序章5/7
試験が開始して十分。教室では文字を書いている音が響いており、試験官が見て回っている足音も聞こえてくる。
受験生が必死で問題を解いている中、トールはすべての問題を見て以降名前だけ書いて問題には手をつけていなかった。
トールの隣にいる筆記用具を忘れていた黒髪の女の子も必死に書いているのにもかかわらず、トールは何も書いていない。
「うーん……?」
トールは誰にも聞こえない音量でうなり声を上げ、意味の分からない言語を解き明かそうとしている気持ちだった。
魔法に関して言えば、トールはこの世界で五本の指に入る知識量を持ち合わせている。世界で一番の知識量を持つオーディンやトールの母、ヨルズほどではないが、十四にしてユグドラシルで年不相応の知識を得ている。
だが、それは本来の魔法の知識であって、間違った魔法の知識はその範疇を超えている。問題用紙に書かれている十問の問題すべてがトールを悩ませるタネであった。
『第一問:魔法を人類に与えた四柱の神の名を書け』
第一問目からトールの頭にはハテナしか出てこなかった。魔法は与えられたものではなく、人類がみな等しく持っている物であるため、この問題は魔法以前の問題であった。
その問題が全く分からなかったトールは、第一問目を飛ばして第二問目を見る。十問すべて見ているためその次の問題が何で、意味が分からないことは分かっているが、トールにはそれを気にする余裕がなかった。
間違った認識の問題が出されて何も答えられずに問題が悪いと言えば、負け犬のように周りから思われてしまうとトールは思っているからだ。
『第二問:魔法発動における三大要素とは何か。また、その三大要素のうち最も必要とされている部分は何か書け』
すでにトールは何を書かれているのかが分からなかった。ユグドラシルでは魔法発動における要素などなく、ユグドラシルだけ特別などあっていい話ではない、どれだけ間違った知識を教えれば気が済むのだとトールは思っていた。
例えるなら、普通ならリンゴの味を聞くところをリンゴの木の味を聞いているようなものだった。それくらいにユグドラシルの世界の真理とフランク王国の魔法が違っていた。
決してその文化で変わるのではなく、ユグドラシルの真理がすべて正しく、他が間違えているのだ。それだけに頭の悪い知識に頭を悩まされていることにトールが腹が立つことは当たり前のことだった。
第三問目から第十問目まで同じような頭の悪いことが書かれており、この問題を作った製作者や学校側に雷霆を一撃喰らわせてやろうかと思うくらいにトールはイライラしていた。
「すぅ……」
とりあえず落ち着いたトールは、自身が思っている通りに書くことにした。第一問目なら『神が人類に魔法を与えたという証拠はどこに?』や第二問目なら『魔法発動に必要な物は魔力と構築力。三つ目なんかない』など、トール側の理論を元に書いて行った。
トールがすべて書き終えると試験開始から三十分経過しており、残り十分となった。トールは筆記試験で点数が取れなくても良いと思っているため、答えではないと分かっているが思うように回答した。
十分間何もすることがないトールはバレない程度に横目で黒髪の女の子の方を見ると、書き終えて筆記用具を置き書いていることに漏れがないかを念入りに確認している。
トールはこんなこと覚えるくらいなら他のことを覚えた方がマシだと思いながら、この国の魔法知識に苛立ちを覚えた。
そんなことをトールが思っているところで、試験官からの合図が来て筆記試験は終わった。
☆
試験官が問題用紙と答案用紙を回収して回り、一時間の休憩の後にグラウンドで実技試験が行われる主旨を説明され、トールは学園の中はある程度自由にして良いとのことであったため見て回ろうと立ち上がった。
「あっ、あのッ!」
「うん?」
隣にいた黒髪の女の子に声をかけられたことでトールは足を止めて女の子の方を向いた。
「これ、ありがとうございました」
「役に立てたのなら良かったよ」
黒髪の女の子が手に持っていたのはトールが渡した筆記用具で、トールは自身に返すのかと思ったが黒髪の女の子は返す気配がない。
「あの、これを記念に貰っても良いですか?」
「えっ? うん、そんなもので良ければあげるよ」
「本当ですか⁉ ありがとうございます!」
その会話で筆記用具が何の記念になるのか分からなかったトールであるが、筆記用具一つでそんなにも笑顔になるのならトールはあげた甲斐があると思っているくらいだった。
「あの、私はレスクヴァ・マイエルです。あなたの名前を聞いても良いですか?」
「僕はトール・ミッドガルド。よろしくね、マイエルさん」
「私のことはレスクヴァで大丈夫です」
「それじゃあ僕もトールで大丈夫だよ」
「そ、それでは、トールさん、よろしくお願いします」
トールが手を出したことでレスクヴァはトールの手を恐る恐る重ねて握手をした。数秒してトールが手を放そうとしたが、レスクヴァが一向に手を放さなかったことでトールは不思議そうにレスクヴァの方を見る。
レスクヴァは顔を赤くして固まっていたのだ。このレスクヴァという女の子、家族以外の男性と会話すらしたことがなく、さっきのトールとの一件でトールの優しさにときめいているため、握手しているだけで頭がショートしてしまったのだ。
「あの、レスクヴァ? 大丈夫?」
「……は、はい、だ、大丈夫、です」
トールが問いかけてもレスクヴァは答えはするが手を放す感じがなく、心ここにあらずな状態になっていた。
「あいつら、今が試験中だって言うのに随分と余裕そうだな」
「ここは出会いの場と勘違いしているんじゃないのか?」
「まぁでもあいつらは俺らの敵ではないな」
握手しているトールとレスクヴァを見て周りがひそひそと話している声にトールは気が付いていた。しかしトールはそれを気にするつもりがなく、言わせておけばいいと思っているくらいだった。
「レスクヴァ? 僕は学園を見て回りたいんだけど、キミはどうする?」
「えっ、あっ、そ、そうですか。……その、付いて行っても、良いですか?」
「うん、別に構わないよ」
トールの問いかけにレスクヴァは頷いそう答えたが、トールの手は全く放す気配がなかった。それを見たトールはレスクヴァの手を優しくほどく。
「あっ……」
手をほどかれたことですごく寂しそうな顔をするレスクヴァだが、トールは逆の手を取って二人が並んで歩けるように手をつなぎなおした。
「行こうか」
「は、はいっ……」
トールと手をつないだことにより、レスクヴァは、はにかんだ笑みを浮かべた。レスクヴァは控えめに言っても儚げな雰囲気を持つ美女であるため、そんなレスクヴァが笑顔を浮かべたことにより、トールとレスクヴァをバカにしていた彼女彼氏を持たない受験生たちは、嫉妬の念を送った。
それにも気が付いているトールであるが、それを一切合切無視してレスクヴァと手をつないで教室の外に出た。レスクヴァはトールの隣を歩いているが、顔を真っ赤にしたまま恥ずかしさを隠すように少し俯いて歩いていた。
「ある程度自由に歩き回っても良いって言われたけど、どこまで自由に歩いて良いのか分からないよね」
「そ、そうですね……」
「この学園って貴族たちが大半で平民が少ししかいないって言ってたけど、優秀な平民が少ないのか、わざと平民の数を減らしているのか、どっちなんだろうね」
「……どうなんでしょうか……」
トールとレスクヴァが並んで歩き、トールが適当に話を振っているがレスクヴァは曖昧な返事しかしていなかった。
知り合って日が浅い男性と手をつないで歩いているということが、レスクヴァにとって非常にハードルが高く、それで頭が回っていなかったのだ。
それをトールは気付きながらも無視して歩を進めた。
中世ヨーロッパの習慣について調べたんですよ。まぁ、自分はそこら辺の知識がクソ過ぎてツッコミ待ちしているところがあるんですけど。それで、毎日風呂に入らないってあって。特にオチはないです。言いたかっただけです。