を慰めつつ、江戸の城下風スーパー銭湯へと向かった。

 仕方がないから、そっちの費用は私が出してやろうと思う。

 


 ***



 「さっぱりしたぁー!」


スーパー銭湯の3階、大浴場の前のスペースで浴衣姿の兄は大きく背伸びをして、とてもさわやかな笑顔でラジオ体操を始めた。

 周りの目が気になるので、できることならもう少し端の方で、そう、非常階段あたりでやってほしい。恥ずかしくて死にそうだ。


 他人のフリをする大志に、私は同じく他人であるかのように兄に背を向け、彼にコーヒー牛乳を差し出した。


「俺、フルーツ牛乳派」

「残念、私もフルーツ牛乳派」

「むむ。では、ジャンケンしよう」

「しょうがないな。今日だけは特別ね。こっちあげる」


 私は仕方なくコーヒー牛乳とフルーツ牛乳を交換した。

 半分くらいしか乾いていない彼の髪から、雫が一滴落ちる。


「…ちゃんと乾かさないと風邪ひくよ?」

「じゃあ拭いて」

「めっちゃ甘えるじゃん」

「甘えてたら、そろそろシスコンの兄貴が正気を取り戻して邪魔しにくるかなと」

「なるほど、頭いい」


 そう返すと、大志は、『んっ』と私に首を垂れるように頭を少し前に出した。

 私は彼の頭にタオルを乗せ、優しく拭いてやる。

 すると、それを後ろから見ていたシスコンが凄まじい速さで駆けつけ、私のポジションを奪った。


「俺も女子にこうしてもらうのが夢だった」

「男はみんな同じ夢を持っていると思います」

「そうだな」

「わかってんなら夢見させてくださいよ」

「お前らにはまだ早い!」


 謎の喝を入れ、兄は念入りに彼の頭を拭いた。

 彼女にもしてもらったことがないのだろうかと思ったが、もし過去に付き合った彼女が田辺さんしかいなかったのなら多分してないだろう。

 だってあの人、兄が甘えてきたら怒りそう。知らんけど。


 その後、私たちは普通に昼食を取り、普通に卓球をし、普通にUFOキャッチャーをして遊んだ。

 兄は何も言わないけど、多分大志から私が過去のことを知ったこと、そしてそれでも思い出さなかったことは聞いていると思う。

 

(お兄ちゃんが何も言わないのなら、私も何も言わない方がいいのかな…)


 話題に出すべきなのか、そうじゃないのか、私には判断できなかった。

 

 そして、もうそろそろ帰ろうかという頃。兄のスマホに電話がかかってきた。

 相手は月島さんだ。昨日のことを心配してかけてきてくれたのだろう。

 連絡しろって言ったのに。私は早く出るようにせかした。


 兄は渋々電話に出た。そしてしばらく話した後、難しい顔をして私のところに戻ってきた。


「田辺がお前に会いたいって言ってるらしい」

「…田辺さん?」

「お前、昨日なんか言われたのか?」

「あー、大したことじゃないよ」

「それを直接謝りたいってさ、居場所教えてもいいか?」

「そんなこと、気にしなくていいのに」

「…どうする?」

「いいよ。会う。今日には関西に帰っちゃうし、ずっとモヤモヤさせちゃうのは悪いし」

「…別にお前がそこまで考える必要ないだろ。あっちが悪いのに」


 兄はぶつぶつ言いつつも、OKの返事をした。

 30分後には田辺さんがここに来るらしい。


「ねえ、お兄ちゃん。なんで月島さん経由で連絡来るの?」

「俺、田辺の連絡先知らねーもん」

「元カノでしょ?」

「元カノだからだよ。連絡先消したし、新しい連絡先教えてないし、基本的に知らない番号は出ないからな」

「徹底してるね…」


 喧嘩別れだったんだろうか。間に挟まれた月島さんがかわいそうだ。


(…というか、もしかして別れた理由って)


 私はふと、思い当たってしまった。いつもは働かない頭が急にぐるぐると回り出す。

 事件の起きたあの日、兄は彼女と会うために家を出た。その彼女は田辺さんで、そのことが原因であの二人が仲違いしてしまっていたのなら…。

 そんなことを考えていると、顔に出ていたのか隣にいた大志が不意に私の肩を抱き寄せる。


「絶対違うから、悪い方に考えんな」

「へ?」


 私はキョトンと首を傾げた。

 すると、兄は深く長いため息をついて私を半眼で見る。


「田辺と別れたのは、あの日より一週間くらい前の話だ。あの時呼び出してきたのは確かにあいつだけど、その時にはすでに別れていたから関係ない」

「あ、そうなんだ…」

「あいつとはまあ、価値観が合わなさすぎただけだ。気にすんな」


 兄は私の頭を乱暴に撫で回すと、優しく笑った。


 

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