74.汽車
魔法無効化能力者は、周囲の魔法を無効化してしまう。つまり、彼とは魔法で戦えないということ。なら、物理攻撃を行うだけだ。
ミシェラは銃を取り出すと、続けざまに引き金を引いた。着弾したが、ダメージを与えた様子はない。防弾チョッキでも着こんでいるらしい。
ミシェラはとっさに戦法を切り替える。すぐそばまで迫っていたドミトリーの攻撃をいなし、拳をその横っ面にめり込ませた。体格差のせいか、倒すには至らない。
さらに蹴り、手刀を叩き込んでいく。怒涛の攻撃だが、あまり効いているようには見えなかった。
ミシェラにも攻撃が行われる。ドミトリーは寡黙にミシェラの腕をつかみ、その貨物にたたきつけようとした。空中で体勢を立て直し、ミシェラは何とか貨物の上に着地する。
駄目だ。こいつはまともに戦っていては勝ち目がない。そう判断したミシェラは、魔法を外へと続く扉に向かって放った。荷物を搬入するための扉だ。ドミトリーに向けると魔法は無効化されるが、多少距離があれば魔法は発動する。魔法無効化能力としては、力が弱い方だろう。強い無効化能力を持つ者は、自分の周囲一キロには影響を与えると言われている。
開け放たれた扉から外の景色が垣間見える。流れる景色を確認した後、ミシェラは荷物を踏みつけ、壁を蹴り、ドミトリーの背後を取る。その間一秒にも満たない。勢いをつけたままその背中を蹴り飛ばす。攻撃が効いているのかはやはり不明であるが、少しずつドミトリーは動いて行く。扉の開け放たれた出入り口に向かって。
ドミトリーはそれに気づいたのか、ミシェラを払いのけようと手を大きく振りかぶった。予備動作の大きいそれを、ミシェラは難なくさけ、代わりに彼の蹴りを食らった。後ろに飛びのいて勢いを殺したが、それでも骨が折れたのではないかと言うほどの強さだった。見た目より丈夫なミシェラは、咳き込みながらも立ち上がった。
『……何なんだ、お前は』
ドミトリーが初めて口を開いた。少し不気味そうにミシェラを見ている。ルーシ語のそれを、ミシェラは理解していた。
『大きく分類するのであれば、人間に相違ないよ』
いかに丈夫な『旧き友』とはいえ、その根本は人間と同じだ。不老長寿ではあるが。
ルーシ語で答えたミシェラに、ドミトリーは驚いたようだがそれも一瞬だった。すぐに戦闘態勢に入り、攻撃を仕掛けてくる。今度は本気だ。
ドミトリーはミシェラよりも二回り以上大きい。体重は倍以上だろう。女性としては平均か、少し大きいくらいのミシェラだが、元騎士としては小柄だ。
本来なら生身の格闘戦を避けるべきだが、そうも言っていられない。結局ミシェラは応戦するしかないのだ。だが、力に関してはドミトリーの方が強い。当たり前だが!
ミシェラは開いた扉に駆け寄ると屋根に手をかけ、そのまま迫ってきたドミトリーの顔面を蹴りつける。その反動で屋根に上がった。自分でも汽車の屋根が好きだな、と思う。
ミシェラは上がってこようとするドミトリーの反応をうかがう。ミシェラを追おうとして来るだろうか。だが、屋根に上がろうとすればミシェラに蹴り落とされる。
ドミトリーが屋根に上がろうと手をかけた。ミシェラはすかさず蹴り落とそうとするが。
「っ!」
逆に足をつかまれ、振り落とされそうになった。ミシェラはあわてて屋根の突起をつかんで体を支えると、つかまれたのと逆の足で顔面に回し蹴りを加えた。今更であるが、絶対に今スカートの中が見えた。まあ、下にスラックスを履いているけど。
さらにうまくバランスを取って、ドミトリーの手にナイフを突き刺した。さすがに彼は手を放す。しかし、屋根には乗ってきた。
『じゃじゃ馬娘が!』
「いや、私、絶対お前と同世代だよ」
アルビオン語でつぶやいた。三十を少し過ぎたように見えるドミトリーは、ミシェラとそれほど年齢が変わらないはずだった。
進行方向に背を向けて立っているミシェラも、向かい合うように立っているドミトリーも、風にあおられながらも肢体がぶれない。風上にいるミシェラの方が有利には、見える。
向かい風をものともせず、ドミトリーがミシェラに攻撃を仕掛ける。ミシェラはドミトリーの手首をつかんだ。
「!」
「*+@※!」
古の言葉をつぶやき、ミシェラは体の位置をドミトリーと入れ替えると、そのまま彼を投げた。突然のわけのわからない言語と突飛な行動に、ドミトリーはあっけなく投げられた。汽車から落ち、線路脇の茂みに落ちるのが見えた。
「……まあ、死にはしないでしょ」
うまく受け身を取っていたし。ミシェラはそう結論づけると、自分は貨物車の中に戻った。中には誰もおらず、ナイジェルの体も残ったままだ。それに保護魔法をかけると、ミシェラは前方車両に向かって走る。
その途中で二等客室を通ったのだが、そこで異様な光景を目にした。
「何これ……!」
口元を覆って顔をしかめる。黒い物体が車両の中でうごめいていた。乗客はいるにはいるが、この物体の気に当てられたのか倒れている。動きが気持ち悪い。スライムのようだ。
ミシェラは空間から杖を取り出す。幸い、魔を払うのは得意だ。
「――――」
破魔の魔法がその黒い物体を吹き飛ばしていく。それは汽車全体に及び、やがて収束していった。黒い影はなくなり、ミシェラは倒れた乗客たちの容体を確認していく。忘れていたかもしれないが、彼女は医師である。
気を失っている以外は大丈夫そうだ。そう判断すると、彼女は再び前方車両へと向かう。そして、食堂車へたどり着いた。がらりと扉が開く。その瞬間、ミシェラは体を少し右にずらした。彼女の腕を銃弾がかすめた。
「動くな! 次は当てる!」
「……」
先ほどのルーシ帝国の工作員が乗客を人質にとっている。しかし、リンジーはひらひらと手を振っているし、コールリッジ侯爵は申し訳なさそうにミシェラを見た。乗客はミシェラから見て車両の奥側、つまり前方に集められ、その周囲を五人の男女が固めている。工作員の仲間だろうか。ミシェラに銃を向けているのは、先ほどの工作員だ。
「お前、ドミトリーはどうした」
「どうって、見ての通りでしょ」
倒さなければミシェラはここに来ない。銃を持った工作員は顔をしかめる。
「何者だ、お前」
「その言葉、そっくりそのままお返しするけど」
ルーシ帝国の人間なのはわかっているが、聞いてみた。周囲からしてみれば、ミシェラも正体不明であろうことは認める。
「……ま、まあいい。もうすぐ、グランド・ノーラン駅に到着する。おとなしくしていてくれよ。さもなければお前の旦那の頭を撃ちぬく」
と、彼はリンジーの頭を小突いた。リンジーはリンジーで、男を睥睨している。続いてミシェラを見て、「やり過ぎだ」という表情をする。
まあ、どちらにしろこれ以上ミシェラにはどうしようもない。いくらミシェラが強かろうと、この人数の人質を取られて、六人と戦うのは不可能だ。
「オーライ。わかったから、夫には何もしないで」
杖を持ったまま手を上げて降伏の意志を伝える。どちらにしろ、汽車に乗り込む前にリチャードに連絡を入れておいてので、グランド・ノーランには王国軍が待ち構えているはずだ。満足そうに工作員の男は微笑んだ。
その時である。
明らかな魔法が駆け抜けた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ミシェラさん、そろそろ強さが人知を超えている気がする。