9.ミシェラ・フランセス・シャロン
案の定、夕食があまり入らなかったエイミーの体調を確認し、子供たちは寝かせた後。三十代二人はリビングで酒を酌み交わしていた。まあ、ミシェラは眠った子供たちと同世代に見えるが。
「それで? あんたが呼ばれたからって、王都まで来るわけないわよね?」
「さすがに王族の命令は断れん」
などと神妙に言ってのけるエルドレッドであるが、彼がそんな殊勝な性格ではないことをミシェラはよく知っている。
「心にもないことを言わないの。今、情勢が良くないのよ。明日、結界を張りなおさなくっちゃ」
ミシェラは思い出して言った。すると、エルドレッドが「それだ」とミシェラを示す。
「情勢が良くないだろう。俺一人では、あの三人は守り切れない」
「……まあ、難しいかもね」
ミシェラも一人では守り切れないと思う。確かに、情勢が不安定である今、それぞれ事情を抱えた彼女らの身に何が起こるかわからない。
「それで、王都に避難してきたってわけ」
ミシェラはエルドレッドのグラスにワインを注ぐ。それを受け取りながら、彼は「ああ」とうなずく。
「ここならお前がいるからな。リンジーさんもいる。お前の結界がある限り、エイミーの体調にもそれほど影響しない」
「……むかつくけど、そのとおりね」
「謙遜しないんだな」
謙遜も何も、事実だから仕方がない。
「と言うか、リンジーはいないって言われなかったの?」
「いや、言われた。だが、ひとまずこちらに移動してくる方が先だと思ってな。少なくとも、お前はいるし」
「……そうね」
それほど、危機が迫っていたと言うことだろうか。ミシェラは首をかしげる。
「ジェインが何か予知したの?」
確かに、ミシェラにも「すぐに会える」と言っていたが。エルドレッドがため息をつく。
「……どこにいても、騒動に巻き込まれるそうだ。それなら、お前の近くの方が安全だろうと思った」
「……うん、まあ、むしろ私が嵐の中心になる可能性もあるんだけど」
頼られたからには盟約と誓約に基づいて全力で護るが。ミシェラは自分のグラスを傾ける。
「まあいいわ。リンジーがいいと言ったなら、私も文句は言わない」
「言ってるだろう。まあ、押しかけた俺たちも悪いが」
彼なりに、女の子たちのことを考えた結果だろう。ミシェラは笑った。
「そうね。だから、明日結界を張るの、手伝ってね」
「それくらいはする」
家事関係では役に立たないからね、という言葉を、さすがにミシェラは飲みこんだ。
「ついでに、ニコールに少し、魔法に関する話をしてやってくれ。魔術は俺が教えるが、お前の話を聞いておいて損はないだろう」
「それくらいはいいけど」
年齢的には一歳しか違わないのだが、そんなミシェラがベテランみたいな言い方をしないでほしい。まあ、確かにミシェラとエルドレッドの扱う魔法や知識は少し異なるので、勉強にはなるだろうけれど。
「まあ、あと一か月もしたら社交シーズンも始まるし、王都を楽しみなさいな」
ミシェラの兄に呼ばれたと言う以上、社交界にも参加しなければならないだろう。やんごとない身分のものは大変だ。そう言うと、お前には言われたくない、と言い返されて、ミシェラは朗らかに笑った。
翌朝、エルドレッドは朝からうなっていた。
「……頭が痛い」
「二日酔いだね。私に釣られて飲むからよ」
文字通り頭を抱えるエルドレッドに、ミシェラは冷静に言った。彼の前に水を置く。
「ほら、水飲みな。私の力では、二日酔いは治せないからね」
「お前は元気だな……理不尽だ」
決して、エルドレッドも下戸なわけではないのだが、ミシェラが酒豪すぎるのだ。彼女はさらにヨーグルトにはちみつをかけて彼の前に出した。
「何かおなかに入れておかないよ、気持ち悪くなるわよ」
はちみつもヨーグルトも腸の働きを良くするので、いいと思ったのだ。まあ、酒の分解は肝機能の問題だけど。
「……ねえ。私たちは飲酒禁止?」
口を開いたのはクロワッサンをちぎっているエイミーだ。彼女は十七歳。
「エイミー、お酒飲んでもいいの?」
と病弱なエイミーに当然の疑問を投げかけたのはニコールだ。女の子たちといっしょくたにしてしまったが、彼女は二十歳である。
「……確かに、興味はあるけれど……」
とスープをすするユージェニーは十六歳。ミシェラは苦笑する。
「エイミーにも、一杯や二杯くらいなら止めないけどね。そもそも、医者としては十代の飲酒はあまり推奨できないのだけど……」
「お前、十五歳くらいで大酒のみじゃなかったか?」
エルドレッドから的確なツッコミが入って、「それね!」とミシェラはうなずく。
「だから強く言えないのよね」
医者の不養生と言うやつだろうか。ちょっと違うか。十五歳の時、ミシェラはまだ医者ではなかったし。
「……前から思っていたんですけど、ミシェラさんって何者なんですか」
「医者だね」
ニコールの疑問にミシェラが簡潔に答える。そう言う疑問ではなく、十五歳で大酒のみとはどういうことか、と言いたいのだろう。
「私がそれくらいのころは、戦争中でね。今では花の紋章戦争と呼ばれているかな」
十五年前に終結した海を挟んだ隣国との戦争。そのころに十代半ばだったと言えば、ミシェラの大体の年齢が導き出される。
「戦場では酒より水の方が貴重だからね」
「……お前の闇を見た感じだな」
「これが黒歴史と言うやつね」
ちょっと違うか。
「まあ、そのうち話してあげようか。私の過去の話は、魔法の根幹に関わるからね」
と、ミシェラははぐらかしてニコールの頭を撫でた。
「朝ごはんを食べたら、家の結界を張り直すけど、見学する?」
「します!」
どうやら、ニコールは魔法に対して熱心に学んでくれているようだ。しかし、その師匠はと言うと、二日酔いで手伝えないと言いだした。まあ、ミシェラもそこまで鬼ではないのでしばらく寝てなよ、と言うと自分も朝食を取り始めた。
朝食の片づけをした後、エルドレッドを残し、女性陣は庭に出た。小さな花壇があるだけのただの広い空間だけど。
「私のせい?」
エイミーがこそっと囁いてきた。ミシェラは自分より背の高い少女を見上げて微笑んだ。
「そうだね。人が増えたからね。寄ってくるものも増えるでしょうね」
「……ありがと」
はにかむようにエイミーは微笑んだ。ミシェラは手を伸ばして長身の少女の髪を撫でた。見た目はミシェラより大人びているほどだが、こういう顔をされるとまだこともだなぁと思う。
ミシェラは魔法の準備にかかった。銀色の杖を手に、つぶやくように詠唱を行う。彼女の足元に魔法陣が展開されていった。広がっていく魔法陣は家の敷地を覆った。
実のところ、魔法陣自体は不可視である。しかし、ここにいる三人の少女たちは魔力があるので、見えているだろう。
家を覆う結界を編み上げていく。通常、一人でこの敷地全体を覆うような結界は作れないのだが、ミシェラは魔力が桁違いなのである。大魔法として見る分には楽しいが、魔術師になるには参考にならないだろう。
「ニコール、わかる?」
「……何となく、おおわれているような気はします」
結界を張り終えた後に尋ねると、ニコールはそう答えた。彼女はなかなかセンスがよさそうだ。
「張ったばかりだからね。そのうち、わからなくなるわ」
「そういうものですか?」
「そういうものよ」
魔法は時間が経つにつれて感じられなくなる。弱まることもあり、その場合は魔法のかけ直しが必要になってくる。
バサッと、猛禽類が飛んできた。イヌワシのヴィヴィアンだ。ミシェラの使い魔である。まだ子供の使い魔は、ミシェラの伸ばした腕に停まる。
「どうかした?」
話すことはできないが、使い魔でありつながりがあるので、何となく伝わる。ミシェラは「あら」と声をあげた。
「お客様のようね。三人とも、中に入りましょうか」
ミシェラはユージェニーにヴィヴィアンを渡し、餌をやるように言った。エイミーが嬉しそうにヴィヴィアンを撫でているので、大丈夫だろう。ミシェラは玄関に向かった。エルドレッドは、リビングのソファで伸びていた。もうしばらくそっとしておこう。
「はーい」
玄関扉を開けると、近所の肉屋の店主だった。ミシェラは「おはよう」とあいさつをする。
「おはよう、先生。大変だ! リーガン川から死体が上がった!」
「……ほお」
ミシェラの反応はとても薄くて、肉屋の店主には不評であった。
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