62.リンジーとミシェラ
いつの間にか、王位を争った戦争の影は遠くなり、冬が来た。もうすぐ年末、生誕祭である。四か月以上たつが、やはりリンジーは目を覚まさなかった。
『旧き友』は、眠り続けたからと言って痩せこけたり、体力が落ちたりすることは無い。眠り続ける限り、生き続ける。実際に、半世紀くらい眠り続けている『旧き友』がいるそうだ。
ミシェラはリンジーの白い頬を撫でる。それから指先でつついた。
「ねえ、そろそろ目を覚ましてもいいんじゃないの。……さみしいよ」
実際にリンジーに聞かれていたら憤死できると思う。きっと彼はからかって、からかい倒して、最後に抱きしめてくれるのに。
魔力不足から昏睡状態に陥り、そのまま目を覚まさないリンジー。ミシェラにとって、師であり、父であり、兄であり、恋人でもあった男。ここに夫を加えてもいいのかもしれない。
ミシェラはベッドに両腕を置くとその上に自分の頭を乗せた。間近でリンジーの顔を眺めるが。
「この距離に耐えられるとは……」
腹立たしいほどの美貌である。どちらかと言うと整っている方ではあるが、ミシェラは美貌と言うほどではない。
リンジー・クラレンスは、ミシェラ・フランセス・シャロンのように本名ではない。彼はもともと、アルビオンの貴族、バートレット伯爵家の出身らしい。二十歳すぎで一度結婚したが、なかなか子供ができなかった。五年経っても子供ができず、調べてみれば、リンジーは『旧き友』としての力を持っていた。子供もできないはずである。
結局、彼は離縁し、『旧き友』に師事した。七十年近く前の話である。ミシェラはこの話を、彼と旅をしている間に聞いた。懐かしい思い出である。
魔力は回復してきている。と言っても、まだ三割ほどだろうか。やはり、起きているミシェラの方が魔力の回復は早く、リンジーはもう少しかかりそうである。
ノックがあった。クラリッサが顔をのぞかせる。
「ミシェラ、患者さん。サイラスが呼んでいるわ」
「ああ、わかった」
ミシェラは立ち上がると、最後にリンジーの顔を見て微笑み、部屋を出た。
この時期になると、毎年流感患者が多くやってくる。そんなわけで、ミシェラの診療所は今日も繁盛していた。
「……本当は繁盛しない方がいいんだけど」
「口動かす暇あったら手ぇ動かしてくださいよ」
薬を用意するサイラスのつっこみを受けながら、ミシェラは次の患者を診察する。ただの風邪や、怪我をしたという人もいたが、十人以上が流感だった。
「お疲れ様。サイラスも手を洗ってうがいして、消毒しておきなさいよ」
と、自分も手を洗いながらミシェラは言う。『旧き友』は普通に風邪を引くが、風を引いたからと言って死ぬことは無い。基本的に体が丈夫なのだ。しかし、サイラスたちは違う。風邪をこじらせてそのまま、と言う人は珍しくないのだ。特に今は小さな子供や体の弱いエイミーを預かっているので、特に気を付けている。ミシェラが病原菌を持ちこんでしまっては元も子もないので、消毒は大事だ。
「お疲れ様。クランペットを焼いてるんだけど、二人も食べます?」
フィオナに件のクランペットを与えていたニコールが尋ねた。どうやら、ユージェニーとクラリッサが焼いているようだ。いい香りがする。
「じゃあもらおうか」
「わかりました。持ってきますね」
キッチンに駆け戻っていくニコールを眺めながら、ミシェラはフィオナの向かい側に座った。フィオナの隣にはエイミーがいて、あれこれとフィオナの世話を焼いている。体調を崩しがちな彼女だが、今のところ、元気そうだ。
しばらくして、ニコールがミシェラとサイラスにクランペットを持ってきた。後からユージェニーとクラリッサが全員分のクランペットを用意してきたので、みんなでおやつタイムになった。
「ミシェラ。明日、たぶん雪が降るよ」
「もうそんな時期か。早いものだね」
ユージェニーが言うのなら、確かに雪が降るのだろう。馬車のスリップ事故に注意だ。まあ、ミシェラたちが気を付けることではないけど。
この国は雪はあまり降らない。近くを温かい海流が流れているので、緯度の割に温暖なのだ。それに、降ったとしても積もりにくい。
「ミシェラさんのうちでは生誕祭のお祝いはするんですか?」
ニコールが尋ねた。ミシェラは「するよ」と紅茶を飲みながらうなずいた。ニコールは少し驚いたようだ。
「……てっきり、信仰が違うのかなって」
「まあ、『旧き友』は神の祝福とも言われるけど、私自身はそこまでこだわらないよ」
「師匠、結構リアリストですよね」
サイラスが肩をすくめて言った。ミシェラはフォークを手に取り、言った。
「そもそも、生誕祭も外から入ってきた行事だからね。収穫祭とかは、アルビオンにもともとあった祭日と融合したものだけど」
その場の全員が「へえ~」と声をあげた。
「ミシェラ、物知りね」
「物知りと言うか、たまたま知っているだけだよ。人生が長いからと言って、怠けているところも多いから」
しれっとミシェラは言った。魔法の勉強などがそうだ。ちなみにこのままリンジーが目覚めなければ、ミシェラの魔法の勉強はそこで終わりになってしまう。
ユージェニーやニコールが来てから、料理は彼女らの仕事になっている。しかし、もともとはミシェラが自分でやっていた。たまに、ユージェニーやエイミーからミートパイが食べたい、などとせがまれることもある。
そんな彼女は、生誕祭に向けてプディングを作っていた。その様子を、フィオナがじーっと眺めている。
「生誕祭に食べるの?」
「そうだよ。本当は、一か月以上寝かせておくものなんだけど」
「寝かせるって? プディングが寝るの?」
きょとんとしたフィオナの発言に、ミシェラは苦笑した。
「うーん……味がなじむように保存しておく、とでも言えばいいのかな」
「ふーん……」
わかったのかわからなかったのか、微妙な反応である。他にも、当日はミンスパイなどのお菓子を大量生産する予定である。多少は日持ちするので、生誕祭後もしばらく楽しめるだろう。また、王太子ジェイムズが突撃をかけてくる可能性もある。
そんな失礼なことを考えていたからかわからないが、宮殿からお呼びがかかった。今日も、ナイツ・オブ・ラウンド第三席フレドリックが迎えに来た。ジェイムズもそうだが、たぶん彼も、クラリッサとフィオナが普通に過ごせているか見に来ているのだろう。ただ、彼が二人のことを知っているとは限らないが。
「ナイツ・オブ・ラウンドを迎えに寄こすなって言わなかったっけ」
異母兄でもある国王に対面した瞬間、ミシェラはそう言った。同行者であるサイラスが「師匠」と彼女の服の袖を引っ張る。
そして、国王リチャードと言えば、「そう言えば聞いた気もするな」とあっけらかんとしている。悪びれる様子はない。
「まあいいけど……それで、今日は何?」
相手は国王であるが、ミシェラに遠慮はない。何しろ、丁寧に接しようものなら「違和感がある」などと言いだしてくるような兄なのだ。
「ああ……娘が熱を出してな。どうも流感っぽいんだが、男の医者には診られたくないって言って」
「ああ、たまにいるよね」
リチャードの娘、つまり王女は十代半ばだったか。クラリッサより年上だったと思うが、思春期なのだろう。
「了解した。サイラスはここにいなさい」
「はい……って、え!?」
サイラスが驚きの表情でリチャードを見る。その顔が緊張に蒼ざめるのを見たが、ミシェラは無情にも王女がいる寝室の方へ向かっていった。後でちゃんと回収するから、頑張れ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
何気に、リンジーの話をするのは初めてかも。本人いないけど。