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【完結】引きこもりの兄と私  作者: 七瀬菜々


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16/32

15:過去との遭遇(1)

 午後六時。秋葉原のメイドカフェで可愛らしいメイドさんとの時間を満喫し、竹下通りで若者向けの変な色の食べ物を食し、私たちはホテル前まで戻ってきた。


「結局食べ歩きになる辺りがお前らしい」

「何よ。美味しかったでしょうが」

「美味しかった」


  大志はごくごく自然に繋がれた手に少し力を入れる。

 絡み合った指の間が少し汗ばんで、何だか恥ずかしい。


「…晩御飯をホテルで予約しなかったのは正解かもね」

「まだ食べ歩く気?」

「この近くに美味しくて且つお洒落なカフェがあるらしいの」


  晩御飯はそこにしようと、私は彼の手を引いて横断歩道を渡った。そのまま都庁前の大通りを散歩しつつ、目的地であるカフェを目指す。

 昨日降った雨で濡れたアルファルとの匂いと、街路樹から滴り落ちる雫。洗い流されたような澄んだ空気が心地良い。

 けれど、たまに耳に入る行き交う人々の標準語は、不思議と落ち着かない。これは私の心がもう関西に染まっているせいだろうか。


「大阪府警のガサ入れ動画が見たい」

「ああ。あの、どぎつい関西弁で組事務所のドア叩いてるやつな」

「あれ見てると関西を思い出して安心する」

「何でやねん」


 大志はプッと吹き出して、関西人らしいツッコミを入れた。さすが本場のツッコミは違う。


「なあ、この辺のこと覚えてるんか?」

「うん。覚えてるよ。この近くに住んでたからね」


 もう少し歩いたあたりにある細い路地を抜けた先が前の家だと、私は指を差しながら説明した。

 小学校から電車通学だったので、この辺は通学路だった。駅へ向かう人々を眺めながら、私はいつも同じ駅を使う兄に手をひかれながら毎朝登校していた時代を思い出す。 


「懐かしいなぁ」

「…やないかい」

「ん?何?」

「この辺で戸建て持ってたとか、やっぱりセレブやないかい!!」

「でも中古だよ?」

「中古でもこの辺はやばいやろ…」


 西新宿のこのあたりに戸建てを持っていたとか、もうそれだけでセレブ以外の何者でもないとそう言う彼の顔色は青かった。

 そうなのか。私はセレブだったのか。


「所帯染みてるから気がつかんかったぁー!!」


 天を仰ぎ、騙されたと叫ぶ大志。失礼なやつだ。

 よく考えたら、西宮のあの場所のマンション住んでる時点で気がつくべきだったと言うが、あのマンションも中古である。そんなに高くない。

 私は失礼な彼を放って少し早足で先を急いだ。すると、大きな公園が視界に入る。


「あ、この公園。ここでよくお花見したの」

「家族で?」

「そう、家族で。懐かしいなぁ」


 お弁当の用意は母と兄が、場所取りは私と父がした。

 桜の下、両親はお昼間からお酒を飲み、私は兄とバドミントンをして遊んだ。普段は絶対に手加減なんてしてくれないくせに、お花見の時は謎に私に勝たせてくれた。綺麗な桜の花を見て気分が良かったからかもしれない。


「楽しかった?」

「ええ。とても」

「そっか」


 私が昔を懐かしんでいると、大志は『その記憶は大事にしろ』と私の頭を撫で回した。兄みたいなことをするなとも思うが、その手は優しく温かい。


「公園の中を通ってもいい?ちょっとショートカットしよう」

「おう、いいぞ」


 私たちは手を繋いだまま公園に入った。

 公園にできた水溜りで遊ぶ長靴を履いた子どもたちの横を通り、公園のトイレを過ぎ、ピンクの花びらがついていない桜の木下を通って敷地の外へ出る。

 ただ公園を横切っただけなのに、タイムスリップしたみたいだ。 


「あそこのコンビニの隣にあるビルの一階がカフェなの」

「へぇー」


 公園の敷地から一歩外へ出た私は、カフェの方を指さした。

 すると、その時。不意に一人のおじいさんが指を差している私の手を掴んだ。


「嬢ちゃん!」

「…きゃっ!?」


 私はびっくりして思わずその手を強く振り払う。

 その勢いでよろけたおじいさんを大志が支えた。

 質素な服を着た小柄で痩せ型の、無精髭のおじいさんは驚いた私を見て少し悲しそうな表情をする。


「なんか用か?じいさん」

「ああ、すまんすまん。驚かせてしもうたか」

「まあ、それなりに」

「急にこんなじいさんに手を掴まれたら、そりゃあ怖いがね。すまんのぉ」


 おじいさんは後頭部に手を当てて軽く頭を下げた。

 悪い人ではなさそうだ。


「あの、私に何か御用ですか?」

「嬢ちゃん。3、4年ほど前にこの公園でワシを助けてくれた嬢ちゃんじゃろ?」

「へ?」


 おじいさんは再び私の手を取る。今度は両方の手を優しく包み込むように握って、『あの時はありがとうな』と繰り返した。

 私の手をブンブンと上下に振り、あの時はちゃんとお礼を言えなかったからと言うおじいさんに、私はただ困惑するしかなかった。


「あの…、申し訳ないのですが、人違いではないでしょうか?」


 3、4年の前といえばちょうど高校1年かもしくは中学3年の時の話だが、私はこのおじいさんと話した記憶がない。

 

「人違い?そうかのぉ…」


 人違いだと言うとおじいさんは納得できないのか、私の顔を覗き込み、じーっと見つめる。

 おじいさん曰く、柄の悪い若者に絡まれているところを私に助けられたらしい。

 そしてその後も、私は度々この公園を訪れてはこのおじいさんと他愛もない話をして、交流を重ねていたのだとか。

 詳細に話されても私にはそんな記憶がない。しかしおじいさんは私で間違い無いと言い切った。


「ごめんなさい、覚えてなくて…」

「いや、かまわんよ。もしかしたら、嬢ちゃんにとっては大したことではなかったんかもしれんなぁ」


 おじいさんはそう小さく呟くと私の手を離した。


「嬢ちゃん。もし良ければ、ちょいと話を聞いてくれんか?伝えたいことが沢山あるんじゃ…。でも、仕事が決まって明日には東北に行くから、ここに来れるのも今日が最後じゃけ…」


 今日会えたのも何かの縁だから、とおじいさんは腰を低くして懇願する。

 私はおじいさんの寂しげな表情が気になって、少しだけベンチで話す事にした。


「数年前もこうしてベンチに座って、嬢ちゃんとワシは他愛もないことを話しとったなぁ…」

「そ、そうなんですか…」

「それが、あの件以降、嬢ちゃんを見かけなくなってな。ずっと心配しておったんじゃ」

「あの件?」


 首を傾げる私に、おじいさんは深々と頭を下げた。


「あの時、助けてあげられなくて、すまんかった。嬢ちゃんはワシを助けてくれたのに、ワシは何もできんかった。それがずっと悔しくてな。こんな風に謝っても、ただのワシの自己満足に過ぎないのはわかっとるが、謝罪させて欲しい。本当にすまんかった」

「ちょ!頭を上げてください!私には何が何だか…」


 私は慌てておじいさんの身体を起こす。

 おじいさんは顔を上げると、申し訳なさそうに微笑んだ。

 それはとても暖かく優しい微笑みだった。

 

「それと、ありがとうな。嬢ちゃんが助けてくれて、話し相手になってくれて、ワシは本当に嬉しかったんじゃ。ワシみたいな底辺の人間に優しくしてくれる人なんて少ないから」

「おじいさん…。ごめんなさい。私、本当によく覚えてなくて…」

「いや、ええんじゃ。ずっとずっと、これを嬢ちゃんに言いたかったんじゃ。覚えとらんのに、それでも最後まで話聞いてくれて有難うな」


 おじいさんはそれから、何度も何度も、ありがとうを繰り返した。

 お礼を言われることをした記憶も、謝られることをした記憶もない私は、さっきからずっと居心地が悪い。

 そんな私の心情を悟ったのか、おじいさんはよっこらせと腰を上げると、歯を見せて笑いかけてくれた。


「覚えとらんでも、お嬢さんはやっぱり良いお嬢さんじゃな。会えてよかった」

「私も会えてよかったです」

「これ、ワシの連絡先じゃ。今度、何かあれば力になりたいから、一応渡しておくな」

「あ、ありがとう、ございます…」

「ほな、お元気で」

「おじいさんも、暖かくして…。その、お元気で…」


 おじいさんは私の手にメモ用紙を握らせると、私たちに背を向けて軽い足取りで去っていった。

 曲がった背中からは哀愁が漂い、形容し難い寂しさのようなものが心に押し寄せる。

 私は渡されたメモを開いた。

 そこには、おじいさんの名前と東北の住所に電話番号が書いてあり、紙の端には100円玉が一枚、50円玉が1枚、セロハンテープ150円が貼り付けてあった。

 

「『あの日、桜の下で飲んだコーヒーのお金です。お返しします。ありがとう』だって」

「……」

「これ、私に会えた時のために、ずっと用意してたのかな?」

「どうだろうな…」

「なんか、全然思い出せないの、申し訳ないな…」


私はその150円を握りしめた。

 私がその場から動けずにいると、大志は私の空いている片方の手を取り、徐にカフェの方へと歩き出した。


「それより、そろそろ雨降るらしいし、急ごうぜ」

「あ、うん」


 なんだかモヤモヤした気持ちが晴れないが、美味しいご飯を食べれば気分は紛れるだろうか。






 

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