55.領地
「思うんだが、エイダンは叔母上が好きだったんじゃないか」
いつも通りふらりとやってきたジェイムズとチェスをしていたミシェラは、そんなことを言われて顔をあげた。駒を動かしてから口を開く。
「そうだとしても、だからなんだって言うの」
「いや、私は彼の気持ちが少しわかるということだ。ミシェラが叔母だと知った時の衝撃がわかるか?」
「知らん」
ミシェラにとって、ジェイムズははじめから甥っ子である。
「そんなことを言っているが、お前、ジェインに縁談申し込んでるんだろ」
「ああ。けど、彼女はこれくらいで気を悪くするような料簡の狭い人じゃないだろ」
「……まあ、そうだけど」
そう言うところがちょっと腹が立つのである。父親よりは人間味があるが、ジェイムズはリチャードの息子なのだな、としみじみ思う。
三日前、イザドラとエイダンはロンディニウムを後にした。イザドラはエイダンに歩けるようになる方法を説明したが、結局、彼は選ぶことができなかった。ミシェラは言った通りに手紙を書き、イザドラに持たせた。
どちらを選ぶか。どちらも選ばないのか。それはエイダンの自由である。中途半端な状態で帰してしまって申し訳ない面もあるが、あれ以上はミシェラの力が及ばないのだ。
ジェイムズにチェックメイトをかけられて、ゲームが終了する。戦術家であることとチェスの名人であることは別の問題である。もっとも、ミシェラも弱いわけではないが。
そこに、すっと大きなオオカミが姿を現した。すり寄ってきた使い魔のギャレットの首を無意識になでる。
「お帰り、ギャレット」
「ああ、ただいま。あの二人は無事にアルスター行の船の乗り込んだ」
「そう。ありがとう」
ギャレットにイザドラとエイダンの見送りをお願いしていたのだ。護衛ともいう。イザドラもエイダンも大きなもふもふしたギャレットを気に入り、しきりに撫でていた。使い魔なので、本物の動物のようにかんだりしないのがいいらしい。
ミシェラはギャレットにマドレーヌを食べさせた。本物の狼に与えるわけにはいかないが、使い魔であるギャレットは何でも食べる。甘いものが好きだ。
「あ、ギャレット!」
キッチンで昼食を作るのを手伝っていたフィオナがリビングにやってきてギャレットに抱き着いた。彼女もギャレットが好きなのだ。ミシェラはギャレットにすりすりしているフィオナの頭を撫でた。そして、ギャレットの頭を軽くたたく。
「お前は顔がゆるんでるよ」
「ミシェラはリンジーに似てきたな」
低い声でそんなことを言われてミシェラはギャレットを見下ろした。ジェイムズが「夫婦は似てくるっていうもんな」と一人納得している。
「実際のところ、どうなんだ? お前とリンジーは夫婦ってことでいいんだよな」
「……この否定も肯定もしがたい感じだね」
婚姻届は出していないから、事実婚と言うことになるのだろうか。実際に夫婦か、と聞かれると「うーん」となるミシェラだが、最近は面倒くさいので夫婦でいいかな、と思っている。
「あのー、お昼ごはんできたよ」
ひょこっと顔をのぞかせたのはユージェニーだ。彼女はジェイムズに目を向ける。
「ジムさんも食べて行きますか?」
「では、ご相伴にあずかろう」
迷わずにそう答えた。宮殿で心配されていないだろうか、と思わないでもないが、今まで何も言われたことは無いのでスルーしておく。たぶん、ミシェラを信用してのことだと思われるので、責任重大だ。
ミシェラはふと思い出してジェイムズに言った。
「そう言えばジム。忘れないうちに行っておくけど、雪が積もる前に私、一度領地に行ってくるから。フラッと来るなよ」
「……領地?」
首をかしげたのはニコールとサイラスだ。そう言えば、この二人は知らないのか。
「ウィナンドに領地があるんだ。そんなに大きくないけど」
「ウィナンドって、いわゆる湖水地方ですよね。いいなぁ」
ニコールが言った。誰も、領地があることには突っ込まないらしい。
「あ、でも、ジェインたちと会ったのはアスターじゃなかった?」
「? うん」
ユージェニーがうなずく。確かに、エルドレッドたちに提供した家はエリン地方にある。ニコールの実家もその方面にあった。
「あの辺りは別の『旧き友』の領地でね。もう死んでるけど。今は王領地だよ」
「ああ……」
ニコールはうなずいた。リンジーが言う『領地』はミシェラが所有しているウィナンドになるので、サイラスはそのあたりで拾われてきたと思われる。
「私もついて行っては駄目か?」
「駄目に決まってるだろ」
反射的にミシェラはジェイムズにツッコミを入れた。さすがにジェイムズを連れて行くことはできない。
「一週間くらいですぐ帰ってくるつもり。サイラスたちもお残りだからね」
「あ、僕も置いて行かれるんですね……」
連れて行ってもいいかな、と思わないでもないが、ミシェラがいない間にサイラスには診療所の店番をしてほしいのだ。弟子がいるというのは、こういう時良い。
「一人で行くのか?」
エイミーが尋ねる。ミシェラは「クララとフィーは連れて行くつもり」と答える。今はミシェラがいないところに長期間置いて行くことはできない。
「……師匠の側にいると余計危険な気がするのは僕だけだろうか」
「……完全には否定できないけど、大丈夫だよ」
たぶん。ミシェラが無駄に好戦的なのが危ない原因なので、彼女が護る方に専念すれば、二人くらいなら大丈夫だろう。
「今度は一緒に連れて行ってください」
ニコールは並々ならぬ関心があるようで、熱心にミシェラにそう言った。まあ、今は無理でも。
「……五年後くらいなら」
「何故五年後」
「むしろ、そのころにはニコールは新婚旅行に行くんじゃないか」
エイミーとジェイムズがツッコミを入れてきた。この二人、何となく似ているかもしれない。
△
勝手に領地までクラリッサとフィオナを連れて行くことにしたミシェラであるが、二人は割と素直についてきた。観光地にもなっている場所だ。やたらと来たがったニコールと同じように、来たかったのかもしれない。
さすがに、サイラスたちだけ残すことはできずに、ギャレットとヴィヴィアンも置いてきた。そもそもギャレットはリンジーの使い魔であるし、ヴィヴィアンはミシェラが呼べばすぐに姿を現す。
「わー、すごい綺麗!」
「こういうのを絶景っていうのね」
フィオナは素直に感心したし、クラリッサも嫌味が出てこなかったようだ。
「一瞬でついた!」
「そうだね」
フィオナの手を引き、ミシェラは微笑む。移動時間短縮のため、転移魔法でウィナンドを訪れたのだ。帰りも転移魔法の予定である。強い魔法力と緻密な計算が必要であるが、ミシェラと相性がいいのか、彼女は結構多用している。
転移したのは、ウィナンドの領主城である。通常ウィナンド城と呼ばれることが多い。そして、領主がいない幽霊屋敷としても有名である。
「……人が住んでいないわりには、きれいになってる屋敷ね」
クラリッサが言った。彼女は、人が住んでいないと建物が荒れることを知っているらしい。
「まあ、本当にだれも住んでいないわけじゃないし、魔法もかかってるからね」
正確には、城の敷地内に魔法陣を敷いているのだが。
「……誰が住んでるの? 管理人?」
手をつなぐフィオナとは反対側のミシェラの隣に、クラリッサは並んだ。
「いや、シルキーだね。年に一度は帰るようにはしているけど」
「シルキー?」
「ブラウニーと同種だね。王都の家にもいるだろ」
首をかしげるフィオナの頭を撫でて答える。ブラウニーもシルキーも同じような家事妖精だ。正確には違いがあるはずだが、ミシェラもそこまでは把握していない。
ただ、ブラウニーは茶色い小柄な姿だが、シルキーは白いシルクのドレスを着た女性だ。ゆえにシルキー。
城についた。ミシェラは一年ぶりの城を見上げた。
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