57.ミシェラ
そこにいたのは、三十歳前後と見える女性だった。このミシェラの領内に住む女性だ。フィオナより少し年下と見える男の子と、小さな赤ん坊を連れている。
「こんにちは、ヘレナ。お散歩?」
「はい……ほら、ご挨拶なさい。領主様の奥さまよ」
「……こんにちは」
男の子は母親に隠れるようにして挨拶をした。ミシェラは苦笑する。
「シリルかい? 少し見ない間に大きくなったね」
「当然ですわ。最後にお目にかかってから、五年も経っているんですから」
ヘレナに苦笑され、ミシェラは肩をすくめた。やはり、少し感覚がおかしいようだ。
「奥様こそ……お子さんですか?」
「まあそんなようなものだよ」
ミシェラが適当に受け流そうとすると、クラリッサがミシェラをちょっと睨んだ。気にくわないが、ミシェラの子供とした方が詮索されないとわかっているのだろう。
ミシェラの言い方にも含むものがあったが、ヘレナはそれ以上はツッコんでこなかった。そこそこ長い付き合いなので、ミシェラの性格も心得ているのだろう。
「お久しぶりですね。というか、お変わりなくお若いですね。十代のお子さんがいるのに……」
ヘレナはちょっと恨みがましくミシェラを見た。彼女はミシェラが同世代だと知っているが、出会ったころから外見に変化のない彼女を、こうして睨みながらも受け入れてくれている。ありがたい話だ。
「ねえ母さん。遊んできていい?」
シリルがヘレナに訴える。どうやら、フィオナと遊びに行きたいようだ。ヘレナはミシェラを見る。
「フィー、シリル。ちゃんとクララの言うことを聞くんだよ」
「うん!」
フィオナは勢い良くうなずき、シリルと手をつないで走って行った。自分より年下の子を構えてうれしいのかもしれない。クラリッサはさすがにこの二人を野放しに出来ないのでついて行く。面倒見が良いことだ。
「帰ってきたんですね」
「まあ、しばらく滞在してから、また王都に戻るけど」
ミシェラは肩をすくめてそう答えると、ヘレナが抱えている赤ん坊を見る。
「可愛いね。何か月?」
「半年くらいでしょうか。女の子で、アビーと名付けました」
「アビーね」
頬をつつくときゃっきゃと笑った。かわいい。
「教会で祝福を受けたと思うけど、私からもいいかい?」
「ぜひ」
ヘレナがうなずいたので、ミシェラはアビーの小さな額に人差し指と中指をそっと当てた。
「前途ある命に祝福を。優しく、強く、そして健やかに。生まれながらに力を持っている。あなたは自由で、何にだってなれるだろう」
破魔の力を持つミシェラの祝福は、悪しきものや病を払う。少しは役に立つだろう……たぶん。クラリッサやフィオナが生まれた時も、ミシェラはその破魔の力を分け与えた。
「おーい、三人とも。ちょっと休憩しよう」
ミシェラが呼ぶと、フィオナとシリルが走って戻ってきた。クラリッサは疲れた顔でその後をついてくる。
「疲れてるね、クララ」
「元気すぎるのよ……」
クラリッサにマドレーヌを渡すと、彼女はぱくりとかじった。
「……おいしい」
「帰る前に、レシピを聞いておきなよ」
「そうする」
何となく、クラリッサともコミュニケーションが取れるようになってきた。ミシェラはぽろぽろと菓子屑を落としてしまったフィオナの口元をぬぐう。クラリッサが妹を見て呆れた。
「フィー。もうちょっと落ち着いて食べなさいよ」
「うん」
相変わらず、返事はよかった。
「そう言えば、奥様、ご存知ですか?」
「何を?」
首をかしげるミシェラに、ヘレナは言った。
「隣の町のことなんですけど、魔物が小さな子供や赤ん坊を襲っているんですって」
「……それ、いつの話?」
「噂になり始めたのは半月くらい前でしょうか……昨日も一人、四歳の子が魔物に襲われたって」
小さな子のいるヘレナは怖いのだろう。基本的に、ミシェラの領地であるウィナンドには、そうした魔物は入ってこられないのだが。ミシェラの破魔の力が働いているからだ。
ミシェラの領地はそれほど広くない。つまり、隣町は別の貴族の領地と言うことになる。
「へえ……軍警察は動いてるの?」
「みたいだけれど……その、領主様があまりいい顔をしないらしくて」
「ああ……隣の領主って誰だっけ」
ミシェラが思い出そうと首をひねると、隣のクラリッサから返答があった。
「ギャラガー伯爵ね。現在の当主はクリフォードっていう四十代半ばの脂ぎったおっさんよ」
「いろいろ突っ込みたいところはあるけど、さすがだね、クララ」
その言い回しをどこで覚えたのか非常に気になるのだが、誰の影響だろう。もしかして、父親のジョージだろうか。まあいいけど。
「これくらい当然よ」
つんとしてクラリッサは答える。ミシェラはそんな彼女の頭を撫でた。やはり、振り払われたが。ヘレナが「反抗期ですか?」と微笑む。
「うーん……聞いた以上は、放っておけないんだよね……」
ミシェラの性格的にも、立場的にも。『旧き友』は中立で、人々の安寧を守る。らしい。たぶん。今度、誰かにあったら聞いておこう。
「ねえ」
クラリッサがミシェラの服の袖を引っ張る。ミシェラはクラリッサを見下ろした。
「ん?」
「行くんでしょ。私も連れて行って」
「……」
思わぬ主張に、ミシェラは沈黙した。偵察に行くにしても、クラリッサとフィオナは置いて行くつもりだった。この領地内であればミシェラの破魔の力が働いているし、ウィナンド城にいれば、シルキーのグウェンが護ってくれる。
叔母と姪はにらみ合う。結局、折れたのはミシェラだった。
「わかった。いいよ。でも、私の言うことに従うこと。そうじゃないと連れて行かないよ。いいね?」
「わかったわ」
クラリッサは物事の最低ラインをわかっている。まあ、ミシェラが押しに弱いだけかもしれないけど。
散歩に来たのだというヘレナには、アミュレットとしてミシェラが身に着けていたネックレスを渡した。安物だし、急ごしらえだが、無いよりましだ。何より、破魔の力を持つミシェラに守られているという安心感がある。
「……ミシェラの力は、悪徳商法ができそうね」
「まあ、魔法なんてそんなのばかりだよ。今渡したのだって気休めだけど、無いよりはましなはずだよ」
ヘレナと別れて城への道を歩くクラリッサとミシェラは、そんな会話をする。フィオナは、遊び疲れて眠っていて、ミシェラが抱き上げていた。
「……ヘレナさんはミシェラを、奥様って呼んでいたわね」
クラリッサの指摘に、ミシェラは「ああ」とうなずいた。そうなのだ。
「この領地の人、何故かみんな、リンジーが領主で私がその妻だと思ってるんだよね。面倒だからそのままにしてあるんだけど」
「それ、絶対にミシェラが領地にあまり帰ってこないからだわ」
「おや、鋭いご指摘だね」
そう言って笑うと、つられるようにクラリッサも笑った。が、すぐにはっとして顔を引き締める。そんなクラリッサを見て、ミシェラは言う。
「……そろそろ、ほだされてもいいんじゃない?」
「絶対に嫌!」
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