その1:ルームメイトが変人(1/1)
第一印象というものは、いつの時代もどこの世界でもその後の人生を大きく左右するものです。
それは自分の印象を与える時だけでなく、相手の印象を受け取る時や、あるいは人以外のものに対しても同じだと思います。
あたしが第一印象の大切さを痛切に感じたのは、中学生にさよならして高校生という新しい生活に夢を膨らませていた3月末の、割り当てられた学生寮についた時でした。
あたしの目の前にそびえるのは木造二階建ての日本家屋。そびえたつというほど高さはありませんけど、とにかく横に大きいです。
そして、ボロいです。
壁やら屋根瓦は長年の風雨を耐え忍んでいたせいか、色あせています。補修の跡があちこちに見られるので、よく手入れされているのは何となく分かりますが、逆につぎはぎだらけのようにも見えてしまいます。
100年前はきっと立派なお屋敷だったのかもしれません。
けれど、今はまるで時代の波に取り残されて、それでも何とか今日まで持ちこたえてきたというようなもの悲しさが伝わってきます。
これがいわゆるわびさびの世界でしょうか。わびさびを感じられる、以外にメリットが感じられない外見です。あたしの心も枯山水です。
あたしと同じような新1年生がお屋敷らしいゆったりとした広さの玄関に入っていきます。玄関をくぐると、みんな寮生に迎えられて、部屋まで案内してもらっています。
「ようこそ、赤銅寮へいらっしゃいました」
あたしを迎えてくれたのは、春の陽だまりのような笑顔の2年生の先輩でした。黒髪ロングに白を基調とした春らしいワンピース、花の髪飾りとか、清楚を絵に描いたような先輩でした。
あ、先に言っておきますが、この人がルームメイトの変人ではありません。この人は鷹野原先輩で、とてもできた人です。星愛女学院の副風紀委員長を務め、同時にここ赤銅寮の寮長を務めるハイスペックな人格者です。
お客さんをもてなすような丁重な挨拶を受けた後、鷹野原先輩に続いて長い板張りの廊下を進みます。
鷹野原先輩がとある襖の前で立ち止まりました。どうやらあたしの部屋についたみたいです。
「こちらが栗山さんのお部屋です。手狭で恐縮ですが、ご容赦いただきますようお願いいたします」
「あ、ありがとうございます」
そんな、お客様は神様です対応されると、こちらの肩身が狭くなります。こちらが恐縮してしまいます。
しかし、襖を開けると驚きました。
四畳半!
こちらの肩身よりもさらに狭い部屋でした。
部屋には押し入れと、丸い蛍光灯と、こたつしかありません。奥の障子の向こうには縁側と中庭が見えますが、中庭の方が断然広いです。あ、当たり前ですね。
「それでは、午後5時に歓迎会を兼ねた説明会が『青龍の間』で行われますので、それまではおくつろぎください。『青龍の間』は部屋を出て左、廊下の突き当たりにあります。ルームメイトの方はもうすぐお見えになると存じます」
「は、はい」
あたしが圧倒されている間に鷹野原先輩は次の生徒の出迎えに向かってしまいました。
少し緊張がほぐれ、部屋に入って荷物を下ろした時に気づきました。
出入口は襖、中庭に続く縁側へは障子。
鍵がありません!
たくさんの寮生がいるのに、内部のセキュリティはザル同然です。ザルの方がましです。いや、やっぱりザルの方がましは言い過ぎました。
乙女の秘密を守ってくれるものは、鍵のない襖と障子だけです。木と紙でできた砦だけです。
このままだと、あたしの心もわびさびになってしまいます。
あまりのショックにこたつに入って顔をうずめていると、閉じた襖の向こう側、廊下で生徒が話をしている声が聞こえました。
「こちらが安中さんのお部屋です。手狭で恐縮ですが、ご容赦いただきますようお願いいたします」
「はい、ありがとうございます」
筒抜けです! 壁に耳あり障子に目ありどころではありません。ノイズキャンセリング搭載の最新ワイヤレスヘッドホン並みのクリアなサウンドです。
動揺しているあたしをよそに、襖が開いたかと思うと女の子が鷹野原先輩にお礼をしながら入ってきました。
その時、重大なことを思い出しました。
相部屋!
この狭い四畳半に、この女の子と2人暮らし!
もうプライバシーもへったくれもありません。乙女の純情を守るには心に鍵を掛けるしかありません。
「こんにちは、はじめまして! 安中籠女です! よろしくお願いします!」
部屋に入ってきた女の子は、少し照れ笑いを見せながらも、快活で丁寧なあいさつをしました。
背は平均より低そうですが、セミロングの髪は軽く癖がついていて、ふわふわしてます。すごくわしゃわしゃもふもふしたいです。
少し落ち着きを取り戻したあたしも自己紹介をすることにしました。
「はじめまして。栗山あずきです。こちらこそよろしくお願いします」
籠女ちゃんはこたつを挟んであたしの目の前に座りました。狭いです。
「栗山あずきさんですね! どんな字を書くんですか?」
無難なやり取りですが、こういうシチュエーションはお互いに緊張するものです。だからこそ、こういうやり取りはお互いの心の距離を近づけるかもしれません。
「栗ご飯の栗に山川の山、あずきは平仮名であずきです。安中さんは?」
こういう質問は聞き返すのがある意味マナーです。だから何のためらいもなく尋ねました。
しかし、それが間違いでした。
頬を赤く染めながら、籠女ちゃんは答えました。
「安全日の安に中出しの中、女の子を身籠ると書いて籠女です」
この人、かなりヤバいです!
初対面の自己紹介で避妊の大切さをアピールする女の子を初めて見ました。
しかも恥ずかしがりながら言いました。恥ずかしいなら言わなきゃいいのに、です。
彼女の言動に疑いの目を向けたまま言葉を失ったあたしをよそに、籠女ちゃんは真っ赤な顔をして続けました。
「あ、あの……一応言っておきますけど、私、その……しょ、処女です」
別にそういう疑いの目ではありません。あなたの初対面の対応に疑いの目を向けているのです。
「そ、その……栗山さんは?」
この子、聞き返してきました! 確かに、聞き返すのはある意味マナーとは言いましたが、それは常識的な質問の話です。非常識な質問には答える義理も聞き返す義理もありません。そもそも、あたし聞いてません。
「い、いやいやいやおかしいでしょっ! あたしたち初対面だよ? なんでそんなこと聞くのっ!?」
「そ、そうですよね! す、すみませんっ! じゃあ、その、栗山さんの胸は何カップですか?」
「だから、なんでそんなこと聞くんですかッ!?」
この子は話題転換というものを知らないみたいです。進んでいるつもりでも、同じところをぐるぐると回っているだけです。
こんな話ばかりされると、こっちまで顔が熱くなってきてしまいます。
「す、すみませんっ! 素敵な胸だなぁ、と思ったので。ちなみに、私はCカップです」
また恥ずかしがりながら言いました。耳の端まで真っ赤です。この子が口を開くと乙女の可憐な秘密があふれ出してきます。鍵が必要なのは籠女ちゃんの口の方です。
しかも、あたしと一緒です。うらやましがる要素ゼロです。あ、今のは忘れてください。
この女の子と1年間一緒に過ごすと思うと気が遠くなってしまいます。
軽い失望感に襲われながら、あたしは思いました。
避妊を推奨するNPO団体がキャンペーンガールを募集していたら、迷わず推薦しようと。