75.ナイトメア
それは確かな魔法の波動だった。その波動が駆け抜けると、車両一面に念写の魔法陣が現れた。
「わお」
『な、なんだ!?』
ミシェラは感動の声をあげたが、ルーシ帝国の面々はそうはいかなかったらしい。いや、動揺が表に出ているのは工作員の男だけで、他五人の男女は表情を動かさないままだが。
「お前! 何をした!」
「いや、私じゃないけど……」
ミシェラが憤る工作員に答えていると、彼女の視界内でリンジーが動いた。工作員を捕らえようとしたのだろう。しかし、その前に近くにいる女性から攻撃をうけた。栗毛の女性だ。五人の中の紅一点でもある。そのままリンジーは後ろ手に捕らえられる。
「何してるの!」
「いや、すまんな。頼むから泣いてくれるなよ」
「夫婦そろって厄介な奴らだ!」
工作員がリンジーに銃を向け、引き金を引こうとした。
しかし、再び襲う魔法の波動。ミシェラは不意に、自分たちが先ほどまでいた木者の車両とは別の場所にいることに気が付いた。見る限り、ハイアット城の一室のような気がする。全員がぽかんとしているその隙に、ミシェラは工作員が持っている銃を撃ち落とした。リンジーを撃たれてはかなわない。
「ようこそ。夢と現実のはざまへ」
耳慣れない声だ。低めの男性の声。杖を持つ淡い茶髪の男性。瞳の色は濃紺だ。目を開いている姿を初めて見たが、『悪夢』ナイジェルである。
ナイジェルはあたりを見渡し、ミシェラに目を向けた。
「おい、小娘」
「……え、私?」
いや、確かにナイジェルから見たら『小娘』かもしれないが! 外見からしか判断できない人も、ミシェラを『小娘』とは呼ぶが。
「フォローしろ。お前らが何者かは知らんが、まず一応俺の友人を離してもらおうか」
一応って。強制力が働いたのか、栗毛の女性はリンジーを離す。いや、まだ乗客が人質に残っているけど。
「やあナイジェル。半世紀ぶり。もう少し丁寧に助けてほしかったけど……ああ、ちなみにその子は『旧き友』のミシェラ。私の妻と言うことになっている」
「お前も物好きだな」
「可愛いだろう?」
おっさんを通り越して爺さんも通り越しつつある二人を軽く睨み、ミシェラは尋ねた。
「自己紹介は後! ここってナイジェルの魔法の中ってことでいいの?」
「……偉く威勢がいいな。まあその通りだ。お前やリンジーが本気で破りに来なければ、この空間は壊れん」
それは丈夫だ。遠慮なく暴れられる。
「リンジー、人質は?」
しれっとこちらに来ているが、リンジーは乗客たちを見捨てたわけではない。魔法障壁が張られていた。
「存分に暴れておいで」
ひらひらと手を振るリンジーを思わず睨んだが、彼の言葉にたがわず、彼女は貨物車から調達してきた剣を持って暴れまわった。
△
食堂車の床に寝かせた乗客たちがうめき声をあげながら目を覚ましたのを見て、ミシェラは顔を覗き込んだ。ほっとしたように笑みを浮かべる。
「良かった。大丈夫ですか?」
「あ、ああ……しかし、何が」
そりゃあ目を覚ましたら自分が汽車の床で寝ていたら驚く。ミシェラはできるだけ気の弱そうなイメージを崩さないように言った。
「乗客の一人が外国の方で、精神干渉魔法を使ったようです。あ、大丈夫です。車掌さんが捕まえました」
実際に捕まえたのはミシェラであるが。男たちは見ているだけだった。ナイジェルの『夢』の魔法で構築された空間は優秀で、ミシェラが遠慮なく破壊したものは現実世界にまで影響しなかった。
人質を気にする必要がなければ、制圧するのはたやすかった。ナイジェルの能力で囲われたことで、逃げ場はない。一人で六人を相手取ることができる程度にはミシェラは強かった。きっと、ここにサイラスがいたら遠慮なく「化け物ですか」とか言うのだろう。失礼な。最近、ちょっと否定できないな、と思っているけど。
能力の性質を聞いた時に何となく察していたが、ナイジェルの夢に干渉する、と言う能力は、精神干渉魔法に起因する。この状況で乗客がぽかんとしたのは、ナイジェルが彼らの記憶をいじったからだ。
と言っても、認識を変えた、と言った方が近い。夢だ、と思わせたのだ。ナイジェルの得意分野らしい。そして、捕らえたルーシ帝国の工作員たちは彼の力で眠らされている。
それだけを行い、ナイジェルは汽車から飛び降りた。彼はここに存在しないはずの人だからだ。飛び降りる直前に消えたので、転移魔法でハイアット城にでも戻ったのだろう。おそらく。後で探してみよう。
彼と違って消えるわけにはいかないミシェラは、その肩書き通り医師として動くことにした。もっとも、もうすぐグランド・ノーランに到着するので、全員の状態の確認を行うだけだ。
全員体調に異常はないし、ナイジェルの魔法も良く効いているようだ。むしろ、ミシェラは医者だったのか、と驚かれた。何度も言うが、ミシェラは二十歳を越えているようには見えないので、そう言った意味で驚かれる。
汽車がグランド・ノーラン駅に到着した。すぐにルーシ帝国の工作員たちは待ち構えていた軍警察に引き渡された。それを横目に、ミシェラとリンジーは手をつないで汽車から降りる。
「気になるか?」
「……まあ、ちょっとね」
リンジーに問われてミシェラは肩をすくめた。気になることは気になるが、ここから先はミシェラの管轄外である。それに、せいぜい外交問題になるくらいだろう。ルーシ帝国の行いは誘拐に等しいが、その相手が『旧き友』と言うことで、アルビオン政府は彼らをそこまで責められない。国境も接しておらず、戦争になることもないだろう。
「あとで結果だけ教えてもらえばよい。それより、大丈夫か? 今回の相手はお前と相性が悪かったからな」
ルーシ帝国の工作員たちの話である。彼らのほとんどは生身の人間ではなく、人造人間……ホムンクルスだった。尤も、でき自体は微妙だったが。ミシェラが剣で切り裂けたくらいだ。戦力としては一定の期待はできるが、複雑な命令は理解できないだろう。
そして、こうした人造物は、ミシェラの破魔の力と相性が悪い。尤も、ミシェラの場合力で切り裂いてしまうので何とも言い難い面もある。
「それは平気。魔力自体はだいぶ削られたけど、戦ったとき、ナイジェルの魔法の中にいたし」
相性が悪いためにじりじりと魔力を削られている感じはしたが、それだけだ。回復できないほどではないし、ナイジェルの魔法領域圏内だったので、思ったより平気だった。
「と言うか、ナイジェルはどうして起きたんだろう。半世紀も眠ってたんでしょ」
何があったのかは知らないが、自分の能力で彼は永い眠りについていた。いや、いつかは起きる眠りではあるが、まさかこのタイミングで起きるとは。
「ああ、お前、瘴気を一掃するのに破魔の力を使っただろう。その余波を受けて目覚めたのだろうな」
「あー……」
なるほど。ミシェラがたたき起こしてしまったようだ。まあ、文句は今度会ったときに聞こう。何年後かになるかもしれないが。
「さて。どうやって帰る?」
と言っても、汽車かミシェラの転移魔法かのどちらかしか選択肢はないが。
「いや、まずジェンナのところに寄ってから帰ろう。私の杖ができている頃だろう」
「ああ……そう言えば、杖がまだだったね」
そう。リンジーは去年の夏に杖を失ってから、まだ新しい杖を手にしていなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
突然ですが、次で最終話。