その4:先輩が料理当番を代わってくれない(3/3)
厨房はまるで戦場でした。誰もがあわただしく自分の作業に集中し、てきぱきと動いています。テレビで有名ホテルのシェフの特集でやるような、緊迫した空気が張り詰めています。
あたしとしては、さすがに厨房がわびさびでなくてほっとしました。井戸とか竈とかあったらどうしようと思っていたので本当によかったです。
しかし、清潔感あふれる床と壁紙、ピカピカで広いシンク、業務用冷蔵庫やオーブン、電子レンジ、ガスコンロにIHヒーター、調理器具もメジャーなものから使い方が想像できないものまで何でもそろっています。現代的すぎて、逆に不釣り合いです。
とりあえず、料理がないと味見はできないので、あたしはみんなの邪魔にならない場所に立っていました。
しばらくして、いつも無口な蝶舞先輩が小皿を差し出してきました。
「あじみ。」
あたしはそれを受け取りました。完全に味見班です。けれど、仕事ができてうれしいです。
あたしは小皿に入った茶色い液体を口に入れました。
口いっぱいに広がる日本伝統のやわらかな味わい。雑味がなく、絶妙な濃さのお味噌汁でした。味見と言わず、早く食べたいです。
「栗山1年兵、報告せよッ!」
遠くから軍曹の怒号が飛んできます。自分も中華鍋を振るっているのに、厨房全体を把握しているみたいです。さすが2年も料理当番やっているだけあります。
「はい、すごくおいしいです!」
他の人の支持にかき消えないように、大声で叫びます。
しかし、軍曹は不機嫌な表情を見せました。
「誰も感想など聞いていないッ! 報告せよと言っているッ!」
ヤバいです! 何と報告すればいいのか皆目見当もつきません。
あたしがあたふたしていると、軍曹がイライラした様子でこちらにやってきました。
「貴様は味見もろくにできんのかッ! これだから料理経験なしの無能は困るッ!」
そう吐き捨ててあたしの手元の小皿をひったくり、味噌汁の味見をします。ああ、これがきっとパワハラってやつなんでしょう。味噌汁よりもしょっぱい涙と感情が出てきます。
「火を止めろッ! 煮詰めすぎだッ! ボサッとするなッ!」
厳しい指摘を飛ばしたかと思うと、すでに軍曹は自分の持ち場に戻って中華鍋を振るっていました。
あたしは蝶舞先輩が火を止める姿を眺めながら呆然としていました。
もしかして、味見って一番難しい上に責任重大なのではないでしょうか?
「軍曹、大変です! この塩の瓶の中身、砂糖になってます!」
その時、3年生の滝川先輩が叫びました。
塩の瓶の中身が砂糖に、って間違いなく弥生ちゃんの仕業です!
「塩を使った者はッ!?」
「はい!」
殺気立った軍曹が声を上げた生徒の方へ向かいます。
ヤバいです! 犯人探しが始まりました。このままでは弥生ちゃんが食材になってしまいかねません。贖罪だけに。
そう思ったのもつかの間、軍曹は別の声を上げた生徒のもとへ向かっています。どうやら味見に回っているようです。きっと軍曹は犯人が誰かよりも料理の心配をしているようです。
軍曹は、本当に料理の心配を、その料理を食べる人の心配をしているのです。
「栗山1年兵ッ! 貴様の仕事だろッ! ボサッとするなッ!」
「イエス、マム!」
彼女の厳しさは決して理不尽なものではなく、料理に対する誇りと、それを食べる人の健康、ひいては人生に対する思慮深さからくるものだと実感しました。
それを思えば、彼女に従うのもつらくはありません。
あたしも、塩を使ったという生徒の料理の味見に回ります。
「焼き鮭、異常ありません!」
「よしッ! やればできるじゃないかッ! 引き続き確かめて回れッ!」
「イエス、マム!」
軍曹は声色1つ変わりませんが、少し、誇らしげな気分になりました。
その時、弥生ちゃんの声が耳朶を打ちました。
「この忙しさで手が空いているのは栗山さんだけです! 彼女だけアリバイがありません!」
この子、どさくさに紛れてあたしに濡れ衣を着せてきました!
「いやいやいや、あたしじゃありません!」
必死に否定の言葉を発しますが、時すでに遅く、軍曹の殺人的な視線があたしをとらえていました。
「貴様ッ! 今すぐ厨房から出ていけッ!」
「濡れ衣です! あたしじゃありませ――」
「口答えするなァッ!」
「はひいぃっ!」
あたしは言われるがまま、厨房を後にし、準備室で1人たたずみました。
やっぱり、理不尽です。
まだ、その時の誤解は解けていないので、軍曹はあたしを目の敵にするのです。