54.エイダン
そして、エイダンの容体である。魔法陣が良く機能しているのか、彼が体調を崩すようなことは無かった。しかし、解決方法が見つからず、ミシェラの方がうなっていた。
「やはりダメかしら」
「……ごめん。私の能力では……」
過去までさかのぼれば、全てをまるっと解決できそうな人はいる。だが、故人なのだ。
イザドラは残念そうにため息をついたが、ミシェラの顔を見て微笑んだ。
「いいの。私がこちらに来たのは、お兄様やお姉様の顔を見たかったのもあるし」
「……」
王位継承戦争があったからだろう。大がかりな兄弟喧嘩と評することもできるが、要は殺し合いだ。イザドラも兄弟仲が良かった自覚があるので、気になったのだろう。
「それに、エイダンも楽しそうだわ。あの子の笑った顔なんて、久々に見た」
イザドラが母親の顔でエイダンを見る。彼は従兄であるジェイムズに良くなついた。あこがれるのだそうだ。今も、ジェイムズに勉強を教えてもらっている。
「それに、お姉様は自分を憐れまないから付き合いやすいって言ってたわ」
「……あはは。そう」
にっこりと笑って言われた。ミシェラは息をつく。誰だって、必死に生きているのだ。そうした人たちをミシェラは可愛そうだとは思わない。エイダンが自分をかわいそうだと思っていないのなら、そうするべきだ。
「……ねえ、イザドラ。方法が見つからなかったわけではないんだ」
「本当!?」
イザドラが身を乗り出す。ミシェラは少し気圧された。ジェイムズがこちらを見たので、なんでもない、と手を振る。
「この前、アーミテイジ公爵と少し話したんだが」
「アーミテイジ……最近、息子のエルドレッドに替わったって聞いたわ」
「そのエルドレッドだね。彼と話をしたんだ。それと、ジムもいたけど」
イザドラの視線が自分の息子に勉強を教える甥っ子に向く。その端正な横顔を確認してから、イザドラはうなずいた。
「続けて」
「では。で、三人でエイダンの容体を検討してみた。そこで確認なんだが、イザドラ。今回の依頼は『病を治す』ことではなく、エイダンが歩けるようになることが目的と言うことでいいかな」
「え、ええ。そうね」
イザドラに確認を取り、ミシェラもうなずいた。それなら、いくらか方法は無くはない。
「彼が歩くための方法なら、無くはない。今彼が歩けないのは、弱い内臓を保護するための魔法陣が、脳からの伝達信号を阻害しているからだと思われる」
「……お願い、お姉様。わかる言葉で言って」
懇願するようにイザドラに言われ、ミシェラは少し考えてから噛み砕いた言葉で言う。
「まず、人間が手足を動かすには、脳からの指示があるから。これはいいね?」
「……ええ」
医学を学んだ者には常識であるが、イザドラにはピンとこなかったようだ。しかし、言いたいことはわかってくれたようなので続ける。
「で、エイダンが歩けないのは、その命令がうまく足に伝わっていないからだ」
「……そのうまく伝わらない原因が、あの子にかかっている魔法陣だというの?」
「そういうこと」
ミシェラがうなずくと、イザドラが難しい表情になる。頭では理解できても、納得できないということは往々にしてある。
「……じゃあ、どうすればいいの?」
「脳の指令伝達とは別の方法で、足に命令を送ればいいんだ。つまり、魔法を利用する」
「人形を動かすみたいに、自分の足を念動力で動かす、みたいな?」
「そういう方法もあるね」
宮殿に出入りする奇術師などに、その手の能力者が多いので、イザドラもその答えにたどり着いたのだろう。しかし、方法はそれだけではない。
「ほかにも方法がある。彼の中に魔法神経回路を作るんだ。つまり、正規の道は通れないから、別に迂回路を作るということだね。どちらもエイダンが魔法を学ぶ必要があるし、たとえ習得できたとしても、慣れるまで足を動かすのには不自由するだろうね」
「なる……ほど……」
母親としては判断しかねるところだろう。王族は魔術に関して基礎的なことはおおむね教え込まれるが、それ以上の勉学努力が必要になる。こればかりは本人の意思が必要だ。
「お姉様としてはどちらがおすすめ?」
尋ねられてミシェラは少し悩む。
「そうだね……どちらもメリットデメリットがある。まず、念動力で動かす方は、比較的短期間で習得できるだろうね。しかし、慣れるまでは力加減がわからずに足が絡まることもあるし、自分の筋力で歩くわけではないから、筋肉が付かないね。何より、念動力の適性がないとうまく歩けない可能性がある。神経回路の方だが、これは回路を作るのは本人では不可能だから、別の魔術師にやってもらう必要がある。この場合は、私になるかな。そして、その後も魔術に関して大いに学んでもらう必要がある。回路をつないだからと言って、命令が自動的に送れるようになるわけではないからな。正直、習得はこちらの方がかなり難しい。しかし、疑似回路を作るわけだから、普通に歩くのと何ら変わりなく活動できる」
と言うわけで、ミシェラのお勧めは回路を作ることだ。まあ、本当にできるようになるかは本人の頑張り次第だが。
「……でも、あと三日もしたら私たち、アルスターに帰るのよ。教えられる人、いるかしら……」
「……探せばいるような気もするけど」
きっと、エルドレッドだってできるし。彼は魔術師としての完成度が高いが、彼ほどの魔術師が存在しないか、と言われるとそんなこともない。
イザドラは上目づかいでミシェラを見た。
「お姉様、来られない?」
「普段なら『いいよ』と言うところだけど、今は無理だね」
『旧き友』不足であえいでいるところだし、預かっているクラリッサとフィオナの件もある。イザドラがテーブルに伸びた。
「そーよねぇ」
うなだれた母を見つけ、エイダンが声をあげた。
「あ、先生! 母上に何を言ったんだ!」
「何でもないわよ、エイダン」
イザドラは微笑んで息子にそう答えたが、ミシェラは「アルスターに来てほしいというお願いをお断りしたんだよ」とそのまま答えた。
「……来られないのか?」
「そうだね」
心なしかさみしそうなエイダンである。子供で歩けないエイダンが来られるくらいだから、アルスターはそれほど遠くない。海は越えなければならないが、頑張れば泳いで渡れるほどだ。
「すぐには無理だけど、五年くらい経ったら」
「叔母上。そろそろ自分の感覚がおかしいことに気付くべきだ」
ジェイムズが話に入ってきた。ミシェラは肩をすくめる。ミシェラは実年齢でも三十二歳だが、すっかり『旧き友』の習性が身についていた。
「イザドラ。さっきの話、エイダンにしておきな。もしすぐに決められなくても、私がそちらの魔術師に手紙を書こう」
「……わかったわ。ありがとう、お姉様」
ミシェラはイザドラの肩を軽くたたいた。エイダンが母親とミシェラを見比べて口を開いた。
「……やっぱり、先生って母上と似てるよな」
「お二人は姉妹だからな」
しれっと言ったのはジェイムズだ。隠していたわけではないが、聞かれなかったので答えていないのだ。と言うか、イザドラは散々ミシェラを姉と呼んでいたのに。察しろと言うのはちょっと難易度が高かっただろうか。
「え、じゃあ、先生って僕の伯母なの?」
「血縁上はそうだね」
「……ねえ、先生っていくつ?」
「三十二歳」
「うそだぁ!」
九歳の少年には信じられなかっただろうか。叫び声をあげたエイダンに、ミシェラたち三人は声をあげて笑った。
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