その5:清楚でハイスペックな寮長には秘密がある(4/4)
すべてのコンロに火がいきわたったころ合いに、見計らったかのように大量の下準備を終えた食材がやってきました。
なんだかんだで、あたしは結局、籠女ちゃんと蝶舞先輩、滝川先輩のいるコンロに入ることにしました。いろんな人と交流したいと言いつつ、やっぱりよく知っている人と一緒にいる方が落ち着くのです。
肉や野菜を焼き始めていい匂いが立ち込めてきた頃、中庭の入り口の方で鷹野原先輩の声が聞こえました。
「お待ちしていました、猪俣副会長。もう準備はできております」
「すまない、会議が長引いてしまってな。手伝いはおろか、着替える時間すらなかった」
「めっそうもございません。到着早々で恐縮ですが、ご挨拶をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「君は相変わらず頭が低いな。同学年なのだからそう肩肘張らないでいいだろう。分かった。今すぐにでもしよう」
鷹野原先輩の隣にいるのは、黄色い襟のセーラー服にパープルのスカーフをした凛々しい先輩でした。うちの高校で黄色い制服といったらたった7人しかいない生徒会のメンバーであるということを示しています。
それにしても、凛々しいです。顔はもちろん、声も雰囲気も立ち振る舞いも凛々しいです。凛々しい以外の形容詞が見つからない先輩です。
鷹野原先輩が凛々しい先輩を仮設ステージに案内すると、マイクを持って話し始めました。
「皆様、長らくお待たせしました。猪俣副会長がお見えになりましたので、ご挨拶と乾杯の音頭をお願いしたいと存じます」
その声を合図に、中庭にいたみんながジュースを手に取りました。あたしたちも滝川先輩に促されて缶ジュースを手にしました。
そして、凛々しい先輩がマイク片手に壇上に立ちました。瞬間、あたりは沈黙に包まれました。
「生徒会副会長の猪俣美萩だ。本日は寮生の親睦を深めるためにこの回を催し、準備し、参加してくれた皆に感謝したい。これからの皆の有意義で充実した青春を、生徒会を代表して応援する。それではご唱和を。乾杯!」
副会長の言葉に続いて、「乾杯!」と叫びながらみんなは缶ジュースを掲げました。一瞬、副会長のご挨拶と聞いて長い長いありがたい言葉を聞かされるのではないかとひやひやしましたが、簡潔で明瞭で、それでいて心に残るメッセージでした。たぶん、副会長の凛々しい声のおかげだと思います。
その後は打って変わってお祭り騒ぎでした。酒池肉林の狂喜乱舞、いやもちろんお酒はないですけれど、とても楽しい時間でした。
途中、あたしたちの網に鷹野原先輩と副会長が入ってきた時はものすごくビビりましたが、2人の談笑に交じると不思議と緊張は解けていきました。
その時、副会長にうちの高校の教育方針を聞いたのですが、「ありのままに美しく」だそうです。自然体に礼儀作法が現れるように日々を送り、他者に対する尊敬と寛容を学ぶことで、お互いに過ごしやすい社会を作ることを目標にしているそうです。小難しい話のはずでしたが、自然と頭に入ってきました。それはあたしが大切にしているコミュニケーションの理想の姿に近かったからかもしれません。
ふと、鷹野原先輩の持つ紙皿を見ると、まだ肉や野菜がたくさん残っていました。箸をつけた形跡もありません。鷹野原先輩があたしたちのコンロに入ってきた時と寸分も変わらないのです。
「鷹野原先輩、食べないんですか?」
あたしが何気なく尋ねると、黒髪を揺らして鷹野原先輩ははにかみました。
「食べますよ。今はまだ熱いので冷ましているんです」
「えっ? ずいぶん前からよそっていませんでしたっけ?」
「ええ、お恥ずかしいのですが、実は私、猫舌なのです」
少し顔を紅潮させて照れ笑いする鷹野原先輩は初めて見ました。
猫舌って恥ずかしいことなのでしょうか? その時のあたしはピンと来なかったんですけど、鷹野原先輩の超絶猫舌体験談はまた別の機会にしたいと思います。
「あの、あずきさん、少しいいですか?」
あたしを呼ぶ声がしたのでそちらの方を向くと、籠女ちゃんが頬を少し赤くして立っていました。どうやら今はシェイクスピアをインストールしていないみたいです。
「どうしたの、籠女ちゃん?」
「あの、改まって言うのも恥ずかしいのですけれど、……その、ルームメイトとして、これからもよろしくお願いします」
籠女ちゃんはふわふわした髪を揺らしながら、ぺこりと一礼しました。
籠女ちゃんと知り合ってから約1か月、いろんなことがありました。
正直言うと、7回ぐらいドン引きする瞬間がありましたが、心根はとても素直で、まじめで、ただその思いを伝えるのが苦手なだけであることに気づくと、自然と好感が持てるようになりました。
そんな心の余裕を自覚的に持てるようになったのも、籠女ちゃんのおかげだと思います。
だから、あたしも籠女ちゃんの思いには素直に返したいです。
「もちろん! あたしの方も、これからもよろしくね!」
「はい! その、……一応私は百合には理解がある方だと思っているので、遠慮しないで言ってください」
ああ、籠女ちゃん、緊張しているんだな。
そう思ってあたしは笑顔を返しました。
「諸君、待たせたな。デザートだ」
軍曹の声がしたかと思うと、わぁーっと歓声と拍手が上がりました。
小柄な軍曹が自分よりも大きなワゴンを押してきます。そこには1人1つ分の素敵なデザートが並んでいます。
「すごいです! かわいいパフェですね!」
それを見た籠女ちゃんは驚嘆の声を上げました。
それはブルーハワイゼリーにソーダアイス、ブルーベリーソースの絡んだ、そして練乳の波に乗っているバナナでできたイルカのパフェでした。
すごくかわいくてすごくおいしかったけれど、少しだけ罪悪感の味がしたのは内緒の話です。
これがあたしが入学してから寮で起こったことの数々です。
あなたが人間関係に悩んだ時の参考になればうれしいです。
最後まで聞いてくれてありがとうございました。