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【完結】引きこもりの兄と私  作者: 七瀬菜々


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13/32

【幕間】駅から徒歩二分

 駅まで徒歩2分のマンション。

 人通りも多く、夜でもまだ明るいこの場所は藤野家にとって安心できる立地だったのだろう。藤野家の秘密を知った今なら、それがよくわかる。

 

 不自然なほどにさっき家で話したことには一切触れず、エレベーターに乗り込んでマンションの下まで降りた大志は、前を歩く結の兄、穂高(ほだか)の背中を見つめた。彼の手は、微かに震えている。


「あの、お兄さ…」

「そのお兄さんって言うのやめろ。穂高でいい」

「あ、はい…」

「……」

「……」


 大丈夫かと聞こうとした大志だったが、穂高が聞くなと言わんばかりに言葉を被せてきたため、彼はそれ以上は何も聞けず、ぎゅっと拳を握りしめた。


「コンビニ行ってくるから、ちょっと待ってろ」

「うぃっす」


 大志をコンビニの外で待たせ、コンビニに入った穂高はコーヒー2本とタバコを買って出てきた。

 そしてブラックの缶コーヒーを彼に渡すと、外の灰皿の前でタバコに火をつけた。

 大志は彼に奢ってもらったコーヒーの缶を開けると、ごくごくと喉を鳴らして一気に飲み干す。


「タバコ、吸うんですね」

「あいつには内緒な」


 微妙に気まずい空気の中、タバコの煙をふぅっと吐いた穂高は徐に口を開く。

 

「大志」

「はい」

「さっきの話、あいつには言うなよ」

「わかってますよ……。目が怖い」

「本当は今すぐお前の口にレジンを突っ込んで固めてやりたいんだが、なけなしの理性で思い止まっているだけだということを肝に銘じておくように」

「おっかねぇな、おい」


 本気であることが伺えるトーンで、話す穂高の目は既に何人か殺したことのある奴の目をしていた。

 大志は忠告されなくとも口外する気などなかったが、その目を見て、うっかり口を滑らせないよう気をつけようと心に誓った。


「なんか、すんませんでした」

「何が?」

「前に電話で『うちの事情に踏み込んでくるな』って言われてたのに、生意気にも踏み込んでしまったので…」

「本当にな!うちのが愚妹に何を言われたか知らないが、何が彼氏だ!何が前に進んでみましょう、だ!お前じゃなきゃ殴り飛ばしてるぞ!」

「…すんません」

「…冗談だよ。本気で謝るな。俺だってな、ずっと今のままで良いなんて思ってないんだよ」


 タバコの火を消した穂高は困ったように笑いながら、大きなため息をこぼした。

 ずっと引きこもりでいるわけにもいかないこと、ずっと、妹を束縛するような兄でいるわけにもいかないことは彼もわかっている。

 ただどうしても、彼の身に起きた過去が、彼の足を前に進ませてはくれない。


「…なあ」

「はい」

「…あいつ、さ。俺が家から出ないんじゃなくて、出られないんだって事、気づいてるか?」

「いや、多分気づいてませんよ」

「そうか…」

「でも、なぜそんなに過保護になるのか、その理由については本能的にわかっているんだと思います。多分」


 だから、兄の異常なまでの過保護にも嫌な顔一つせずに従っているのだと大志は言う。

 穂高もその通りだと思った。そうじゃなきゃ普通の女子高生があんな厳しい条件を飲むはずがない。


「ま、そう考えるのが自然か」

「俺はそう思います」

「あいつ、何かおかしい所はないか?最近」

「いつも通りですよ」


 中学の卒業アルバムを見られたときはかなり焦ったが、あれ以降も結に大きな変化はない。

 穂高ははタバコの火を消すと、手を頭の上で組んで大きく背伸びをした。

 

「お前はあのアルバム見てピンときたのにな。ほんとあの瞬間は焦ったわ」

「俺はまあ、当時はネットが友達みたいなものやったんで…。多くの人は気づかないんじゃないですか?」

「そうかな?」

「世の中そんなもんっすよ。みんな一時は騒ぐけど、すぐに忘れる」


 人の噂は七十五日とよく言うが、まさにその通りだ。

 たとえば一時的に話題になった芸能人の不倫問題も、多くの場合が半年も経たずしてワイドショーに取り上げられなくなるように、大体の話題は皆んなすぐに忘れる。

 人の不幸を散々弄んでおいて、すぐに興味を無くすのだ。


「あいつも、できることなら一生忘れててほしい」

「思い出す可能性、あるんですか?」

「どうだろう。あの頃の自分の姿を見ても思い出さなかったから、大丈夫だとは思いたいけど…」


 医者からは思い出す可能性はゼロじゃないと言われている。ただ、思い出したとしてもそれは悪いことではないらしい。


「仮に思い出したとして、あの時の事が結の中で過去になって、あいつが笑顔で前に進めるのならそれでもいい事だって医者は言ってた」

「まあ、そうっすね…俺もそう思います」

「だから、まあ思い出したならそれはそれで良いんだけど…なんていうか……俺さ、あいつには幸せになって欲しいんだよ」


 穂高はマンションの方を眺めて、とても優しい目でそう呟いた。

 その瞳にはただ、妹への情だけが宿っていた。

 

「それ、妹も同じこと思ってると思いますよ」

「俺は…、そんな資格ないからさ」

「そんなこと…」

「そんなことあるんだよ…話したろ?」

「…まあ、聞きましたけど」


 藤野家の過去を大志は全て聞いた。

 妹である結すら知らないことも、兄の懺悔も全部。

 それを聞いた上で、それでも大志は穂高にだって幸せになる権利はあると思うし、結だってきっとそれを望んでいるとも思う。

 ひどく自罰的な穂高の考え方には賛同できない。

 

 大志が不服そうな顔をしていると、穂高はフッと穏やかな優しい笑みをこぼして、もうすぐで電車が来ると腕時計を見せた。


「帰れば?」

「ういっす」

「駅まで遅れなくて悪いな」

「いえ、大丈夫っす。すぐそこですし…。コーヒー、ごちそうさまでした」

「おう、じゃあな」

「…また来ます」

「おう」

「今度来るとき、俺と結と穂高さんで、二駅先のケーキ屋さんに行ってみませんか?」

「考えとく」


 駅に向かう大志を追い払うように手を振ると、穂高は小さく呟いた。


「チッ。余計なお世話だ」

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