7.ミシェラ・フランセス・シャロン
今日からミシェラ視点。
背中まである琥珀色の髪を束ね、眼鏡をかけたその人物は、診療鞄を持って帰路を急いでいた。いや、急いで帰っても家には誰もいないのだけど。
ミシェラ・フランセス・シャロンは年齢不詳の女医である。いや、知っている人は彼女の年齢くらい知っているのだが、初見の人は必ず彼女を見て首をかしげる。
医者と言うのであれば、少なくとも二十代半ばほどに見えるはずである。しかし、彼女はどう多く見積もっても二十歳を越えているように見えなかった。彼女に年齢を尋ねた患者もいないわけではないが、いつも適当にはぐらかされている。
永遠の若さと美貌と言うのは、老若男女貴賤を問わず永遠の憧れであるが、いい年をして『十代後半に見える』と言うのはいささか不条理なものを感じる。これは、実際に経験した者にしかわからないだろうけど。
とにかく、若い女性……と言うか、少女に見えると言うことで信用されない。中身はおばさんです、と言ったところで何言ってるの、となるわけだ。生年月日を言ってみても、姉や母の生年月日を言っているのではないかと疑われる始末だ。
と言うわけで、ミシェラは年齢不詳で通していた。
ミシェラが王都で暮らしている家は、大通りから一本入った高級住宅街にある。貴族街程とは言わないが、資産家が集まるあたりで治安は良い。家もそこそこ大きいが、この家はミシェラの所有ではなかった。ただ、暮らしている家ではある。
「ただいま~」
暢気に声をあげたミシェラは、誰もいないはずの家の奥から「おかえりなさーい」と言う声が聞こえてきて「は?」と声をあげた。パタパタと小走りにやってきて、新妻さながらにミシェラに抱き着いたのはユージェニーであった。ミシェラは驚きながらもユージェニーを抱き留める。
「……は?」
もう一度声をあげた。ユージェニーはミシェラから離れるともう一度「お帰りなさい」と笑った。なので、ミシェラも「ただいま」ととりあえず返す。
「え、なんで? なんでここにいるの」
「あたし、言ったわ。すぐに会えるって」
にこーっとユージェニーが笑う。慕われるのは悪い気はしないが、意味が分からない。
「いや、確かに言っていたけどね……」
ミシェラの友人の妹にあたるユージェニー・アーミテイジには予知能力がある。コントロールはできないし、力も弱い。だが、よく当たるのだ。
ユージェニーたちと同居している病弱な少女エイミー・エヴァレッドの診察に行き、巻き込まれたローガン男爵家の問題。それを解決して帰るとき、ユージェニーは言ったのだ。
『すぐに会えると思うわ』
ミシェラはてっきり、またエイミーが体調を崩すのかと思ったのだが、そうではなかった。彼女らが王都に来たのだ。
「……まあいいわ。ジェイン、あなたのお兄様は一緒?」
「うん。エイミーもニコールも一緒だよ」
ユージェニーがミシェラと手をつないで言った。ローガン男爵家から預かってきたニコールとも仲良くできているようで、よかった。ユージェニーは人見知りなのだが。
ユージェニーの兄エルドレッドはリビングでくつろいでいた。ミシェラを見て申し訳程度に「お帰り」とだけ言った。
「ただいま。っていうか、来るなら来るって言いなさいよ」
「言ったぞ。家主にな」
先刻も言ったが、この家の所有者はミシェラではない。どうやら、持ち主の方に連絡が行っているようだった。いや、実際に住んでいる人間にも連絡が欲しかったが。
「リンジーは領地なんだけど……まあいいわ」
家主がいいと言っているのなら、ミシェラも反対する気はない。すべて「まあいい」で済ませたミシェラは、一度私室に戻って部屋着に着替え、リビングに戻った。ユージェニーに紅茶とコーヒーどちらがいいか、と問われて紅茶と答える。
「で、あなたが王都に出てくるなんてね。四年ぶり? 何があったのかしら、と聞く権利はあるわよね」
ミシェラはユージェニーが淹れた紅茶を飲み、向かい合うエルドレッドに尋ねた。外出時にかけている眼鏡は伊達眼鏡なので、ここではかけていなかった。
「お前の兄に呼ばれた」
エルドレッドの短い答えに、ミシェラはすっと表情を消した。目が細められる。
「どちらの?」
「両方だ」
ミシェラはため息をついた。ソファの背もたれに身を任せる。
「これは内戦になるわね……」
「お前が出て行けば、収まるんじゃないか?」
エルドレッドの無責任な言葉に、ミシェラは「そんなに簡単な問題じゃないでしょうよ」とため息をついた。
「ミシェラは、どこにいても巻き込まれるわ。多くの大切なものを失って、最悪より少しましなものを手にするわ」
ユージェニーの静かな言葉に、ミシェラは一度目を閉じ、開いた時には笑みがひらめいた。
「ジェインに言われるのであれば、そうなのでしょうね。長い人生だわ。私はこれからたくさんのものを失うでしょう。その第一歩と言うわけね」
ユージェニーの予知は、高確率で当たる。彼女を知った魔術師が、「こんなに精度の高い予知能力は初めて見た」と言っていたから、相当なのだろう。
だが、それくらいは予知能力などないミシェラでも、何となくわかる。彼女は当事者たちに近すぎるから、失うものも大きいだろう。
「……その時、俺たちも無関係ではいられないと言うことか」
「あんたはね。女の子たちは私が保護してもいいわ」
「どちらが安全か、微妙なところだな」
もっともな切り返しに、ミシェラも肩を竦めるしかない。
ひとまず不穏な会話を終え、彼らが秋の社交シーズン終了まで滞在予定、つまり、約半年の滞在期間であることを確認すると、ミシェラはせっかく来たのだから、とエイミーとニコールの診察をすることにした。一応、家にも診察室はあるのだ。
「その後、体調はどう?」
「うん、悪くないよ。あれから発作も起こして無いし」
「まあ、まだ前の診察から二週間だからね」
エイミーの小健康状態は体質的ないものなので、ひと月に一回の診察にとどめているのだ。もちろん、体調を崩した時などには往診に行っていたが。
肺の音も聞いて、問題なしと判断する。続いてニコールを呼んで目の前に座らせた。診察用のベッドに腰掛けて、エイミーがそれを眺めている。
エイミーの場合は医師としての診察であったが、ニコールの場合は魔術師として見なければならない。
「うん、だいぶ呪いが薄まってきているわね。エルもちゃんとやってるのね」
疑っているわけではなく、さすがだな、と思ったのである。ニコールが顔をしかめた。
「あまり変わった気がしないのですけど……」
と、ニコールはうろこ状の自分の腕を眺める。ミシェラは不安だろうな、と重い穏やかに言った。
「そうだね。見た目上はね。呪術自体は解除されているから、ゆっくり引き離していくだけなのだけど、あとひと月はかかるわね」
「ひと月……」
ニコールががっくりした様子を見せた。ミシェラは自分より年上に見える娘の頭を撫でた。
「不安だろうけど、あとひと月だけ我慢して。それと、魔術の勉強は進んでる?」
「あ、はい。一応……まだ基礎的なことだけらしいですが」
「まだ二週間だからね。そんなものでしょう」
ミシェラも、魔法を覚えるには時間がかかった。いまだに勉強中だ。医術の研究に、能力の大半を割いているせいもある。
「ちゃんとやってるだけ偉いよ。私は途中であきらめたからね」
しれっといったエイミーであるが、彼女も一応基礎的なことはできている。魔法で自身の命を補強している面があるからだ。
「でも、エイミーもわかってるじゃない。あたしに教えてくれたでしょう?」
「まあね。でも、そこでやめちゃった。私は体を動かす方が好き」
「お前は体が弱いから、あまり急激な運動をしない方がいいんだけどね」
ミシェラは苦笑する。少し運動した方がいいと言うのは事実であるが、エイミーの運動量は「ちょっとした運動」の域を越えているのである。
「わかってはいるんだけど、難しいよね」
などと鹿爪らしく言うので、ミシェラもニコールも笑ってしまった。
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