53.エルドレッドとユージェニー
ミシェラは、シャロン家に滞在する者たちの中で最も早起きだ。リンジーの意識があるときは彼の方が早かったが、これは『旧き友』があまり眠らなくても活動できることに起因するだろう。決して、年を取っているからではない。リンジーあたりは怪しいけど。
ミシェラは紅茶を入れて一息つくと、朝食を作り始めた。パンも作れるが、さすがに買ってきたものでサンドイッチを作る。
「おはよう~」
「ああ、おはよう。今日も早いね」
「うん」
起きてきたのはユージェニーだ。大体、彼女かニコールがミシェラの次に起きてくる。彼女は皿をテーブルに置き、ミシェラを見て首をかしげた。
「悩み事?」
「ああ、わかる?」
ミシェラは笑ってサンドイッチを乗せた大皿をユージェニーに渡した。彼女がうん、とうなずく。
「でも大丈夫。ミシェラなら解決できるわ。……そうね。常識的に考えるとだめみたい」
「うん……うーん」
ユージェニーの予知を含んだ助言に、ミシェラはうなった。常識的、と言っても。存在自体が非常識、と言われているミシェラはどう反応すればよいのだろう。
朝食の匂いに釣られたか、次々に起きてくる。サイラス、エイミー、クラリッサに連れられたフィオナが姿を見せた時、ドアベルが激しく打ち鳴らされた。
「……見てくるから、先食べてな」
ミシェラはそういうと、玄関に向かった。朝っぱらから誰だ。ドアを開ける。
「よう」
「……朝っぱらから何の用だ」
見慣れた顔にミシェラは息を吐く。アーミテイジ公爵家を継いだエルドレッドがそこに立っていた。長い付き合いなので、ミシェラがどんな反応をしようとエルドレッドはひるまない。
「ジェインはいるか?」
「まあいるけど……朝食中だよ。お前も食べる?」
「食べる」
食べるんだ、と思ったが、この時間では確かに朝食を取らずに出てきたのだろう。下町にあるこの家と、貴族街にあるアーミテイジ公爵家はそれなりに距離がある。
「あ、お兄様」
汚れたフィオナの手を拭いてあげていたユージェニーが、入ってきた兄を見て驚いた表情を見せた。フィオナとクラリッサに目をとめ、エルドレッドは言った。
「なんか、余計にややこしくなってないか?」
「さてねぇ。いざとなったら私の子供で押し切るし」
押し切れるくらいには、姪っ子二人はミシェラと似ていた。
「絶対に嫌」
そう言ったのはクラリッサだ。だが、彼女もいざと言う時はそうするしかないとわかっているので、口先だけの抵抗だろう。本当に頭のいい子なのだ。
一人増えて、朝食である。ミシェラも自分で作ったサンドイッチにかぶりついた。まずいわけではないが、何となく、自分で作ったものは味気ない気がする。同居人がいるメリットは、他人の料理を食べられることだ。
作った朝食がみんなの腹に収まったあと、ミシェラはニコールとサイラスに片づけを頼み、エイミーにはクラリッサとフィオナに勉強を教えるように頼んだ。エイミーは相変わらず体調を崩すことも多いが、この二人が来てからはよく面倒を見てくれている。
ミシェラはアーミテイジ兄妹の様子を見ていた。ソファに向かい合わせに座った二人の間のソファに彼女は腰かけていた。
「ジェイン、俺が聞くのもどうかと思うが、今年は領地に帰るつもりはあるか?」
「ない」
首を左右に振って、ユージェニーはきっぱりと答えた。エルドレッドもその答えは予想していたようで、「わかった」とだけ答える。
「ってことは、お兄様は領地に帰るんだ」
「まあな。爵位を継いだ以上、放っておくわけにはいかないからな」
口は悪いが、エルドレッドはしっかり者で、わきまえていた。爵位をついたものとしての責任をわかっている。
「いつ帰るの?」
ユージェニーが尋ねる。エルドレッドは、ミシェラの両の兄に招集されて王都へやってきたが、結局どちらにも与しなかった。アーミテイジ公爵家が高位貴族であるからできれば味方に、少なくとも不干渉にしたかったのだろうが、エルドレッドがミシェラと親交がある以上、後者になる可能性の高さは、二人とも理解していただろう。まあ、ミシェラが敵にならないことをわかっているからとれる方法ではある。リチャードもジョージも示唆していたが、ミシェラが争いに介入すればややこしいことになっていたに違いない。
まあそれはともかくだ。社交シーズンは終わったばかりで、秋が深まっている。エイミーは帰らないと言っているし、ニコールは里帰りしたばかりなので帰るつもりはないそうだ。ユージェニーも帰らないなら、今年の年末は賑やかだろう。
「一か月以内には発つつもりだ。ジェイン、みんなに迷惑かけないようにな」
「うん。手紙書くわね」
ずっと一緒に生活し、半分育ててくれた兄と離れるのはつらいだろうが、ユージェニーは笑ってそう答えた。まあ、どんなに仲の良い兄妹でもいつか別れなければならないので、こんなものだろう。ミシェラも兄と仲が良かった自覚があるが、一人と死別してしまっている。
「そんだけ?」
「……いや」
ユージェニーはたまに鋭い。これだけのために、兄がやってくるとは思わないのだろう。確かに、エルドレッドの性格なら、領地に帰る日になって、「帰るか?」と聞いてきてもおかしくない。
エルドレッドは少し言いづらそうな表情をする。ユージェニーは首をかしげる。
「……実は、お前に縁談が来ていてな」
絞り出すようにエルドレッドが言った。ユージェニーはますます首をかしげる。
「社交界に出てなくても縁談ってくるものなの?」
「……」
鋭いご指摘である。ユージェニーの言うとおりだ。つまり、この時点で縁談を申し込んできた相手をある程度絞り込めるわけだ。
「……縁談はジェイムズ王太子からだ。……この家に出入りしているそうだな」
「……ミシェラ」
何故かユージェニーはミシェラに助けを求めた。いや、そんなすがるような目で見られても困る。
「殿下からはジェインの意志を優先して、嫌なら断ってくれても構わないといわれている。俺もそうしたい」
基本的に、貴族の女性は家に既存するし、公爵家と言えども王族には逆らえない。しかし、嫌なら断ってもいいと、無理やりにでもユージェニーを王太子妃に出来る二人は、二人そろってユージェニーの好きにしろと言う。
「……猶予はあるから、少し考えてみてくれ」
エルドレッドが言った。ユージェニーは困ったようにミシェラを見る。
「ジムさん、ミシェラが初恋だって言ってなかった?」
「初恋は往々にしてかなわないものだよ。それに、叔母と甥では結婚できないからあの子のたわごとは気にするな」
それに、ジェイムズはユージェニーを初めて見た時から、彼女を気にしている素振りがある。こじれると嫌だから言わないけど。
ユージェニーだって、彼を憎からず思っているように見える。こっちも、こじれると嫌だから言わないけど。
「うん……でも、だって、どういう顔して会えばいいの……」
ジェイムズはミシェラに戦術を習いに来ている。ユージェニーと顔を合わせる機会が多いのだ。こうなると、それを狙った下心があるような気もするが、避けるわけにもいかないだろう。
「そのままでいいんじゃないか。可愛いし」
ミシェラが言うと、ユージェニーはむくれた。恥ずかしいのだろう。ミシェラは微笑む。
「それで、もし大丈夫だと思ったら受ければいい。駄目だと思えば断ればいい」
ユージェニーの側にはミシェラもいる。いざと言う時は、彼女に助けを求めればよい。
「うん……」
ユージェニーはうなずくが、エルドレッドは「何言ってんだお前」と言うような目でミシェラを見ていた。確かに、ミシェラにはこういう経験がないけど。
もしかしたら、ユージェニーはミシェラの義理の姪になるかもしれないということだ。ちょっと楽しみ。
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