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【完結】引きこもりの兄と私  作者: 七瀬菜々


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22/32

【幕間】いもうと

 春日穂高(かすがほだか)に妹ができたのは、彼が7歳の時だった。


 春と夏の境目の季節。少し動くと汗ばむ陽気の中、すっかり青くなってしまった桜の葉の中にひとつだけ見つけた小さなピンクの蕾を手折り、彼は小学校の校門まで迎えにきた父親と共に産院へと向かった。

 そして病室に着き、やり切った清々しい顔をする母に桜の蕾を渡し、『おめでとう』言った。


 さわやかな風が吹き込む白い病室で乱れた髪を靡かせ、小さな命を抱いて微笑む母の姿は世界で一番綺麗だったと思う。


 母の乳を飲みながら、まだ自分のものと理解していない手をパタパタと動かす妹に穂高はグッと顔を寄せた。

 産まれたての赤ちゃんは思っていたよりも可愛くなくて、でも可愛い。その時芽生えた感情は、今まで感じたことのないほどに内側からじんわりと湧き出てくる不思議な喜びだった。


 彼は妹のその小さな手のひらに、そっと人差し指を置いた。すると、小さくか弱い手が、彼の指をぎゅーっと握る。

 弱々しいのに力強い。赤子とは不思議な生き物だ。


『赤ちゃんの名前、何が良いと思う?』


母は、妹をじっと見つめてニコニコと微笑む穂高に、そう尋ねた。

 どうやら、命名権は彼に与えられたらしい。

 彼はしばらく考えたのち、『結』が良いと答えた。結ぶと書いて結。当時穂高がハマっていたアニメのヒロインから取った。

 穂高の中で、そのヒロインは強くて優しい憧れの女の子。だから、妹もそうなれるようにと願い『結』と名づけた。


『兄ちゃんが一生守ってやるからな!結!』


 穂高は生まれたばかりの妹にそう誓った。



 時が経ち、歩けるようになると、結はいつも兄の後ろをついて歩いた。兄のすることを全部真似した。

 ヒヨコみたいに後ろをついてくる彼女が、穂高は可愛くて仕方なかった。

 もちろん、たくさん喧嘩もした。時には殴り合いになることもあった。

 結は意外と負けん気が強くて、敵わないとなると捨て身の飛び蹴りを仕掛けてくることもあった。あの時は流石に危ないからやめなさいと、キツく叱った。


 思春期になり、妹の存在が鬱陶しく思うこともあったし、ひどい態度をとったこともある。

 けれど結はどんな時でも兄のことが大好きだった。

 部活で色々あって荒んでいた時期も、穂高の心を癒やしたのは結局、妹の笑顔だった。


 シスコンと言われようとも、穂高は妹の事が大好きで、何よりも大切で、本当にかけがえのない存在だった。



 だから、彼は今でも鮮明に覚えている。



 急激に気温が下がり始めたあの秋の終わりの日。家の前の路地を普段は見かけない高校生くらいの男たちと、工藤綺羅によく似た男が通り過ぎた。

 

 ------何となく、嫌な胸騒ぎがする。


穂高は急いで家に帰った。

 閉めたはずなのに開いている玄関の鍵、散乱する靴と倒れた傘立て。彼は妙に重く息苦しい空気が漂う廊下を進み、リビングの引き戸を開ける。


 すると、その目の前に飛び込んできたのは、明らかに暴行を受けた後の妹の姿。呼んでも返事をしない彼女に、心臓が止まりそうな思いだった。

 何故家を空けてしまったのだろうと、強く自分を責めた。


 その後、工藤綺羅の動機や妹が語らなかった学校でのことなど、ことの経緯を細かく知った穂高はさらに自分を責めた。

 二学期以降、大丈夫だと平気だと笑顔で登校していく結を見て安心していたのに、それが全て虚像だったと気づいたからだ。

 こんな場所、早々に逃げるべきだったと、穂高は激しく後悔した。

 

 結局。彼の大事な妹は、自分を守るために記憶を封鎖じた。最後まで彼女を守ったのは、彼女自身だった。



 *



「守るって約束したのに。不甲斐ない兄ちゃんで、ごめんな」


 夜中、ホテルで目を覚ました穂高は、隣のベッドで眠る結の頭を優しく撫でた。

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