16:過去との遭遇(2)
カフェから出る頃には雨が降っていた。
折り畳み傘を持っていたのだが、私たちは何となく、近くのコンビニで大きめのビニール傘を一つ買い、二人でその中に入った。
大志が傘を持っているので手を繋ぐことはできないが、傘の中は二人だけの空間のようで、手を繋いでいた時よりも距離が近く感じる。
ビニール傘の中は雨の音が少し大きく聞こえて、傘を伝って落ちてくる雨の雫がまるで二人の周りに見えない膜を張っているみたいなそんな感覚。
梅雨の時期はジメジメして嫌いだけど、今日は雨が降ってよかった気がする。
「あ、電話だ」
ホテルのロビーについてすぐ、兄から電話がかかってきた。
午後三時に結婚式、午後四時半から披露宴のはずだから丁度終わった頃だろう。
そういえば、今日は楽し過ぎていつも送っている安否確認の連絡を怠っていた。きっとこの電話はその事について文句を言うための電話だ。
(出たくないなぁ)
お酒が入っているから多分、お説教は長くなる。しかし出ないと帰りの新幹線はおそらく地獄と化する。
私は渋々電話に出た。
「もしもし?お兄ちゃん?」
『…結?』
「あー、ごめんね。連絡忘れてて…。でもほら、大志と一緒だったから問題ないし、それに結婚式の邪魔しちゃ悪いかもとか思って…」
『結。ごめん。ごめんなぁ…本当にごめんなぁ…』
「ん?お兄ちゃん?」
『結ぃぃい。生きてるかぁー』
「生きてるけど、もしかして酔ってる?」
『ちょっと、酔ってはいない』
「それ絶対酔ってるじゃん」
電話越しに聞こえる兄の声は震えていて、まるで泣いているようだ。
私は首を傾げつつ、大志に目配せした。
「どうしたん?」
「なんかお兄ちゃんが変」
「変?」
「泣いてる気がする」
そう言うと、大志はちょっと代わってと奪い取るように私のスマホ取り、そのまま私の代わりに兄と電話し始める。
何やら真剣な表情で酔っ払いの相手をする彼に私は首を傾げた。
そして勝手に電話を切ると兄がこちらに来ると言い出した。
「え?どうして?」
「どうしてもや。悪いけどフロントでもう一人追加で泊まれるか交渉しておいて欲しい」
「それはいいけど。迎えってどこまで?」
「兄貴の友達がここまでタクシーで送ってくれるらしいから。俺は外で待っとくわ」
「…わかった」
少し焦っているようなそんな雰囲気を醸し出しながら、彼はロビーを出た。
私は仕方なくフロントにもう一人泊まれるか交渉しに行く。
まあ、ツインをふた部屋とっていたから追加料金を払えばなんとかなると思う。
「お兄ちゃん、どうしたのかな?」
結婚式で何かあったのかもしれない。本当に昼ドラ展開でもあったのだとしたら、私はなんと声を掛ければいいのだろう。
***
酔った兄を抱えてやってきたのは兄の高校時代からの友人である月島さん(爽やか眼鏡イケメン)と、大学時代の元カノである田辺さん(少し怖そうな美人さん)という女性だった。
(やっぱりいるんじゃん。元カノ…)
わかりやすい美人の元カノとか、兄は意外とモテたのかもしれない。
月島さんはとりあえず兄をロビーのソファーに座らせると、ふぅーっと息を吐いて兄の隣に座った。
兄はなぜか無の表情でホロホロと涙を流している。仕方なく私が顔を覗き込むようにして『大丈夫か』と声をかけると、彼は何も言わずにぎゅっと抱きしめてきた。
「何年経ってもシスコンは健在か。久しぶりだね、妹ちゃん」
「お久しぶりです、月島さん。あの…結局兄は…なぜこんなことに?」
こんな兄は見たことがない。私は兄の背中をさすりながら、大志に水を買いに行ってもらった。
「いやさ、俺も油断してたわけよ」
「何を?」
「まさか新婦側の親族席にいると思わないじゃん?親に縁切られたみたいな話は聞いていたし。今の仕事先の親方が連れてきたみたいだったけどさぁー。だから本当に予想外で、穂高さ、あいつの顔見た瞬間から、取り乱しちゃってさ。宥めるために酒を飲ませ過ぎた。ごめんね?」
「それは構いませんけど…。あいつって?」
「工藤だよ、工藤綺羅」
「くどう?」
「まあ、今は苗字変えて田中になってたけど。院を出てから苗字変えたみたいだ」
「たなか…?院…?」
兄の因縁のライバルとかだろうか。私はキョトンと首を傾げた。
すると、月島さんは『あ、やばい』と言って自身の手で口を塞ぐ。
「ごめん、今の話は忘れて?」
「いやいやいや。めちゃくちゃ気になるんですけど」
「ごめんごめん。まさかまだ記憶戻ってなかったなんて思わなくて…」
「記憶?やっぱり私、何か大事なことを忘れてるんですか?」
「あー、うーん…なんて言えばいいのか…」
私の問いに、月島さんは困ったような、どう誤魔化そうかと考えているようなそんな笑みを浮かべた。
今日の公園でのおじいさんのこともそうだが、それ以外でも思い当たる確かに節はあって…。
私は中3の頃の記憶だけ妙に薄い。断片的にしか思い出せないのだ。
しかし行事のこととか受験のこととか当時のクラスメイトの名前とかも大体は覚えているし、ただ単に記憶力が悪いだけだと思っていたけれど…。
(気のせいではない…?)
私がうーんと眉間に皺を寄せて必死に思い出そうとしていると、急に田辺さんが声を荒げた。
「随分の暢気なものね!!」
「…え?」
「穂高はずっと苦しんでるのに、原因のあんたは綺麗さっぱり忘れているなんて!!」
「ちょっとやめろ、田辺!」
「あんたいい加減にしなさいよ!?元はと言えばあんたのせいでしょうが!」
「私のせい…?」
「あんたのせいで穂高は外に出られなくなったのよ!外に出るのが怖くなったの!!ずっとずっと苦しんでいるのよ!!自業自得のくせに、なんで穂高だけが苦しまなくちゃいけないの!?」
田辺さんはものすごい剣幕で私に詰め寄る。月島さんは後ろから羽交い締めにするように彼女を宥めた。
「落ち着けって田辺。あれは結ちゃんは何一つ悪くないだろう?この子は被害者だ」
「被害者?最終的にそうなっただけで、元は加害者の側なんでしょ?私はそう聞いたわ!だから自業自得だと言っているの!」
「え?え…?」
「昔からずっと気に食わなかったのよ!穂高に守られて、大事にされて、それを当たり前みたいに思っているあんたが!」
「田辺!やめろって!」
「田辺さ…」
「私は絶対にあんたのこと許さないから!」
田辺さんは本当に私のことを殺したいと思っているような鋭い目で私を見下ろした。
何の話をしているのか全くわからない。けれど、私が何かとんでもないことをして、それを都合よく忘れていることだけはわかる。
私は兄をぎゅっと抱きしめた。
「ごめん、妹ちゃん。こいつが言ったことは本当に気にしないで。君は何も悪くないから」
「…でも」
「悪いけど、こいつを少し落ち着かせたいからもう行くね。もし何かあったら連絡して。俺の番号は君の彼氏が知ってるから」
月島さんはごめんね、と言い、興奮する田辺さんを連れてそのままホテルを出て行った。
私は遠くなる二人の背中をただ呆然と眺める。
「私、何を忘れているの…?」
これだけ言われても思い出せないなんて、何を忘れているのだろう。
その後、ホテルスタッフに心配されたり、野次馬の視線がいたかっったりしたが、戻ってきた大志が全部対応してくれた。
そして二人で兄を抱えてホテルの部屋へと戻った。




