その5:清楚でハイスペックな寮長には秘密がある(3/4)
さて、あたしも今日の宴の準備を手伝いますか!
謎のやる気に満ち溢れながらあたしが交流スペースから板張りの廊下へ出ると、あたしを呼ぶ声が聞こえました。
「あずき君、いいところに来た!」
振り返ってみると、黒いマントを羽織猫耳カチューシャとカボチャの仮面をつけた女の子がいました。
どうせまた弥生ちゃんです。弥生ちゃんもお祭り気分のようです。
「あれ、沙奈絵ちゃんは?」
あたしはきょろきょろと見まわしますが、ツインテールのおバカな子は見当たりませんでした。いつも一緒にいるものだと思っていたので、珍しいこともあるもんです。
「聞いてくれたまえ、あずき君! 沙奈絵君のやつ、今日はクラスメイトの友達と遊びに行くとかで、バーベキューに参加しないのだ!」
「そうなんだ、残念だね。でもほら、うちの寮自由だし、別にいいんじゃない?」
けろっとしたあたしの対応に、弥生ちゃんはカボチャの仮面を外して涙目の顔を見せます。
「君はどうしてそんなに冷静でいられるのだ! しかもあろうことかお泊りなのだぞ!」
「お泊りって、明日学校だよ? 沙奈絵ちゃん、忘れてないかな?」
「そうではない! 年頃の女の子が、友達と1つ屋根の下とは、けしからんではないかっ!」
弥生ちゃんは意外とピュアというか、古風な思想の持主みたいです。相手はクラスメイトなのだから女の子ですし、けしからん展開にはならないと思います。そもそも、年頃の女の子同士で同じ部屋にいるのがいけないなら、全寮制かつ全室相部屋のうちの高校は全員けしからんことになります。
それでも、弥生ちゃんが泣きそうになりながら力説するのは、きっと沙奈絵ちゃんに会えなくて寂しいからだと思います。
「だいたい、今日のバーベキュー、こっそりお肉の注文票に15トンって書いたのに、どうして15キロしか届いていないのだっ!」
どうやら、弥生ちゃんのご機嫌ナナメな理由は、沙奈絵ちゃんどうこうよりもいたずらが失敗したからの方が強いようです。普通、15トンもお肉は注文しないので、誰でも気づきます。清楚系ハイスペック寮長の鷹野原先輩あたりが訂正してくれたのでしょう。
「あ、栗山さん、桜木さん、いいところにいました」
噂をすれば黒髪ロングの清楚系ハイスペック寮長、鷹野原先輩です。いい意味で噂をしたくなる先輩です。噂をして現れるならなおさらです。
「何でしょうか?」
「少し人手が足りないのです。お手伝いいただいてもよろしいですか?」
あの清楚系ハイスペック寮長の鷹野原先輩から頼まれ事です。信頼されています。こんな喜ばしいことなんて、めったにありません。
「もちろんです!」
「ありがとうございます。それでは、中庭に言って火おこしの手伝いをしてもらってもいいですか?」
「はい! 火おこしでもテープおこしでも雷おこしでも、何でも起こします!」
「ふふ、ではお願いしますね」
舞い上がって意味不明なテンションになっているあたしに対しても、鷹野原先輩は暖かい笑顔を返してくれました。
あたしと弥生ちゃんはすぐに中庭に向かいました。その時、「花火どこ置いたっけ?」と小さくつぶやく声が聞こえましたが、気にしないことにします。
あたしたちが中庭に入った瞬間、朗々とした声が響いてきました。
「世間にはきれいに切りそろえられた牛の焼き肉が好きな者がいる。焦げた野菜を見るだけで気が変になる者がいる。魚介の焼ける香ばしい音を聞いただけで、よだれを垂らす者がいる。なんせ、食欲を刺激するのはバーベキューの気質ってやつですからな」
このすらすらと流れるような言葉、堂々としたセリフ、予想通り籠女ちゃんでした。
籠女ちゃんは身振り手振りを交えた後、あたしに向かってビシッと人差し指を突きつけてきます。
似たようなセリフをどこかで聞いたことがあります。ベニスの商人だっけ? ということは、きっと籠女ちゃんは1ポンドの肉が食べたいのでしょう。
これは演劇の練習なのか分かりません。確か演劇はロミオとジュリエット、らしきものでしたから。共通項はシェイクスピアしかありません。
「そうだね、バーベキュー楽しみだね」
きっと籠女ちゃんもバーベキューで浮かれているのでしょう。あたしは笑顔で適当に答えました。
「食べるべきか、焼くべきか、それが問題なのです」
「いや、籠女ちゃん、バーベキューは食べも焼きもするよ」
「バーベキューは歩き回る肉、哀れな参加者、出番の間は網の上をのし歩き、わめき散らすが、その後はもう、音一つせぬ」
ええっと……もう元ネタ分かりません。今までの流れから、たぶんシェイクスピアです。
とにかく、今の籠女ちゃんはバーベキューで舞い上がってどうしようもない状態です。はしたないです。みっともないです。ブーメラン? ああ、言われてみるとそうかもしれませんね。
「はいはい、みんな、遊んでないで手伝ってくれる?」
あたしたちのくだらないやり取りを見かねた滝川先輩があたしたちの間に割って入ってきて、次の行動を促してきました。
それをきっかけに、あたしは籠女ちゃんたちと別れて火おこしを手伝うことにしました。
そして、中庭の隅にあるコンロに近づきました。
「あ、蝶舞先輩、手伝いますよ!」
そこでは、背中に大きく『祭』と書かれたはっぴを着た蝶舞先輩がうちわ片手にコンロに視線を向けていました。お祭り間満点です。本気度高いです。水泳にストイックな先輩は、お祭りにもストイックでした。
それにしても、すらりとした体躯、長い手足にお祭りのはっぴにうちわ姿の蝶舞先輩は、芸術的にキュンとくるところがあります。仏頂面なのがまたポイント高いです。
でも、相変わらずあたしの声は届いていないみたいです。コンロを見つめているせいもあって、あたしに気づいていません。
「先輩! 手伝う!」
コンロを挟んで向かい合い、あたしが大声を上げると、蝶舞先輩は顔を上げてくれました。
そして、一言ぽつりと言いました。
「すみ。はやく。」
あたしは瞬間、フリーズしてしまいました。これは非常に難しいです。
普通に考えたら、「追加の炭を早く入れてくれる?」という意味です。しかし、コンロの中にはいい具合に火が回っている炭が詰まっています。もう追加の炭はいらないはずです。
あるいは、「ここは中庭の隅だから火が早くつけやすいんだよね」という世間話の可能性もあります。いや、そう言いたい時はきっと「すみ。はやい。」というかもしれません。そしたら、今回はこの意味ではないでしょう。
もしかしたら、「ここのコンロの火おこしはもう『済み』だから、早く別のコンロの火おこしを手伝ってきてくれる?」という意味かもしれません。それならば、あたしはすぐに別のコンロの方へ向かうべきです。この場合なら、「ずみ。はやく。」と言う可能性もあるので、またまた違うこともあり得ます。
いやいや、万が一の可能性として「あたしの好きなイカスミパスタ、早く食べたいな」と言っていたら、あたしのスペックをはるかに凌駕していて対応できません。
ある種の混乱状態で凍ってしまったあたしを30秒ほど見つめると、蝶舞先輩は黙ったまま、炭用トングで赤くなった炭を金属製のちり取りの上に移し、箱の中のまだ黒い墨をコンロの中に移し始めました。
しまった! 最初の「追加の炭を早く入れてくれる?」で合っていたみたいです。一生の不覚です。
「おすそわけ。」
蝶舞先輩が赤い墨の入ったちり取りをあたしに差し出してきました。もうこれはイージーゲームです。「この炭、いい具合に火が付いたから、苦戦しているほかのコンロにおすそ分けしてきてくれる?」一択です。
「うぅ、すみません」
あたしは悔しさの涙をこらえながらちり取りを受け取り、他のコンロへ移動することにしました。あたしもまだまだ未熟ものです。少しくらい蝶舞先輩とコミュニケーションをとれたことに満足していました。精進します。