毛玉様は寝室にこもってしまわれました。
「あの〜、グレン様……」
朝食後、一旦自室に戻った私はお待ちになっているグレン様に謝らなければならなくなった。
「今日の予定を全てキャンセルさせていただくことはできないでしょうか」
「…………どうした?具合でも悪いのか?」
「いえ、私の具合は全然……ただ」
毛玉様が引きこもってしまわれた。
ベッドに潜り、出てこないのだ。
「アナベラ様の聖獣もそうですが、アシュリー様の聖獣が育っていたのが殊のほかショックだったみたいで……」
これで育ってないのは完全に毛玉様だけになってしまった。
ベッドから無理矢理引き剥がそうとも思ったのだが、毛玉様は何気に力が強く私では無理だった。
グレン様に頼んでみたものの「淑女の寝室には足を踏み入れられん」と断られてしまった。
「仕方ない……アリス、その旨を皆様にお伝えしてくれ。クローディアさんもここに来てからなにかと忙しかっただろう。今日は体調が優れないことにしてゆっくり部屋で過ごしたらいい」
アリスさんにてきぱきと指示を出すと、グレン様はそう言ってくれた。優しい。
「グレン様は今日はどうなさいますか?」
「俺の任務は君の護衛だ。変わることはない」
「じゃぁ、今日はグレン様もゆっくりなさってください。……というか、お話相手になってくださると嬉しいのですけれども」
「……俺でよければ構わないが」
アリスさんは皆様に私の予定キャンセルの件をお伝えしに言っている為、お茶を自分で用意しようとした。
しかしグレン様に扉を開けようとした右腕を取られる。
「一応体調が優れないことにしているのだから出ては駄目だろう」
「あ……そういやそうでしたね」
取った右腕をさりげなく右手に替えて、エスコートするかのようにソファに手を引かれた。
……洗練されている。
「グレン様は好きな方とかいらっしゃらないのですか?」
グレン様は私の唐突な質問にあからさまに顔を真っ赤にした。
「…………いない」
エェ?
その顔は「いる」って顔だけれども。
しかし下手に突っ込んでもよろしくないのかもしれないので「そうですか」とだけ答える。
私はあまり恋バナとかを友人と楽しむタイプではなかったので聞いてみたかったのだが……残念だ。
グレン様は誤魔化すように咳払いをひとつしてから私に質問を返した。
「クローディアさんは……まぁ毛玉様の成長度合いを見れば一目瞭然だが……その、好みとかはどうなんだ?異性の。ここには一応色んなタイプの男がいるが」
「うぅ〜ん……正直なところよくわかりませんが、殿下を筆頭とするキラキラしい方々はあまり得意ではありません。いえ、顔が整っているのはやはり素敵だとは思うのですけれども……強いて言うなら、もう少し朴訥な方の方が」
「…………ほう」
「このままでは後宮コースまっしぐらですけど……なんかもうそれでもいいような気がしてきました。どうやら私は恋愛ごとに向いていないようなので、この先も何もなくてもあまり変わらないような……」
「毛玉様に聞かれたら怒られちゃいますね」と続けて笑ったのだが、グレン様は下を向いてただ黙っていた。
“うっわ、乾いた女だな”とか思われているのだろうか。
なんだか微妙に自分が可哀想な気分になってきたので、グレン様の方にも“好きなタイプ”を尋ねてみると、また赤くなってしまわれた。
ちょっと厳つい年上男性が、恥ずかしそうにしている様。
なんだか可愛い。
これがギャップ萌というやつなのだろうか。
「タイプ……というか、実直で努力ができる女性は好ましいと思う。控えめにはにかむ笑顔が可愛らしい……」
(ははぁ……タイプ、というか、好きな女性がこういう女性なんじゃないかな?)
そんな女性ここにいただろうか。
……いや、割とどこにでもいる。
いすぎてわからないだけな気がするが、とりあえずキラキラしい皆様ではなさそうだ。
敢えて言うならナターシャ様が近いが、控え目にはにかむというよりはコロコロと可愛らしく笑う。
侍女さんの中にそんなような方は数名いる。
勿論グレン様の好きな人が今近くにいるとは限らないのだが。
「自分の幸せを他人に依るというのはいいことではありませんが、グレン様は幸せにしてくれそうな安心感がありますよね」
“好きな人はいない”と仰っていたので、あまり余計な事は言えないがやんわりと後押しをしてみる事にした。
大きなお世話かもしれないが、散々グレン様にはお世話になっているし……言葉に嘘は欠片もない。
グレン様はとても素敵な人だ。
好きな人がいるなら、告白すれば上手くいくと思う。
グレン様はなんとも名状しがたい微妙な表情でチラリとこちらを見たが、ため息と共に目を逸らされた。
その仕草にグレン様の本音が透けて見えた気がする。
“何も知らないくせに、わかったような口をきくな”
……きっと、そんな感じ。
毛玉様の成長がないことで、私が恋愛していない事が丸分かりというのがイタい。
そんな小娘に後押し的な事を言われたグレン様の反応は、考えてみれば当然と言える。
「すみません……出過ぎたことを言いました。恋愛経験もないのに」
「…………」
グレン様は暫く黙っていたが、次に出た言葉は意外なものだった。
「いや、是非君の忌憚ない意見を聞きたいな。……例えばの話だが、好きになるべきではない相手を好きになってしまった場合、どうしたらいいだろうか」
なんだかグレン様は難しい恋にお悩み中のようだ。
「好きになるべきではない相手……ですか」
状況が些かわかりかねるが言いたくないことなのだろう。
例え話なのに漠然としている。
「その女性が誰かと婚姻関係にあるのでしたらオススメはできませんけど」という前置きを元に発言をさせて頂く事にした。
「“好きになるべきではない”理由がもし解決できるものであれば、それを解決してから想いを伝えたらいいのではないのでしょうか。もしくは相手に想いを伝えて、いい返事が返ってきたら二人で問題を解決していったらいいのでは……」
割と無責任な返事になってしまった事を謝って、続ける。
「グレン様は素敵な方ですから、相手も想われている事を知れば違うのではないかと……あ、もしかしてもう相手には」
グレン様は頬を染めつつも眉間に皺を寄せてまた咳払いをした。
「……例え話だと言っている」
「そういえばそうでしたね」
「君の方は……その、誰かに好意を向けられたらどうだ?実際に殿下は君には特に好意的だと思うのだが」
「殿下は確かに私に好意的ではありますが……それは私が平民なので他の方達より気を使っているというか。誰かに恋愛的な興味を向けられる……というのもよくわかりません」
「そんなことはないだろう。ウエイトレスをしていた時、モテていたようだが?」
「そう、ですね……」
「デートしようよ〜」みたいな軽口は沢山言われた気がするが、全て「貧乏暇なしなんで〜。そんな時間ありません〜」でお断りしていた。
だからといって店内で真剣に告白してきた輩は論外だ。
人が働いている真っ最中に何を言い出すっていう話で、迷惑この上ない。
そもそも一方的に想いを告げられるのは若干怖い。
「仕事終わりに裏で待っている」みたいなメモを渡してくれたり、何も告げずに待たれたりしたこともあるが、私の仕事が終わるのはそもそも夜だ。
防犯的に避けて帰るのは仕方ないと思う。
向こうは私の事を知っている(気になっている)かもしれないが、こっちにしてみれば常連であっても相手のほとんどの事を知らない。
なのでそういう場合、大抵次来た時に「無理です」とお断りした。
「そう思うと……相手に想いを告げる際、相手との関係は結構重要かもしれないですね。先程は軽々しく言ってしまいましたが」
好意を持って下さるのは嬉しいが、好意を持ってくれているのならもう少しこちらの状況を理解してくれるぐらいの気遣いは正直欲しいと思う。
そもそも営業中の私は別人格だ。好きだと言われても実感が沸かない。
「結局のところ『ウエイトレスのクローディア』が好きなのだと思うので……」
「だが、お近づきになれないことには違う君を知れないだろう?」
「そうなんですが、そもそも違う私など求められてる気がしないというか」
こっちが働いている事を理解して、メモを渡してくれた方はまだいいのだが、こっちが自分の事を知らないということを理解してくれていない方が多すぎる。
私がもし相手の立場だったら、まず自分の素性を詳らかにするところから始めるのだが、そんなことをしてくれた人は今まで一人もいなかった。
時間の指定も一方的だ。
よく知らない相手の指定に従って、夜に会うなんて冗談じゃないという心理を汲めない相手と上手くいく気はしない。待たれるのも愉快じゃないし、そもそも怖い。
できれば都合のいい日付と時間を聞いてほしいし、昼間で人の多い場所を指定してほしい。
よっぽど仲良くなっていれば夜でもかまわないとは思うが、私の仕事上のスタンス的にそれは無理というものである。
特定のお客様と必要以上に仲良くすることは他のお客様の不快になりかねないので、無駄な長話はあまりしたくない方だ。仲良くなりようがない。
グレン様は私の意見にとても納得してくれた。
「グレン様の方が職質的に女性からおモテになるかと思うのですけれども。それこそ護衛対象とか」
「……まあ、ないでもない。君の言うとおり、一方的なのは確かに困る。俺は男だから特に怖いというところはないが、仕事上問題になる様な真似をされて困ったことはあるな」
以前も思ったが、仕事の話になると割とグレン様とは気が合う。
「強引に“好きだ”と言われるのが好きなタイプの方もいるでしょうから、あくまで私の意見に過ぎませんが……なにか参考になったでしょうか」
「ああ、ありがとう。まぁ……誠意と思いやりが大事ということだな」
「グレン様は素敵ですよ。お相手がいらっしゃらないのが不思議なくらいです」
その言葉にグレン様はふっと笑って、少し意地悪な感じで私に尋ねた。
「……本当にそう思うか?それとも営業トークか社交辞令か?」
「本当にそう思いますよ!優しいし、大人だし、強くて頼りになる、し……」
思ったままを言ったのだが、グレン様の顔がみるみる赤くなり、照れくさそうに口元に手をあてて目を逸らされたことで私は自分の発言に羞恥した。
…………口説いているみたいじゃないか。
「あ……あの……すいません」
おもわず謝ってしまった。
褒めているのに謝るなんて、否定しているみたいだ。
「いえあの本当にそう……」
否定の否定をしようとしているのに言葉が上手く出てこない。
物凄く恥ずかしい。
暑い。
気が付くとうっすら汗をかいている。
沈黙の数秒。
『ふぅおぉぉぉぉぉ?!!!』
やたらと長く感じたそれを切り裂くように、隣の寝室から激しい音と毛玉様の悲鳴にビクッとなった。
急いで立ち上がって寝室の扉を開ける。
「毛玉様?!」
「クローディアさん!入るんじゃない!!中を確認してから……」
寝室に入ろうとした私をグレン様が静止した。
毛玉様は……見当たらない。
「け……毛玉様?」
『クローディア……貴様……なにがあった?』
どこにいるかわからないが毛玉様の声。どうやら無事のようだ。
「クローディアさん、毛玉様はなんと?」
『……クローディア、俺様はベッドの中にいるが動けない。その筋肉野郎に抱っこしてもらいたい』
「き……いえ、グレン様。毛玉様はベッドの中にいるので抱っこして欲しいそうです」
『クローディア、貴様も俺様の背中をなでなでしろ』
「なんですか?いきなり。……吐きそうなんですか?」
抱っこしてとか背中をなでなでしろとか、妙に可愛いじゃないか。
「アリスはまだ戻ってこないのか?流石に寝室にふたりで入るのは……」
戸惑うグレン様と私をよそに、毛玉様はキュウキュウ苦しそうな鳴き声をあげ始めた。
毛玉様の要求が“抱っこ”と“なでなで”という可愛いものであることで、逆に心配になる。
「せめて君はここで待っていてくれ。俺が入るのも本当はよろしくないが、毛玉様のご指名とあれば仕方ない」
私はグレン様の指示に従い、扉を開け放したまま入口で待たされることとなった。