73.汽車
「タイミング悪っ」
半分寝ぼけたまま話を聞いたミシェラであったが、話を聞き終えるころには完全に目を覚ましていた。いつもの口調で言ったミシェラであるが、リンジーが苦笑して言った。
「今は構わんが、人前では取り繕ってくれ」
「微妙な顔してたくせに、何言ってんの」
まあしかし、十代後半に見えるミシェラは少し気が弱そうな方が油断を誘えるだろう。それはわかる。昨日実行していたことだ。しかし、自分の性格と正反対なので、疲れるのである。
「あとで荷物検査がありそうだね」
恥じらいもなくリンジーの目の前でブラウスとスカートに着替えたミシェラは自分の持ち物に疑われそうなものは入っていないかと考える。うん、今回は大丈夫そうだ。医療道具なども持ってきていないし、剣も持っていない。杖は座標のずれたところに格納してある。
「ミシェラ、こっちにおいで。髪を結ってあげよう」
「あ、うん」
リンジーに手招きされ、彼の前に座る。リンジーは胸元にかかるほどの長さになった琥珀色の髪をブラシでとかし、編み込んでいく。昔から思っていたが、器用な男だ。
「リンジー、器用だよね」
「まあ自分の髪も長いからな。そう言えば聞いていなかったが、何故髪を切ったんだ?」
「今更聞く?」
と思ったが、一応答えることにした。
「ニヒルと戦ったときに半分燃えたんだ。残りはニヒルの副葬品にした。だから、去年の夏の終わりは肩より髪が短かったの」
「じゃあ大分伸びたのか。……そうか。お前の髪はあの男に持って行かれたわけだ……」
背後からかすかな冷気を感じで、ミシェラは顔をひきつらせた。髪を結われているので後ろを振り返れない。
「リ、リンジー?」
「ああ、ちょっと待ってくれ、ミシェラ。ほら、いいぞ」
ぱちん、とバレッタが止められ、リンジーがミシェラの肩をたたく。鏡で編み込まれた髪の毛を確認し、ミシェラは「ありがと」とリンジーに礼を言った。
朝食を取りに食堂車へ行く。みんなひそひそとうわさ話に興じているようだが、ミシェラはわれ関せずとばかりに朝食をとる。まあ、天然と言うことで。
不意に前方車両の方から怒鳴り声と悲鳴のような声が聞こえてきた。さすがに無視できずにミシェラはティーカップを置いて視線を向けた。リンジーも前方車両の方を注視している。
「もう任せておけないわ! あれはわたくしのお母様が陛下より賜った品なのよ!」
特等客室の上客らしい。ガラッと自分で扉を開き、食堂車に入ってきたのは三十代半ばほどの貴婦人だった。やばい、同世代の貴族だ。たぶん気づかれないとは思うが。気づかれたら他人の空似で押し通そう。
たぶん染めているのだと思うが、豪奢な金髪にエメラルドの瞳のなかなかの美人だった。うーん、見覚えがない……。
「わたくしのブローチを盗んだのは誰!? 早く返しなさい!!」
こんなに高圧的では、出るものも出てこないのではと思ったが、藪蛇をつつかないように黙っておく。
ほとんど全員がびくりと体をこわばらせたのに対し、ミシェラとリンジーがきょとんとしたような表情をしていたからだろうか。彼女はこちらに向かってきた。
「あなたたち、知っていることがあるのなら言いなさい!」
テーブルをどん、とたたかれてミシェラはさすがにリンジーと目を見合わせた。視線で黙っているように言われたので、ミシェラは口を開かず、リンジーが代わりに言った。
「すみません……ブローチ、でしたっけ。申し訳ありませんけど、知っていることはありません」
リンジーがきっぱりと言うと、女性はさらに怒鳴ろうと口を開いたが、その前に彼女の肩にぽん、と手が置かれた。
「それくらいにしなさい、チェルシー。お二人とも、申し訳ない……」
眼鏡をかけた四十歳前後の男性がミシェラを見て顔をこわばらせる。ミシェラは無表情で唇に人差し指を当てた。静かに、と言う意味だ。
「しかし、コールリッジ伯爵。この二人は、貨物車に入りこもうとしておりまして……」
昨日声をかけてきた車掌だ。確かに動きが怪しかったのは認めるが、ここで言われるほどではないと思う。
とっさに、ミシェラは椅子の上に立ち上がった。奇行にリンジーは目を細め、侯爵は呆れたような表情になる。ミシェラは乗客の人数を確認し、全員がここにいるわけではないことを把握した。それはそうだ。この汽車の乗客数は多い。
「リンジー、逃げられるよ。私は外から行く。リンジーは中からお願い。セオドア、この車両から人を出さないで」
ミシェラは窓を開けると、窓枠に足をかける。そのまま身軽に汽車の屋根の上に飛び乗った。そのまま後方の貨物車に向かって走る。『旧き友』であるせいもあるが、彼女はかなり身体能力が高い。決して走りやすくはないだろう女性用ブーツで不安定な走行中の汽車の上を走る。
連結部分に飛び降りると鍵を魔法で破壊した。乗せられている荷物をあさる。形がしっかりしているし、重さもあるので仕方がないことだが、大きな箱に偽装された棺を発見した。上の荷物をよけて棺を開く。本当に中で男性が眠っていて、わかっていたはずなのにミシェラはうろたえた。
淡い茶髪の男性だ。目を閉じていても恐ろしく整った顔をしているのがわかる。基本的に、『旧き友』は美形揃いなのだ。ミシェラは微妙なところだが。不美人ではない。
「しまった……」
ここから先を考えていなかった。汽車から投げ落とそうか。いや、箱ごと一人で持ち上げるのは無理だし、さすがに『旧き友』といえど、高速で走る汽車から投げ落とされれば無傷では済まない。
本来ならこんなに悩む必要はなかった。最寄駅でこっそりおろすなり、ミシェラが転移魔法を使うなりすれば簡単に持ち出せるからだ。しかし、現在の状況で乗客たちを置いて行くのは気が引ける。中から向かっていると思われるリンジーが現れないのは、こちらに来る気がないからか足止めされているからかどちらだろう。
汽車が走る音とは別の音がして、ミシェラは振り返った。
「そこから離れてもらおうか、お嬢さん」
声をかけてきたのは身なりの良い男性だった。斜め後ろに体格の良い男性が控えていて、こちらも良い身なりをしている。一件アルビオン人とそう変わらないが、アルビオン語の発音がきれいすぎた。
「……理由を聞いてもいいもの?」
「理由だと? それは私の荷物だ」
「この人が? 彼が行くと言ったの? あなた、人買いだというわけ?」
すらすらとミシェラも煽る言葉が出てくる。手前の男性が言った。
「よくしゃべる娘だな。いいからどけ。何やら嗅ぎまわっているようだが、今なら見逃してやる」
それくらいで折れるようなミシェラではない。彼女は頑として動かない。しばらくにらみ合いが続き、男の方が先に動いた。
「どけと言っているだろう!」
男が銃を抜き、ミシェラに向かって引き金を引いた。ミシェラは微動だにせず、無感動に自分の頬を傷つけた銃弾を視線だけで追った。
「悪いけど、彼を連れて行かせるわけにはいかないのでね」
さすがに、男性たちもミシェラが奪還任務を担っていることに気が付いたようだ。手前の男性が振り返り、後ろの男性に言った。
『ドミトリー、多少手荒でも構わん。あの娘を捕らえろ。できれば連れて帰りたい。陛下は気の強い女性がお好きだからな』
「……最低」
ルーシ語で言われた言葉だが、それなりに教養のあるミシェラ。理解していた。ルーシ皇帝の嗜好に顔をしかめる。
ドミトリーと呼ばれた男性が前に出てくる。ミシェラは向かってくる彼に魔法を放つ。それが、彼にあたる前にかき消えた。
「うそぉ!」
さすがにびっくりした。初めて会うわけではないが、珍しい魔法無効化能力者だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
なかなか終わらん……。