その4:先輩が料理当番を代わってくれない(2/3)
あたしが初めて赤銅寮で料理当番になった日のことです。
その日の1年生の料理当番はあたし、異才の演劇部員でルームメイトの籠女ちゃん、そしていたずら好きな弥生ちゃんとツインテールでおバカな沙奈絵ちゃんの4人でした。一応、あたしがこのグループのリーダーをすることになりました。じゃんけんに負けたので。
準備室でエプロンとバンダナ姿になったあたしたちは、スリムでストイックなスイマー、蝶舞先輩に「1年生。待機。」との命を受け、準備室で待っていました。
「ふっふっふ、沙奈絵君、私はまた画期的な作戦を思いついたぞ!」
弥生ちゃんが突然不吉な笑顔を見せると、不穏なことを言いました。
「おお、さすがヤヨいん」
沙奈絵ちゃんは関心顔になります。そういうことは弥生ちゃんの計画を聞いてから言った方がいいと思います。いや、弥生ちゃんの計画を聞いてもさすがとは絶対言いません。
「厨房にある塩と砂糖をこっそり入れ替えておくのだ!」
「いや、さすがにそれはまずいでしょ!」
あたしは全力で弥生ちゃんの計画を止めにいきます。あ、さすがっていっちゃいましたね、あたし。
あたしの言葉を聞いた弥生ちゃんは子供じみた不機嫌丸出しな顔をします。
「あずき君、君はいつも私の計画を邪魔してくれるね。」
「いやいやいや、だってあたしたちも寮のご飯食べるんだよ? それでなくても、今回ばかりはまずいでしょ!」
「確かに、焼き鮭が甘くなってデザートがしょっぱくなったら、おいしくないよね」
「いやいや沙奈絵ちゃん、そういう意味じゃないから!」
笑顔の沙奈絵ちゃんは状況の深刻さに気付いていないみたいです。
「栗山家の長女、あずきよ」
「籠女ちゃん、その呼び方はいい加減やめてよ」
「我が赤銅寮の平和を守るため、かの憎き桜木伯爵の野望を阻止せよ!」
「言われなくても止めるよ。あと、いつから弥生ちゃんは伯爵になったの?」
籠女ちゃんは相変わらずマイペースというか、役が入っています。シェイクスピアがインストールされています。
「整列ッ!」
あたしたちがいつものようにくだらないやり取りをしていると、突然怒号が飛び込んできました。
一瞬で、あたしたちは凍り付きます。
そこに、見た目小学生の眼帯少女、軍曹が入ってきました。そして、横一列に並んだあたしたちの前で立ち止まります。
ぴしっとした直立姿勢、きりっとした表情、貫録を感じます。見た目小学生ですが、様になっています。
「私は赤銅寮料理当番長を務める3年E組、料理部長の一ノ瀬咲綾だッ! 一ノ瀬と呼べッ! 左から順に所属と名前、料理経験を言えッ!」
87デシベルの怒号ともとれる自己紹介をしました。この時からあたしはめちゃくちゃ怖かったです。
「はひぃっ! 1年D組、美術部の栗山あずきですっ! 料理経験はありません!」
震えるあたしの言葉に、軍曹は鋭い眼光を飛ばしてきます。蔑むような眼です。どうして初対面の人にこんな視線を向けることができるのでしょうか。あたしには分かりません。
「次ッ!」
「はっ! 1年A組、演劇部、安中籠女でありますっ! 階級は二等兵、料理経験はカップ麺の製作、冷凍食品の解凍、バレンタインのチョコレート製作でありますっ!」
籠女ちゃんはシェイクスピアから二等兵に役変わりしました。すぐに役作りができる籠女ちゃんがうらやましいです。
というか、カップ麺とか冷凍食品とか、料理じゃないと思います。それぐらいならあたしもあります。しかもバレンタインのチョコレート製作って、意外と女子力高いです!
「次ッ!」
軍曹は弥生ちゃんの方に視線を映します。籠女ちゃんはそんなににらまれませんでした。やっぱり、あたしが蔑むような視線を受けたのは、料理経験がなかったからのようです。
「はい! 1年B組、購買委員、桜木弥生です! 料理は週に1回程度、コンビニでのバイト経験があります!」
弥生ちゃんも籠女ちゃんに倣って敬礼しながら言いました。
弥生ちゃんが普通のリアクションができることに驚きました。というか、週に1度料理するとか、コンビニでバイトしたことあるとか、この中で一番人間力があります! 意外というか、異常です。
「次ッ!」
軍曹は沙奈絵ちゃんに視線を移します。口調は変わりませんが、一瞬、口元に笑みを見せました。なんだか、弥生ちゃんは期待されているみたいです。なんか悔しいです。
「はい! 1年E組、麻雀部、宝城沙奈絵です! 友達にはサナちゃんって呼ばれています! 趣味はゲームで、小さい頃にバレエを習っていました!」
沙奈絵ちゃんも2人に倣いながら笑顔で元気に自己紹介しました。普通の自己紹介です。料理経験不明です。
「よしッ! 貴様らに問おうッ! 貴様らにとって、料理とは何だッ!」
軍曹が厳しい口調で問いかけます。みんなに尋ねているのに、あたしをにらんでいます。この中で第一印象が一番よくないのはあたしのようです。
この質問は、非常に難しいです。ここで間違えたら、あたしはもう一生軍曹に残念な人扱いをされてしまうかもしれません。
「一ノ瀬、あたし質問があります!」
沙奈絵ちゃんが手を挙げて尋ねました。確かに軍曹は一ノ瀬と呼べとは言いましたが、いきなり呼び捨てとかバカ正直にもほどがあります。
「何だ、サナちゃんッ!」
軍曹もいきなり馴れ馴れしすぎです。確かにサナちゃんと呼ばれていると言いましたけど、軍曹は沙奈絵ちゃんの友達じゃありません。みんな心が広すぎます。
「一ノ瀬にとって料理って何ですか?」
逆に問い返しました。失礼すぎます。
「うむ、良い質問だッ! いいだろう、答えてやるッ!」
いいのでしょうか、いろいろと。
しかし、軍曹の考えも気にならないといえば嘘になるので、あたしは静観することにしました。
「いいかッ! 料理とは、人生における戦う力だッ! 我が軍が先の大戦で撤退を余儀なくされた原因は飢餓、脚気、栄養失調、いずれも不十分な食事だッ! 人は食わねば死ぬのだッ! それは今も昔も変わらんッ! だが、食えば生きられるかと問われれば、否だッ! 人は常にあらゆるものと戦わねばならんッ! 勉強、部活、仕事とやらねばならぬことは山のようにあるッ! それでも人は食わねばならんのだッ! 食事は必須だが、食事は人生の主役ではないッ! ならば、我々料理人にできることは、課題の山積した人生に立ち向かう力と勇気を与えることだけなのだッ!」
軍曹はまくし立てるように持論を展開します。ものすごくいいことを言っているような気がしますが、怖すぎて全然頭に入ってきません。
「――そろそろ時間か。諸君ッ! 直ちに持ち場につけッ! 安中1年兵は食材班に合流し、届いた食材の解凍を手伝えッ! 桜木1年兵は揚げ物班に合流し、滝川3年兵に指示を仰げッ! 宝城1年兵は私と共に来いッ!」
「イエス、マム!」
軍曹の支持に、3人は威勢よく敬礼しました。みんなノリがいいというか、適材適所というか、軍曹と沙奈絵ちゃんが気がついたら仲良しとか、いろいろ言いたいことがあるのですが。
「あの、一ノ瀬先輩、あたしは何を――」
「貴様は味見でもしていろッ!」
温度差が激しすぎます。なんだか涙が出てきそうです。だって、女の子だもん。
「返事はッ!?」
「い、イエス、マム!」
みんな持ち場に移動します。その時、沙奈絵ちゃんが声をかけてきました。
「アズにゃん、いいな~! あたしも味見班がいい! あたしと代わってよ!」
「ごめん、あたし一ノ瀬先輩と一緒の班だったら死んじゃうかもしれないから」
「……アズにゃんも大変だね」
沙奈絵ちゃんに同情されてしまいました。うう、涙が出てきました。だけど、あたし、負けない!