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【完結】引きこもりの兄と私  作者: 七瀬菜々


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9:兄は過保護な引きこもり(2)

 

 私の生活は兄によって縛られている。

 やむを得ない事情がある場合以外、門限は19:00。バイトは禁止。外出時は常に防犯ベルの所持が義務付けられており、スマホのGPS機能をOFFにするのは禁止。

 遊びに行く時は誰とどこへ何をしに行くのかを逐一伝えなければならないし、外出中は2時間おきには連絡しなければならない。怠ればおびただしいほどの着歴がスマホに残る。

 学校がある日も、学校に着いたら連絡し、帰る時は学校から出たら連絡。

 兵庫に来てからこの生活を続けているのでもう慣れたが、正直に言うと束縛強めの彼氏かよと思う。


「過保護が過ぎる」


  私の話を聞いた大志は豚骨ラーメンを啜りながら、こちらがビックリするくらいに真っ青な顔でそう言った。


「お前んとこ、色々と厳しそうやなとは思ってたけど、そんな厳しいんか」

「うん」

「…彼氏、作られへんな」

「私もずっとそう思ってた」


  彼氏を作っても、大学生にもなって夜ご飯を一緒に食べることすら出来ないなんて、すぐにフられるに決まっている。だから彼氏をつくろうなんて考えたこともない。

 私は豚骨スープの中に沈んでいた味玉を齧り、深くため息をついた。


「まあ、律儀にそれを守る結も中々やと思うけど…。して、相談とは?」


 休日にわざわざラーメン食べに行こうと呼び出した理由を尋ねてくる彼に、私は食事を一旦中断し、背筋をただして前を見据える。

 そしてひと言。


「単刀直入に言うと、しばらく彼氏のフリをしてほしいです」


  私が深々と頭を下げてそう言うと、大志は飲んでいた水を吹き出した。まるで漫画のワンシーンみたいだ。汚い。

 動揺した彼はラーメン屋のおばちゃんから台拭きをもらうと、とりあえずテーブルを拭くが、吹き方が雑いので水滴が床に溢れる。


「私が拭くから貸して」

「あ、ああ。どうも…って、そうでなく!何で!?」

「私が拭いた方が早いからよ」

「いや、そうじゃなくて、彼氏のフリのこと!」


  無意識に声が大きくなる大志に店中の視線が集まった。


「あ…。へへっ…すみません」


  大志は恥ずかしいのか、顔を赤くして誤魔化すような笑みを浮かべた。

 私は顔を顰めると、目線を下におろし、彼に座るように促す。


「コホン」

「……」

「話してもよろしいかしら?」

「…どうぞ」

「さっきも話した通り、うちのお兄ちゃんは病的なまでに過保護でしょ?」

「そうだな」

「でね?私、気づいたの。お兄ちゃんは過保護だから家から出ないのではないかと」

「ほう…」

「お兄ちゃんは自分が妹を守らなければという思いが、何故か強いのよ…。お父さんが近くにいないからかしら?」


  だから、兄は私を家に一人にさせないように引きこもっているのではないか。

 きっかけはこの前のプチ口喧嘩だが、最近そう考えるようになった。

 特に、我が家は母は仕事で帰りが遅いから、兄が出かけてしまえば私は家に一人になる。

  私が不器用なことを知っている兄は、『小腹空いたから料理しよー』とか言ってキッチンに入り、怪我をするかもしれないとでも思っているに違いない。


 私がそう推論を話すと、何故か半顔でこちらをみていた。


「…あながち外れてはないところが流石は兄妹やな」


 彼はポツリとそう呟く。

 どういう意味だろうか。私は首を傾げた。


「何の話?」

「気にするな、独り言や。それで?何故、彼氏という結論に?」

「だからね、過保護なお兄ちゃんも、私に頼れる彼氏でもできれば、兄は安心して私に構わず過ごせるのではないかと思いましてね?」

「…なかなかぶっ飛んだ考えに至ったな」

「でも、私が『もう守ってもらう年ではないわ!だからお兄ちゃんはもう私を守らなくても良いのよ!』って言っても聞いてくれないけど、『私を守ってくれる素敵なダーリンが現れたわ!だからお兄ちゃんはもう私を守らなくても良いのよ!』って言えば話くらいは聞いてくれそうじゃない?」

「その話題出した瞬間に、地球上から人間が一人消えるぞ。確実に」


 大志は自分の肩を抱き、ブルッと体を震わせた。大袈裟である。

 確かに私の兄は過保護だが、妹の彼氏を屠るほどではない。…………はず。


「俺はまだ死にたくない」

「大丈夫だよ!お兄ちゃん、大志のことは気に入ってるし」

「あれは揶揄って楽しんでるだけやろ。気に入るとかそういうことではないかと…」

「でも、連絡先交換したんでしょ?」

「いや、まあしたけど…。でも、それはちょっと話すことがあったからやで…」


 大志は心底嫌そうな顔で、連絡先を教えられたのは不可抗力であり、兄が自分を気に入っているわけではないと断固として否定した。

 しかし、兄はそう簡単に他人に連絡先を教えないので、少なくとも友好的に思っているのは間違いないと思う。

 私は残っている味玉の半分を彼の器に入れると、にこっと微笑んだ。


「ね?お願い?」

「味玉ひとつで言うこと聞くと思うなよ」

「じゃあ、ここの会計は私がするから」

「ラーメン一杯で命を危険に晒したくはない」

「大志なら大丈夫だって、ほんと。私が保証する」

「お前は兄貴をわかっていない。いいか?俺がいつものノリで家に行き、『付き合うことになりましたぁ』とか言えば、きっとあの兄貴はその言葉を言い切る前に俺の喉を掻っ切りにくる。ああ、恐ろしい」

「そんなことするわけないじゃん」

「いや、する。絶対する」


 恐ろしい恐ろしいと言いながら、大志は器に入れてやった味玉を齧った。お願いを聞いてくれないのならその卵返せ、このやろう。


「ねぇー。協力してよー」

「やだよ」

「お願い!私には大志しかいないの!他に彼氏のフリを頼めそうなのって言えば、あとはゼミの先輩くらいしか…」

「…え?先輩?」

「うん」


  実は最近仲良くなったゼミの先輩が、兄の過保護について真剣に相談に乗ってくれているのだ。

 先輩も妹がいるから、過保護になる兄の気持ちは何となくわかると言っていた。

 そう説明すると、何故か大志の顔色は急に曇りだした。


「…ん?どした?」

「…珍しいやん。男と仲良くなるなんて」

「まあ、珍しいかもね。なんかさ、ちょっと雰囲気が大志に似てるんだ。その先輩」

「ふーん…」

「…な、何よ」

「仲良いのか?」

「え?うん。まあ…」

「そう…ふーん…」


  彼はジトっとした目でこっちを見てくる。呆れたような、非難するような複雑な感情がそこにはあった。


「何よ…。べ、別に、そんなに嫌なら他当たるから。なんかごめんって」

「……」

「無言はやめてよ、無言は。なんか怖い」

「…わかった。電話するからちょっと待っとけ」

「へ?」


 大志はスマホを取り出すと立ち上がり、どこかへ電話をかけながら一旦店の外に出た。




 ***


  しばらくすると電話を終えた大志が戻ってきた。

 そして彼は言う。『彼氏のフリをしてやる』と。

 先程まで死にたくないと嫌がっていたのに、どういう心境の変化なのだろうかと思ったが、少し怒っているような彼の雰囲気に何も言えず、私たちはラーメン屋を出た。


「兄貴には連絡したから、今からお前の家に行くから」

「う、うん…」


 先程の電話の相手は兄だったらしい。

  私は人が行き交う改札口を過ぎ、2番ホームに停車している各駅止まりの鈍行列車に乗り込んだ。

 もうすぐ梅雨入りの時期で空気が湿っているせいだろうか。それとも私たちの間に流れる空気が張り詰めているせいだろうか。


(く、空気が重い……)


 この空気感。例えるならば、新学期に学級委員を決めろと言われたが、誰もやりたがらず中々決まらない時の教室くらいに空気が重い。

 私はこの空気に耐え切れず、彼の袖の裾を掴み、じっと横顔を見つめた。

 いつも優しく笑った顔を見ることが多いからか、こんな風に澄ましているところはあまり見たことがなく、少し怖い。


(…何でちょっと怒ってるの?)


 私が何か怒らせるようなことをしたのだろうが、何をしたのかがわからない。

 いくら彼が非モテの童貞だからといって、今も彼女がいないと決めつけて彼氏のフリをしてくれと頼んだのがいけなかったのだろうか。

  そんなことを悶々と考えていると、彼は何とも形容しがたい表情で私を見下ろしていた。


「…あざといねん、それ」

「…ねえ、何で怒ってるの?」

「別に怒ってへんよ」

「嘘よ…」


 いつもならジッと見つめたらすぐに顔を逸らすくせに、今日は眉間に皺を寄せてこっちを見つめ返してくる。

  そんなに険しい顔をするくらいなら言いたい事を言えばいいのに。結局ラーメンは奢ってやったのにその態度はどうかと思う。


「…お、怒らないでほしい」


 怒っている男の人は怖い。私は掴んでいた袖から手を離し、顔を伏せた。無意識に手が震える。


「ほんまに怒ってへんよ。ただ少し焦っただけと言うか…悲しくなっただけと言うか…」

「…そう」

「だから、怒ってるとかじゃない。怖がらせてごめん…」


 大志は小さく息を吐き出し、私の震える手に自分の手を重ねた。


「…別に怖くない。私も…その…ごめん」

「何で結が謝るねん」

「何となく。無神経なことでも言ったのかなと」

「…いや、ただ俺の独占欲やから。まあ、気にすんな」


  それはつまり、どういう意味なのか。

 そう聞き返したかったが、フッと笑みをこぼした彼の金髪が、太陽の光に反射して眩しかったので私は彼から目を逸らせた。


「大志…」

「何?」

「いつもありがとう」

「何やねん、急に」

「んー?なんとなく?」


  私は本当に何となく、重ねられた彼の手に指を絡めた。

 重なった手がいつもより熱く感じる。

 よく子どもは眠くなると手が温くなると聞くが、あれは大人にも適用されると思う。きっと、私は眠かったのだろう。



 電車は自宅の最寄駅についた。駅前のマンションが、電子の窓から見える。

 大志は降りるぞ、と私の手を握ったままホームに出た。


「あの、手…」

「…今は彼氏なんやろ?」

「へ?そ、そうだけど…」

「じゃあ、このままで」

「う、うん…」


 結局、改札を出て私のマンションのエレベーターに乗るまで、私たちは手を繋いだ。

 なんだかむず痒い。彼が男の人みたいに見える。


(…でも怖くない)


 謎に早くなる心臓の鼓動に私は病気を疑った。

 今度、精密検査を受けよう。


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